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監督が病気で倒れる!!!

おとうさんな、あんべがわりーごつじゃが。しごつはほらくっちょちかいひるねげな

おとうさんは具合が悪いので、仕事はそのままにして昼寝だそうです。

 高鍋高校は甲子園でベスト4が一番の成績でした。優勝したことはありません。どうも、宮崎代表が優勝したこともないんです。今年はどうなりますかね。

スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 66年センバツで5三塁打

野球部 15 平原美夫 その14

 1965年(昭40)夏の甲子園で、エース牧憲二郎(76年卒、南海、オリックス、現オリックス寮長)を擁してベスト4にまで進出した高鍋は、翌66年春のセンバツにも出場した。3度目のセンバツ出場、通算7度目の甲子園だった。

続きはあとで・・・・翌日になってしまった。楽しみにしてくださってるのに申し訳ないです。

 この3度目の出場で高鍋は、センバツでは初めて勝ち星を挙げた。宮崎県勢としても初めてのセンバツ初白星。文字通り三度目の正直だった。

 当時の先発メンバーは次の通り。【中】井上(67年卒) 【二】徳山(同) 【三】海老原(68年卒) 【遊】戸原(67年卒) 【左】黒木(68年卒) 【右】石川(同) 【一】菅原(同) 【投】西原(同) 【捕】永友(同)

 3度目のセンバツ出場を果たした高鍋の相手は古豪の徳島商、高鍋はこれを6対1で一蹴した。そして2回戦ではこの大会の優勝となる中京商と顔を合わせた。

 宮崎県のチームとして初めてセンバツ初勝利を挙げて意欲揚がる高鍋ナインは、この強豪に正々堂々と勝負を挑んだ。中京商は立ち上がり、試合巧者ぶりを発揮して先制の4点を奪う。

 しかし高鍋も負けていない。6回、鋭い反撃で5対4と と逆転してしまった。結局最後は中京商が底力を発揮、高鍋のエース西原の疲れをついて3本の長短打とスクイズを決めて勝利を呼び戻した。

 大接戦の末、中京商に敗れはしたが、実は後世に残る面白い記録をつくっている。この大会、高鍋1チームで何と5本の三塁打を放ったのである。これは25年(大14)以来の記録だった。当時の高鍋ナインがいかに俊足だったかを物語っている。

 この時の高鍋にはちょっとした異変が起きていた。高鍋野球部を育て上げた監督の平原美夫(故人)が病気で倒れたのである。

 平原に代わって急きょ、OBの宮越(51年卒)が監督として甲子園でさいHikijinjya 配を振るった。その後、病気が治り平原は再び監督の座に復帰する。(敬称略)

 びっくりしました、平原先生が病気なんてね・・。真っ黒に日焼けされて、いつもお元気そうでしたから・・・。

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コメント

わたしがブログをやってる理由は物書きになる夢をかなえるための手段ですからそれと最近はわたしの記事は地元のいろんなお店の宣伝も兼ねているので出来るだけたくさんのひとに見てもらう必要があるので内緒というわけにはいかないのです^^
このおかげでネット回線やホームページ作成依頼の仕事が増えて助かっています。
ネットってみんなが最低限のルールを守って上手に使えばほんとにいい物なんですよね。
なのに今朝はまたわたしのところに嫌がらせコメントが入りました。しかもコメント内容を信じるならば「佐賀」の人間のようです。情けないですね><IPアドレスをライブドアに報告あげました。
こんなひとには負けないで頑張りますよ^^

去年から数人、知人を癌で亡くしましたがそろってみんなとても健康そうなひとたちばかりでした。うちのかぁさんも16年ほど前に癌で・・・かぁさんもとてもタフなひとでした。

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