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高鍋高校 平原美夫 その4

スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 49年 九州大会県予選で待望初V

野球部 3

 前回紹介したように、野球部の「開祖」といわれる野球大好きの美術教師、平原美夫(昭50没)が監督に就任してから高鍋野球部は本格的な歩みを見せ始めた。

 練習時間の半分はお粗末なネットを越えて竹薮に消えたボールを捜すという悪条件と戦いながらの猛練習で、着実に力をつけていた高鍋ナインが、その証明である優勝の二文字を手中にしたのは1949年(昭24)だった。

 同年春の九州大会予選で初優勝を飾ったのである。それまでの平原の苦労が尋常でなかったことは前回書いたが、夫人も例外ではなく、嫁入り道具を売り飛ばしたり、質屋に入れたりして選手のボールやバットを購入した。もちろん自費だ。

 自費といえば食べ盛りの選手たちを養うのも大変だった。彼らを自宅に泊めて合宿したこともあったし、下宿させたこともあったが、すべて平原家の負担だった。

 そうした平原家の情熱と愛情によて育まれたこの年の高鍋野球部は絶好調だった。夏の県大会で優勝した高鍋は大分、宮崎、鹿児島3県の代表校で甲子園出場校を決める東九州大会に出場を決めた。しかし、1回戦で鹿児島実業に1-5で敗れている。

 それでもあきらめず秋の九州大会に甲子園の夢をかけたナインだったが、高鍋野球部史上忘れることのできない事件が起きた。この年の秋も九州大会に出場した高鍋ナインの調子はベストだった。

 長崎商を4-2、八女(福岡)を3-1で破り、晴の決勝戦に進出した。このときのメンバーは次の通り。

【三】杉野(昭26卒)【中】宮越(同)【一】山本(同)【捕】用害(同)【右】渕(同)【遊】岩岡(昭27卒)【左】熊岡(昭26卒)【二】黒木(昭27卒)【投】野村(同)

 決勝戦の相手は強豪の熊本工、結局、この熊本工に1-5で敗れたものの準優勝は間違いない事実だった。これでだれの目にも高鍋の春のセンバツ大会出場は確実に映った。宮崎県勢初、高鍋高初の甲子園出場を前に県内は沸き立った。だが、そうした興奮の行く手に意外なハプニングが待ち受けたいたのである。(敬称略)

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