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高鍋高校 平原美夫 その1

テニスに行ったっちゃが、なま温きし、のさんかった。

(テニスに行ったが、暑かったので、しんどかった。)

 ネットに高校の先生の名前を探したのに・・・。 

 高鍋高校の美術の担任だった、平原美夫先生のことが知りたくて、ネット検索をしたんですが、「みやざき101人」くらいにしか名前がないので、すごく残念です。私たちは先生の最後の教え子なのです。そこで、考えました。幸い手元にどこかの新聞に連載されたであろう記事があるので忠実にコピーしたいと。表紙がないのでいつの物かもわかりません。タイトル文字が福岡工大付に通っていた、93年柔道世界選手権48キロ級金メダリスト、田村亮子になっています。つまり、この小冊子は93年頃のものかもしれません。

    スポーツ山脈(編集委員 蒲牟田 勇) 

     高鍋高校 前身は藩校『明倫館』

プロローグ 

 ナンキンハゼの下をかいくぐっていくと、3階建ての近代的校舎群が見えた。宮崎県児湯郡の高鍋町にある、県立高鍋高校である。創立は1923年(大正12)4月。数ある宮崎の県立高校の中でも屈指の進学校だ。

 その前身は師弟教育に熱心だった高鍋藩の藩校「明倫館」(1778年創立)。そうした明倫館の流れをくむ学校にふさわしく幾多の人材を輩出してきた。

 卒業生は2万3000人。その中には東京歯科大学長の関根(旧制18回 昭20卒)もいる。関根は高鍋中から七高に進み、日本歯科学会会長も努めている。福岡大医学部長の三好萬(新制3回昭26卒)もOBの一人。官界では厚生省事務次官・黒木(昭27卒)。東大卒後、厚生省に入り大臣秘書官、保険局長などを歴任した。

 武弘の実兄で、宮崎のナポレオンといわれる焼酎(しょうちゅう)「百年の孤独」の製造元の社長・黒木は36年(昭11)卒業組。

 高鍋は昔から進学にもスポーツにも強い、いわゆる文武両道の校風を誇ってきた。スポ096b ーツの現役選手ではプロ野球の福岡ダイエーホークスの池田親興(昭53卒)がいる。高鍋野球部は宮崎県勢では、初めて甲子園の土を踏んでいる、当時県民の熱狂的な人気を集めたものだ。

 ユニークなトところでは、タレントの今井(昭57卒)がいる。モデル出身だけあって、すらりとしたスタイルが売り物。その今井は高校時代は陸上部の選手だった。百メートルを12秒で走りインタハイにも出場、かなり期待されていたという。

 ほかにもチター奏者の河野保人(昭25卒)がいる。チターは名画「第三の男」のテーマソングの楽器として一躍有名になった。河野はわが国のチター奏者NO.1で、世界的にもその名が知られている。

 今高校の世界ではラサールのような大学進学専門と、スポーツ専門の私立高校といった具合に分業化して久しい。そんな流れの中で「文武両道」のスタンスを守り続けてきた高鍋の存在は貴重だ。(敬称略)

 書いているうちにとっても古い物だと実感する。けど、資料がほかにない。平原(ひらばる)先生はまだまだ登場されない。みやざきの101人には酒豪の記事がある。

 文展初入選の祝賀会では、椀の蓋で60杯の酒を飲んで皆を驚かせたという逸話がある。彼は亡くなる前日、5名の知友と共に酒席を持ち12時間飲み続けた。このようなことは初めてのことではなかった。凄い、牧水にもまさるのではないか

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