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上杉鷹山 コネタ

 上杉鷹山の話の2

上杉鷹山(うえすぎようざん)は、1751年7月20日、日向高鍋藩の江戸藩邸で、藩主秋月種美(あきづきたねよし)の次男として生まれました。歴史の教科書にも載らなかったこの偉大なる方は、数ある大名のなかで名君中の名君といわれました。養子として上杉家を継ぎ、若くして藩政改革に取り組み、藩の窮乏を救うことに成功したからである。

 9歳の時、鷹山は祖母にあたる瑞耀院(ずいよういん)の推薦によって、出羽米沢藩十五万石上杉重定の養子に内定した。それは、重定の正室に男子がなかったからであった。鷹山は、重定の正室が生んだ女子、幸姫(ゆきひめ)と将来結婚することを前提に、宝暦10年、正式に上杉家の養子となった。日向高鍋藩二万七千石の部屋住(へやずみ)の身が、十五万石の大名家を継ぐ立場となったのである。まさに逆玉!であるがこれは、単に彼に幸運があったからではなく、優秀な子であったという評判があったからこそだったのである。

高鍋藩の藩主の次男ですが、生まれてずっと江戸藩邸で暮らしていたので、一度も高鍋に帰ることはなかったようです。鷹山は米沢藩の財政再建に取り組み成功させますが、鷹山の兄もまた高鍋藩の財政再建に力を尽くしました。

 

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コメント

コメントありがとうございました。
わたしの実父は生きていればあなたのお父さんと同じくらいなんですね。
ふと思いました。

モモさん
コメントありがとうございます。
佐賀の佐野常民と岡崎は奥殿の藩主の大給恒は一緒に博愛社を作ったんですね。大給氏が少し気になっていました。

昔の人は横のつながりも密ですね。
人を大事にするのでいろんな事業が成功するのでしょうか!!

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