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夏の甲子園 後は宮城県だけ

「スコール」のんだこつあっとね。ぎゅうにゅうでつくっちゃっと

「スコール」をのんだ事がありますか。牛乳で作ってあるんですよ。

Sa360002 ♪^^ あ~いのスコ~ォ~ール。♩^   宮崎県人なら、誰でも歌えるこの歌のスコ ール。宮崎が発祥の地だと知らない人が多い。愛されて30年だとか。最近は全国どこのコンビにでも売られるようになりました。

スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 九州制しセンバツ初出場

野球部 10 平原美夫

高鍋の選抜大会初出場は夏の甲子園に3度目の出場を果たした翌年、1962年(昭37)であった。この時の先発メンバーは次の通り。

 【捕】屋敷(昭36卒)【中】谷(同)【遊】井上(同)【右】古屋(同)【三】押川(昭39卒)【左】野津手(昭38卒)【一】江藤(同)【投】清(昭39卒、元西鉄、近鉄、東京在住)【二】平原(同高鍋元監督)

 61年秋の九州大会を完璧に制覇してのセンバツ出場だった。

 このメンバーのなかで全国的に注目された選手が二人いた。エースの清と二塁手の平原である。二人ともまだ1年生。

 新聞は当時の高鍋の戦力についてこう書いている。「清の決め球はブレーキ鋭いドロップ。九州ではまだ完全に打たれたことはないほどの威力があった。最近は外角をつくストレートにもスピードがついてきた」。

 もう一つの特徴は九州一といわれたレベルの高い守備力だった。井上を中心とする内野陣は動きが堅実で、特に平原はそれまで18試合ノーエラー、左右そして前後のシャープで華麗なフィールディングで高い評価を得ていた。平原は野球育ての親といわれる当時の監督、平原美夫(故人)の一人息子で、「甲子園の親子鷹」として騒がれた。

 こんなふうに紹介すると守備力のチームといえるが、攻撃面も弱いわけではなかった。チーム打率2割6分9厘、個人的にも古屋の3割7分を筆頭に井上2割7分9厘、押川3割2分7厘、トップを打つ屋敷も2割9分9厘をマークしていた。

Takanabesta11  高鍋高野球部史上でも特筆すべき強力チームだったが、甲子園での最初の相手が悪かった。あのPLだったのだ。この大会では史上初の春夏連覇の大記録をつくった作新学院が優勝したが、PLも結構強かった。

 そのPLと顔があった高鍋は不運。清が好投し、平原をはじめ鉄壁の内野陣が彼を盛り上げたものの、大接戦の末2対3で惜敗、選抜初陣を飾れなかった。(敬称略)

写真は高鍋駅構内 トロントロンファクトリーからお借りしました。

訪問者の皆さんが100人になりました。感謝申し上げます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。 管理人 yodakibo ♥♡♥♡♥

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