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 高校野球の甲子園出場校も少しづつ決まってきました。高鍋高校は最近はサッパリです。代わりにというか、高鍋農業高校が強くなっています。農高も硬式野球になりました。

 高鍋高校 平原美夫 その7

スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 食中毒禍乗り越え甲子園

野球部 7

 1957年(昭32)、2度の目の甲子園出場を狙った東九州大会(鹿児島、大分、宮崎勢が参加)決勝戦で宮崎大宮に4-5で惜敗し涙をのんだ高鍋ナイン。

 その中には大会随一の強打者と騒がれ、明大のセレクションでいきなり場外ホーマーを放ち、当時の島岡監督を仰天させた小森幹夫(明大、日本生命、会社経営)がいた。明大に入学した小森は主砲として活躍、リーグ優勝に大きく貢献しする。

 ナインの中には異色選手もいた。日高がその人。日高は野球部創立以来の秀才と言われ、京都大学卒業後、文部省に入り、現在、放送大学総務部部長。この二人を見ていると、「文武両道」を標ぼうとしてきた高鍋の伝統を感じる。

 その高鍋野球部が2度目の甲子園出場を果たすのは2年後の59年夏だった。この年から東九州大会は南九州大会と名を改める。大分、熊本、宮崎、鹿児島に、沖縄が加わってのスタートだった。

 舞台は鹿児島の鴨池球場。高鍋の 初戦の相手は沖縄の中部農林だったが、その大切な試合を前にして高鍋の宿舎「鴨池旅館」では大変なことが起きていた。選手たちの間で食中毒が発生していたのである。

 試合の前日に宿舎を訪れたところ、主将の甲斐(昭35卒)らがトイレに何度も飛び込むのを見て事態を知った新聞部の記者岩切(昭35卒)カメラマン猿股(同)は平原美夫監督(故人)にこう口止めされたという。「このことは絶対に漏らすな」。

 その厳しい「報道管制」が功を奏して、新聞テレビなどマスコミには一切知られずに試合はスタートした。しかし、エースの永友延(昭35卒)は試合が始まってもベンチに座るのがやっと、仕方なく投手に控えの2年生を起用。クリーンアップも若手中心に切り替えた。ところがいざフタを開けてみるとその若手が大活躍、10-1で大勝した。

 食中毒騒動をどうにか乗り越えて勝ち進んだ高鍋は、予想通り決勝へ。2度目の甲子園をかけた高鍋の相手は、名門の鹿児島商。スタンドは超満員、上空を宮崎のデパートが高鍋応援のためにチャーターしたヘリコプターが旋回していた。(敬称略)

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