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2006年10月31日 (火)

読書会 志をり40号最終調整

 朝夕少し冷えました。明日から11月ですね。

 読書会の最終編集日です。朝、最後の手書き原稿が届きましたので、スキャナで読み込みます。それをペイントで開き、汚れを消しゴムで消します。

 今度はワードに貼り付けていきます。原稿の設定が少し違っていたので、切り抜いたり、貼り付けたりして調整します。スキャナで読み込んだ手書き原稿ですが、画像として処理しました。

 志をり40号の最終原稿できました。今回50ページになりました。図書館に集まって、最後の校正です。校正5回目ですがまだ、誤字とか見つかります。印刷してしまうと、まだ見つかる可能性があるので念入りに校正。

 表紙の絵は会員の描いた物を使います。市の展覧会から帰ってきたはずだけど、橋本忠夫先生の手元にあるというので先生のアトリエに取りに行きます。

 先生のアトリエ何年ぶりでしょう。お会いするのも久しぶりです。ちっともお変わりありませんでした。でも、70歳になられるとか。200号のキャンパスに若い女性の絵が描きかけになってました。作品展が目白押しとのことでキャンバスは2枚立っていました。アクリル絵の具が乾くのが早いとか。

 先生は朝日カルチャーで日曜日に教えてみえます。朝日のチャリティの絵も描いてあります。5号くらいの若い女性、かわいらしい。奥様に雰囲気が似ているような・・・。

 昼食を済ませて、表紙の絵にあわせた用紙を買いに、“紙の温度”に行きます。楽しいお店です。和紙がいっぱい、作品もミニ展覧会で紹介してありました。熱田神宮の南にあります。厚めの表紙、色あわせが大変。和紙は多いですが、洋紙は少ないので・・・。それでもなんとか決まりました。支払を済ませると、A4のサイズに自分らでカットします。一年に一度のことなんで、どうやるのか忘れています。店員さんに確かめ、無事カットも終わる。

 あとは、印刷するだけ。製本は次回の読書会で。早々、製本テープの色の合うのがなかったので名駅の東急ハンズで。東急ハンズは紙のカットはサービスですが用紙の種類が少ない。3拍子は中々揃いませんね。

南図書館の展示コーナーに楽しい押し花がありました。

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2006年10月30日 (月)

種樹 外遊へ MIYAZAKI

 中日ドラゴンズは落合監督に年俸変動制契約提示へ 。落合監督は2年契約を提示されたって。4年目頑張らないと、年俸が下がるかも。実績を残したんだから継投は当たり前!!でしょ・・・。

 さて、仕事をやめてしまった、郷土の偉人、秋月種樹はどうしたか。

 明治3年7月に大学大監も侍読もやめたが、同月御用有之東京滞在仰付けられる。10月民部大丞兼寺院頭に任ぜられる。

 (前年明治2年正月に烏丸氏と結婚しておりました。大事な事が・・・。)

明治4年7月、種樹は民部大丞兼寺院頭を辞することを願い出て許されています。同時に直垂地一巻下賜される。8月左院少議官に任ぜられる。(勅任一等)11月願いにより本官を免ぜられる。

 このころ、顯官の欧米視察が盛んに行われて、種樹は明治天皇の思し召しもあって洋行の途につくことになって官職を辞めたんですね。

 いよいよです、年末までに用意を済ませます。明治5年正月27日横浜港から外遊に出かけます。コースは横浜港 → 西へ → インド洋 → スエズ運河経由 → 欧州です。一行は、左院議官を含め31人に達し、賑やかや航海であったようです。

2006年10月29日 (日)

“1リットルの涙と歩いた20年”を見て

日曜。朝五時。

NHKの「いのちは終わらない~“1リットルの涙”と歩んだ20年」こころの時代~宗教・人生を見た。聞き手は石澤典夫アナウンサー。Bamenn

 20年前に出版された『1リットルの涙』は読んではいないが、娘さんを亡くされたお母さん木藤潮香さんの話が聞きたかった。

 日記を本として出版された理由を初めて知った。日記を書いた亜矢さんは脊髄小脳変性症にかかっていた。

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生きてる証が欲しい。

私は何のために生きてるの。

役に立Nikki_1つ仕事がしたいと言った子は人の世話になりっぱなしで人生を終わってしまう。とてもじゃないけど無念だろう。

亜矢ちゃんの日記は、本という形になってどっかで役立つことを実感させてやらなければならない。有るのは日記だけしかない。これしかないと思って全部読んだ。必死で原稿用紙に向かわれたと。木藤亜矢さんが23歳の時に出版。一年で30万部も売れる。全国の読者から手紙が来るようになった。

画像はNHKのテレビを携帯で。

再放送は教育テレビ 11月5日(日) 午後2時から3時

見ず知らずの人たちと触れ合うことが出来て、

しかもふれあいの元が、

自分のかわりに働いてくれた本。

亜矢の行き方を自分に取り入れてくれたと感じた時嬉しがりました。

亜矢さんは、26歳で静かに息を引き取った

亡くなってから20年。

今、木藤潮香さんは

講演の依頼に全国の各地を飛び回っている

たとえどんな苦しみに出会っても、かけがえのない人生を大切にして欲しいと訴えていると。

2006年10月27日 (金)

ドラゴンズ優勝ならず

 あぁ、残念です。落合ドラゴンズ、日本一になれない。二度目の挑戦も叶わず。日ハムの熱意に負けた。選手も応援するファンもみんな。

Sa360035  しょうがないので、ドラゴンズ応援感謝セールのバーゲンに行きましょう。

2006年10月26日 (木)

シャチのクー来館3周年と犬山城

 昨日アクセスのワードを確認したら、クーが多くてびっくり。ニュースでもあったのかな。今朝の中日新聞の県内版にクーの記事がありました。これですね、アクセス数が増えたのは・・・。

 名古屋港水族館(港区)はシャチのクー(雄推定年齢16歳)が同館に来て29日で3年になるのを記念して、同日に「丸ごと一日クーちゃんDay」と銘打ったイベントを実施する。同館ではクーを20枚のパネルで紹介する写真展も始まった。

 通常のシャチのトレーニングを披露するのに加え、シャチのトレーナーがクーの3年間を振り返る「クーちゃんとっておきトーク」を午後一時半と同四時四十五分からの二回開催。-後略- 中日新聞10/26朝刊

KuMov03363_0002Mov03363_0001  先日紹介しましたクー以外にも目玉がふたつ。

☆ 南極を再現してある、ペンギンの部屋、雪が降っています。時々ね・・・。雛も毎年生まれています。

☆ 海がめ。砂浜がつくってあるので 毎年海がめが産卵します。孵化させて育て海に帰すということもやっています。

犬山城 現存最古の城でもある
木曽川を見下ろす 別名 白帝城

 長男が小さい時に一度だけ行きました。銀杏の大木があったような・・・。一番おぼえているのは急な階段です。天守から見た犬山市外・・・名古屋市・・。

 全国唯一、成瀬家の個人所有でしたが、維持管理が難しく、平成16年 財団法人「犬山城白帝文庫」所有になりました。

 いい季節になったので、名鉄電車に乗ってでかけたいですね。

犬山城特別展 11月28日まで

犬山城下町秋まつり 10月28日~10月29日

犬山寂光院もみじまつり 11月12日~12月11日

2006年10月25日 (水)

東京帝国大学の誕生

明治2年10月22日に種樹は大学大監に進められた。

藩尾録』に東京便りとして報じられた内容。

 若殿様大学騒ぎの件につき、御不行き届きあらせられ、御伺い通り御謹慎仰せ蒙られ候処、十月五日勅使豊岡三位殿御出なされ(中略)御前の間に御通し申し、若殿様礼服にて御出座なされ候処「秋月小監謹慎免され候」と太政官よりの御書付御渡しなされ、御拝見の上御請け仰せ上げられ、即刻御供揃ひにて御参朝なされ候  

 大監になった種樹は決心を新たにして、合議の上大学の改革を行います。明治3年(1870)二月、「大学規則及び小学校規則」を発布し、大学は法、理、医、文の各科に分かち、皇漢学の分野を局限した。ここで従来争っていた国、漢学者は一致団結して洋学者と激しく抗争する。紛争は5月になり激甚を加え、遂に大学本校の皇漢教授などは書を別当松平春嶽に激しく難詰すると共に、これに大学生も呼応してわが国最初のストライキとなった。その中心人物の一人藤野正啓の手記。

 是ノ時、学生改革ノ議アリ、大小丞等南校ノ教官ト謀リ、洋法ニ習ヒ教則ヲ立テント欲ス。予等コレヲ非トシ、 大小丞楠田英世、小松彰ヲ斥ケント欲ス。別当春岳君、大監秋月種樹君、弁事田中不二磨(洋学ヲ管ス)丞(楠田等)ノ説ヲ容レル。-後略-

 事態を憂慮し、大監種樹また小監島義男と共に教官の説得と、生徒の説諭に努めたが事態好転の望みなく、温厚な慶永(春嶽)は責めを負うて辞表を提出した。種樹の責任は益々重くなります。困った種樹は遂に右大臣三条実美にも謀り、歴然たる処置に出ずるに決し、七月二日をもって

 「学制御改正ニ付、当分本校休止サレ候事」と示達し、大学本校(お茶の水、旧昌平学)を閉鎖してしまった。維新当初よりの皇漢学を以て教学の中心たらしめんとする運動は全く頓挫し、洋学研鑽を府たる大学南校、同東校が栄え、やがて合併して東京帝国大学となる。

 種樹は教育一本化を、置き土産として7月13日に大学大監も侍読もやめ閑地( 職務の少ないひまな地位・身分)につく。

あーぁびっくりしました。日本初のストライキですって。種樹お気の毒でした。何かを作り出す苦しみって大変なことです。種樹が一生懸命やていたことって東京大学に関わっていたんですね。凄い人が高鍋藩にいたことにあらためて感動しました。

種樹は官職を辞しますがゆっくりできるんでしょうか。

種樹はまだ38歳です。

参考書籍 安田尚義 高鍋藩史話 解説 石川正雄

参考史料 維新史料綱要データベース

2006年10月24日 (火)

津城跡 MIEKEN

 お城が続きます。松坂からJRの快速みえに乗ってすぐです。が、構内の汽笛亭で(伊勢うどん)を食べました。ゆでたうどんに醤油がかかっていて、ねぎがのっています。250円。それだけ・・・醤油ではないのでしょっぱくはありません。味は濃くないです。忙しい時は早く食べれるので便利。ねこ・・・なんであんまり熱いのは苦手・・。

 伊勢鉄道の線路を一部借りて列車が走るので、 青春きっぷだと、別に170円?かかりましたが青空フリーきっぷは料金が込みになっています。津城跡は近鉄の津新駅の方が03739近いので松阪の駅から近鉄に乗った方がいいか悩みましたが・・・まいいかってJRで。

 駅の東側に出るとバス停があったのでラッキーって、心で叫びました。ほどなく津新駅行 きのバスがきました。県庁前とか通るとすぐに窓から櫓が見えます。

03741  津城。駅前の観光案内所に寄ってこなかったので史料がありません。帰ってネット検索しましょう。城内に入るとすぐに猫が出迎えてくれました。宣長の碑を守っていたねこと似たような柄でした。ニャ~ンってなついてきました。

03744

0374603743_1外から見える櫓のある石垣に登ります。綺麗です。石垣がずっと続いているの歩いてきました。落下しないでみたいな看板があちら、こちらに見えます。石垣の下は堀が続いて います。もとの櫓のところまで戻って石段をおります。中央へ行くと、馬に乗った武将の像があります。“藤堂高虎”。いい顔しています。まぁ、大きい像です。どうやって造ったのかなって・・・。日本庭園もなかなかいいものです。

037540374803752 

松坂城跡に比べると近所にあるっていうか親近感があります。こじんまりしてるからでしょうか。ここにも、猫がいました。観察するに、オスが1匹だけでメスを3匹従えています。もうじき、レストランの開店なのか集まっています。

 天気はよくはなかったんですが、ついに雨が落ちてきました。次の列車(ディ-ゼル車)まであまり時間がないので、帰ります。ドラゴンズブルーの空ならどんなにか美しい写真になったかと、天気が恨めしかった。03774 03771    

津城

 織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。以後、 津は城下町として発展してきました。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れたもので、 低湿地ながら防御には堅固な城でした。
その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。http://www.kankomie.or.jp/db/result.php?id=2886のサイトから情報お借りしました。

2006年10月23日 (月)

松阪城跡

ぶらり松阪路。

JRの青空フリーきっぷ2.500円を買って出かける。土日年末年始に使える一日だけのフリーきっぷ。欲張って、松阪城址と津城址に行く予定。乗り降りが自由なので便利です。

11:30発 快速みえ5号鳥羽行きに乗ります。12:30に松坂駅に到着予定です。

03734  松坂駅前のロータリーに鈴のモニュメントがあります。これは本居宣長の鈴です。鈴をかけて宣長が勉強したからだと・・。 お城の中修復された宣長の旧宅があります。別名鈴屋と呼ばれています。

  03685 駅前から歩いて行きます。さほど遠くはありません。さすがは松坂で03686す、ステーキの三松とか、すきやきの牛銀本店など松坂牛のお店が続きます。松坂もめん手織りセンターや、松坂もめんの三井家発祥の地、宣長が12歳から72歳まで過した旧宅など見学しながら城跡へ。写真は宣長の旧宅と碑の番ねこ。

 松坂城址はすご~い石垣です。表門跡から石段を行くと、途中に歴史資料館がありました。松坂もめん、伊勢白粉、『城のあるまち』を書いた梶井基次郎の展示などがあります。城内に梶井基次郎の碑があります。

0369203705 城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・隠居丸・季代丸・出丸・三の丸より成り、本丸・二の丸・季代丸・隠居丸・出丸には高い石垣を築き、三の丸の外郭に水堀をめぐらせていた。
 三層の天守閣と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえたっていたが、正保元年(1644)の台風で天守閣は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政六年(1794)に建立された徳川陣屋があった。
 明治十四年(1881)城跡公園となる。

『松阪城跡案内板』より

03720 本丸跡。ご夫婦Monでのぞいえみえ03712るので、聞いてみると井戸があって、抜け道だったと教えていただく。本丸跡から松阪市内を一望したあとはそのまま元来た道を戻らないで本居宣長邸跡を通って、御城番屋敷跡を通る。石畳がきれいでした。御城番屋敷が開いていて中を見学しました。整然と植え込みが整えられ、長屋造りになった屋敷跡。ここはほとんどの家に住んでおられる。住むのはたいへんだろうなぁ。休日ごとに人がザワザワ通るんですから。桜の時期はもっと大変ですよ。

03732Ohiru  明治天皇がお昼を食べたところ!

樹敬寺!

石垣は凄いけど、櫓くらいは再建して欲しいです。広くって、石段が高くって大変でした。

2006年10月22日 (日)

高鍋藩の江戸屋敷は麻布!

☆ 東海テレビの日曜朝に『ふるさと紀行』が放送されている。今日は、「ふるさとの音は和歌の調べ(宮崎)」だった。右横の「過去の放送はコチラからご覧ください」から10/22日を選んでください。

 若山牧水は宮崎県日向市東郷町坪谷でうまれた。って言ってた。えーっ、東臼杵郡坪谷村(現東郷町坪谷)でしょって思ったが平成の大合併か。とわかった。坪谷は地名が残っているのでいいが、歴史をかじりはじめると地名は気になります。京都の聚楽第の現地見学会の時、マンションの名前が聚楽第でした。これは地名の名残だと聞きました。ほんとにここに聚楽があったと思えて納得できます。

 坪谷の子供らは幸せだなって思います。豊かな自然の中で育つことと、小さい時から短歌に浸かって大きくなれるんです。だれでも歌を詠めるようになるんでしょうね。あーぁ、こどもらが羨ましい。

六本木ヒルズの近くが高鍋藩屋敷!!!

☆ 種樹が生まれた場所を確認するために。JR名古屋駅にある本屋で『東京時代MAP 大江戸編』を買う。

 種樹は1833年天保4年10月17日、江戸麻布屋敷に生まれる。父種任(43歳)生母早川氏、幼名政太郎。とあります。

 今のどこだか気になりませんか。気になって仕方がないので調べたいとずっと思っていました。

 こんな地図があることは先の聚楽第の見学会の後で行われた“『御土居堀ものがたり』をあるく”の時に講師が紹介されたので、見つけたら買おうって思っていました。

 早速開いてみます。江戸時代の地図が印刷されていて、その上にトレーシングペーパーみたいな薄紙が重なるようになっていて、そこに現在の地図が印刷してありますから、見つけやすいんです。ありましたよ。秋月佐渡守(三代藩主種信)。薄紙には麻布中・高校とマダガスカル大使館、カタール大使館があります。当時もあって、今もあるのは北東に本光寺長玄寺、南に天真寺だろうと思われます。現在、もう少し北に行くと、六本木ヒルズがあります。

参考資料 東京時代MAP 三村推古書院

        秋月種茂と秋月種樹 日向文庫

0378203783 

2006年10月21日 (土)

『高鍋藩史話』を著した安田尚義!

 種樹のことを調べていると、いろんな人が関わってくる。種樹本人に影響を与える人もそうだが、『高鍋藩史話』の著者、安田尚義氏への興味もわいてくる。経歴は宮崎の101人に詳しい。

 安田氏は昭和27年、日向文庫『秋月種茂と秋月種樹』と『上杉鷹山』の2冊を書いた。当時の苦労話や当時の人々に対する心づかいも見えてくる。種茂の背景にある封建制度にも解明を加えて種茂の功績を深めるようにしたとあった。

 中でも、 「日向の各藩にも名君は乏しくないので、郷土自慢にならないように常に戒心は加えてきたつもりである。」とあり、自慢したいのを抑えるのに苦心した様子が見えてくる。

種樹については文を引用。 

秋月種樹の場合は纏った(まとった)資料が乏しく、且つその上に歿後五十年間に資料の散逸したものも少なくないため苦心を要したが、昭和27年5月、上杉鷹山の資料を求めて米沢に行った帰途、東京大学構内の維新史資料編纂所の世話になったのを手始めに、各地図書館で関係既刊文献に目を通す一方、秋月両家の所蔵物の拝見を請い談話を拝聴し、武藤君の手元にある郷土資料を見て、不完全ながら一通り伝記体に纏(まと)めることが出来た。-中略- 

 わたしたち二人としては熱意をもって事に当たったつもりである。それは等しく藩士の家に生れ、秋月家の恩顧を忘れ得ぬものがあるからである。武藤の實家、蓑江の手塚家は、種茂の名臣手塚五左衛門の次男重太郎(武八郎の弟)の後であり、重太郎は種茂によって弓術家に仕立てられたのであった。

 また筆者五代の祖季仲は細工奉行として明倫堂創立に一役を勤め、-中略- 祖父の季仲守世は種樹の若年寄りの時、江戸に京都に近侍した関係から、高鍋在住時代には年に一度は来邸を請い筆者も幼少ながら高風を仰ぐことが出来たのであった。随って父祖の報恩の気持ちを持って筆を進めたのが私たちの衷情である。 -中略- 安田尚義

 この中の資料が分散したものもとあるのは、故意に遺棄された資料もあるらしい。高鍋藩の城の絵図さえ見つからず、高鍋城(舞鶴城)の再建も出来ていない

 東京大学構内の維新史資料編纂所も、今はネット検索でデータベースにアクセスして史料を引用することが出来ますが以前は大変だったことが伺えます。実際に足で歩いて確かめたい気持ちは持っていますが思うようにはいきません。種樹に実際会っている著者が書いたことはとっても大事なことです。安田氏はどんな人柄だったんでしょうね。

 『安田尚義 高鍋藩史話』解説石川正雄のまえがきには高鍋高校歴史クラブのことが書いてあります。

 昭和38年の夏、クラブの人たちが、高鍋藩史を聞きに来て、その時にテープレコーダーに吹き込み続けたのでそれがまとまった。まとまると、一冊の本にしろという人がいて、それじゃと速記してもらった。史料を補充し、紀年を加え、稿を改めること数回の後にようやくこの一巻が完成した。と書いてあり、先輩の果たした役割が大きかったのを知った。

2006年10月20日 (金)

メルアドの交換、どうするんだっけ!

 家の前に赤い車が止まりました。誰でしょう。懐かしい人でした。パソコン教室で一緒だった、Kさんです。 

 2000年問題でパソコンを買い換えて、簿記だけじゃと思い立ち、教室に通いました。その時に知り合った人です。ずいぶんと時間が経ちましたが、時々寄ってくれます。国道23号のすぐ横ではありますが、嬉しいですね。岡崎から通ってみえました。

 息子さんの通っている大学がある、秋田に行ってきたからとお土産をいただきました。“きりたんぽ”でした。あんまり寒くないけど、夕飯はきりたんぽの入った鍋でもつくりますか。メールのアドレスを交換します。ちゃんと登録されたか確認します。

送ったよ。

届かないね。

送信メールに入ったから送ったんだよね。

届いたら着メロなるでしょ。

そうだよね、ぷーさんがね、「メールが届いたみたい」って教えてくれるんだよ。

じゃ、逆に送信してみよっか。

えーっと、こうして、ああして・・・。

出来た!出来た!

送るよ。

届いた。届いた。登録したアドレスが表示されたよぉ。

おかしいね、送ったメールはどうなったんだろう・・・。

というわけで、メルアドの確認をされて、三重に行かれました。

 それにしても、今年は寒くならないですね。鍋もおでんもあまり恋しくなりません。半袖でも大丈夫です。我が家の猫たちも、体を伸ばしてお昼寝中です。気候がいいせいか、年をとったせいかよく寝ます。猫は夜行性ですが、夜もよく寝ています。近所のゴールデンレトリーバもよく寝るようです。その犬はもうじき10歳です。

 栗きんとんも鬼饅頭もおいしくなりました。いい季節です、満喫したいと思います。

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2006年10月19日 (木)

種樹 新政府教育制度の確立へ

あでやか 秀吉の大阪

豊臣時代の大阪城や大阪の町並みを書いた屏風絵がオーストリアの古城で見つかったHideyosino_oosaka11。作者不詳だが、慶長年間(1596~1615)の大阪の風景を描いたものと推定される。 -中略- 屏風絵は高さ約1.8メートル、幅約4.8メートトルの大きさ。朝日新聞10月19日朝刊より。

MIYAZAKI 秋月種樹

種樹は明治天皇の侍読をしております。月に24日も講義するから忙しいんですが。別の仕事も忙しいんですね。

明治2年正月には版籍奉還を四藩連合して願い出ます。それとは別に秋月種樹も同年2月には自ら版籍奉還の檄を飛ばして30余藩の賛同を得ます。主導権は薩長土肥の大藩にあったが、多数の小藩を動かしたことでその機運を早めた。6月17日版籍奉還を命じます。

(明治元年6月20日 高鍋藩主 秋月種殷は版籍奉還の請を聴し、更に各其藩知事に任命されています。)

明治2年4月17日 制度寮選修森金之丞を同寮副総裁心得と為し、副知学事秋月種樹の公議所議長を罷め、制度寮准選修神田孝平「孟恪」を以て仮に公議所副議長を兼ねしむ。

明治2年5月12日 参与大久保一蔵「利通・鹿児島藩士」・同副島二郎「種臣・佐賀藩士」に行政官機務取扱を命じ、二郎及副知学事秋月種樹「右京亮・高鍋藩世子」を教導局兼勤と為す。

種樹は新教育制度を、確立させるために学校取調御用掛になります。

その顔ぶれ

議長     山内豊信 

弁官事   秋月種樹

権弁官事 菱田文蔵、松岡七助(土佐)細川潤次郎(土佐)一等訳官神田孝平、外国官権判事森金之丞、内田恒次郎(静岡)。

神田孝平は洋学者、森金之丞は後の文部大臣森有礼であり、山内豊信は坂本龍馬の殿様山内容堂その人です。

秋月種樹とは別懇の間柄で、「取調」の進行につれて議長の豊信を知学事、副議長格の種樹を判学事にして 新教育制度を確立させていきます。

明治2年6月 「大学規則」の発布

「御用掛」が廃止されると、豊重は辞して、松平春嶽が「大学別当(本官をもつ人が他の職務の統轄に当たるときに補任される職名)」になり、種樹が小監に任ぜられ助けていきます。

教育問題が発生します。国・漢・洋三派の抗争が始まるのです。国学者は、維新の原動力は国学にありとし、教学の中心にと主張します。漢学者も負けてはいません。政府の洋学尊重の態度も織り込まれて、複雑になっていきます。漢学者である、種樹は苦しい立場になります。

一度は辞職を願い出ますが、10月22日にはそれまで欠員だった大学大監に進みます。

このことは『藩尾録』に東京便りとして報じられたとあります。

 

参考書籍 安田尚義 高鍋藩史話 解説 石川正雄

参考史料 維新史料綱要データベース

2006年10月18日 (水)

日向現代彫刻展 MIYAZAKI

ふるさと・宮崎の高校の先輩からたよりが届きました。
素晴らしい彫刻家です。宮崎の偉人になられる人だと聞いたことがあります。
海外でも活動されています。
各位
去る9月21日から10月11日まで開催されました”日向現代彫刻展~シンポジウム2006~”のサイトをUPしました。
日向現代彫刻展は今年度から”まちづくり支援事業”として民間組織で開催することとなり
少ない予算での少人数による国際シンポジウムとして再出発することになりました。
画像の補足としてWEB GALLERYもUPしました。  http://06hyuga.hitoshi.ninja-x.jp/
またUMK宮崎放送が本日からHPによるストリーミング映像配信を始めました。
14日に放送された彫刻展特集の番組がワンクリックで見れます。
トップページ右の”ういーく”と言う番組”の<芸術の秋 彫刻づくりに挑戦>をクリックしてください。 (21日まで)
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  宮崎彫刻グループ事務局   田中  等     
知らない間にブログに作品が掲載されたり、経歴が紹介されていて驚かれることがあるそうです。
田中さんとの初めての出会いは、美術部に入部してスケッチに行った時ですから、今から30余年も前のことです。日向現代彫刻展を知りメール交換をさせていただくようになりました。写真で見る限り、お変わりありません。
素晴らしい先輩を紹介できて感慨をあらたにしています。
田中さんのHP 田中等彫刻工房

2006年10月17日 (火)

読書会のうらばなし

 帯電話でFMラジオを聞きながらレインボーホールの横を通る。大きいトラックがたくさん止まっている。誰のコンサートだろう。ラジオで紹介してくれた。マライア・キャリーが明日来るって。今朝のニュースで黒い衣装で歌う彼女を見たばかり。相変わらずきれい!!名古屋ドームじゃなくって、レインボーホールか。明日は電車で帰ってくるのは要注意かな。

 書会の志をり制作の日。相変わらず集まりが悪い。老後をいかに楽しんで暮らすか模索している年頃です。読書会だけではつまんないんで、朗読を始めた人。地元のミニコミ誌の編集にかかわっている人。なにやらの会合が忙しい人。それぞれです。仕方ないですね。それでも、順調に志をり制作は進んでいます。来週はカットを入れ、最終校正までいきたい。そうすれば、後は印刷だけです。

 をりの原稿を依頼した、司書のYさん。図書館に来て2年目。名古屋の人になろうと一生懸命の様子。ガイドブックなど買っては日々研究されているようだ。Yさんは名古屋の食べ物になれようといろんな食べ物に挑戦されているらしい。味噌カツ・きしめん・ういろうなどなど。一番はまって見えるのが、名古屋の喫茶店のモーニング。凄いですよ。珈琲の値段で、ゆで卵・野菜サラダ・トースト。お店によっては、うどん・茶碗蒸し・パンのバイキングなどなど。一度試してみる価値ありますよ。

 さんがまだ味わっていないものが二つあるそうです。あんかけスパひつまぶし。読書会のメンバーの一人が文章を読んでかわいいわね。わたし、ひつまぶしおごってあげようかな。って。H来軒のおかみさんのNagoya弁も聞いてほしいし。と大盛り上がり。みんな若いお兄さんには弱いんです。

2006年10月16日 (月)

種樹は明治天皇の個人教授?

明治天皇は勉学がお好きなようである。

明治2年(1869)4月12日の太政官日誌に明治天皇の御日課日程が書いてある。

一、七ノ日。朝辰半時(九時)詩教講義 中沼六位 

      昼午(一時)資治通鑑講義 秋月右京亮

三、八ノ日。朝辰半時 詩経御稽古御復読 

      昼午半時 御親講貞観政要 帝範 秋月右京亮

四、九ノ日。朝辰半時 詩経御復読 秋月右京亮

      昼午半時 大学講義 中沼六位  

五、十ノ日 朝辰半時 詩経御稽古 御復読 秋月右京亮

     

      昼午半時 国史講義 福羽六位

                平田六位

 

これによって見ると中山了三が月に十二日、福羽美静平田鉄胤がそれぞれ六日に対し、種樹は二十四日に亘って御進講し、そのうち『資治通鑑』と『貞観政要』は帝王学の主日程であり、いかに天皇の君徳涵養に種樹が貢献したかが察せられる。

詩経の講義、御稽古、御福読を連日にわたってなされた明治天皇は多くの名歌を残される。

参考書籍 安田尚義 高鍋藩史話 解説 石川正雄

2006年10月15日 (日)

出版社から届く!

 宮崎の出版社に2冊の本を頼む。地元の本は地元に限るかなと、出版社のサイトからお願いしました。何にも言ってきません。注文の確認も・・・。

 メールの再送をするか、友達に頼むか迷っていました。友達は快く引き受けてくれるのはわかっていますが、時間がちょっとかかりそうです。

 案じるほどのことはなく、商品が届きました。びっくりです。お客さんを簡単に信用していいのって聞きたいほどです。今まで品物を頼むと必ず確認のメールがきました。メール交換を2回はしないと、商品は送られて来なかったんです。

 のんびりとした宮崎の県民性が偲ばれました。人を疑わずに生きていけるのはうれしいですね。こんなことばかりじゃないでしょうが。

 届いた本は

『志は高く』
高鍋の魂の系譜
著者:和田 雅実

『高鍋藩史話』
著者:安田 尚義

の2冊です。とっても楽しみです。

2006年10月14日 (土)

信長隊を見たよ!! 名古屋まつりで

  栄に用があって出かける。運良く、名駅の英傑行列が見れるといいなぁと名駅まわりで。ドラゴンズ優勝セールと名古屋まつり が重なっているのでどんなに混んでるかと思っていった。

 駅前はそう混んでなかった。交通規制をしていたので、もうじき来るだろうと待つことにする。前から二番目だから写真も撮れるかと。

03567_1  待つこと20分で、高校生のバトントワリング、小学生の鼓笛隊、どまつりのときのチームが二組。一組は鳴海商工会でした。ゆっくり、行列は進みます。

03565_1 みんながざわざわしてると思ったら、 加藤晴彦君の乗った車が来ました。バッチリ、目の前です。かわいい写真撮れました。

 あまりにゆっくりの行列でしたが、信長隊だけは見たいと思って待っ03579_1 03591_103585_2てました。信長に扮する?さんではなく信長を見るつもりです。初めて、まじかで信長隊を見ました。感激!!!

03582_1   

MIYAZAKI 種樹 新政府 議長になる

 パ・リーグのプレーオフ終わりました。日ハムの新庄かっこよかった。相変わらずファンサービスも素晴らしい。でもね・・・。

 ソフトバンクの斉藤和巳投手、彼の頑張りがまたよかった。最後打たれて、負けたって思ったときのマウンドの姿。力を出し切ったんだなって。胸が詰まるような感動でした。

 今年のプロ野球、実に実りあるというか、内容の濃い試合が多かったのかな。見せてもらったって感じがしました。ソフトバンクの寺原投手なんか、途中心配で見るのが怖いような時もあったけど、よ~く楽しませてもらいました。

 寺原は宮崎県人ですから、ちょっと心配。ぬくぬくといい気候の中で育ってますから(自分のことかも)粘りに欠けるような気がして仕様がないんです。復活した寺原、もう少し勝ち星が欲しかったですね。来期こそは二桁を目指して頑張れ!!!

 秋月種樹 

明治元年7月23日 弁事秋月種樹を以って議政官下局議長を兼しめ、鍋島直紀を甲府城代と為す。

明治元年9月10日 議政下局議長秋月種樹「左京亮高鍋藩世子」議事の曠発日久しき情陳じて下命を請ひ、且議事院開設及ひ議長の銓衡・議員の東幸供奉等に就き意見を上がる。

明治元年9月19日 議政・行政両官の事務分割し難きを以て、仮に議定、参与をして行政官に入り、機務を商議せしむ「政体書は、旧に仍りて之を改めす」。又議定山内豊信を以て議事体裁取調総裁を兼しめ、下局議長秋月種樹、参与福岡孝弟、大木喬任、外国官権判事鮫島尚信「誠蔵」、森有礼「金之丞○二人並に薩摩藩士」、一等訳官神田孟恪「孝平○駿河藩士」にご用掛を命す、尋て議事体裁取調所を東京に置く、是日、駿河県知事水筑竜を罷む。

明治元年11月2日 議定山内豊信「容堂・前高知藩主」・弁事秋月種樹「左京亮高鍋藩世子」・権弁事菱田文蔵「重憘・大垣藩士」を以て学校取調用掛を兼しめ、高知藩士松岡七助を同掛と為す。明日、高知藩士細川潤次郎を任ずる又同じ。尋で「四日」徴士一等訳官神田孝平「孟恪・静岡藩士」・同外国官権判事森金之丞「有礼・鹿児島藩士」をして並に同掛を兼しめ、静岡藩士内田恆次郎「正雄」を同掛と為す。

 三権分立を企画した4月の改革は、立法府として議政官を置き上下ニ局の二院制をとった。下院は上院の命を受け、租税、駅逓、貨幣、権量、内外の通商章程、拓疆、戦線講和、水陸捕掌、招兵、集糧、兵賦、築城等の諸問題を議するを職とし、欧米諸国の下院に擬した。ここの議長に7月23日になる。ここ下院は代議機関としては不完全だったから調査研究を加える必要に迫られてつくられた、この調査機関が議事体裁取調掛だったと。上局の議長に山内豊信が、下局の議長に種樹をと、辞令が出た。

 秋月種樹は侍読としても忙しかったが、下院で二人前も三人前も働いた。明治政府は種樹を必要としたのである。侍読は明治3年7月13日まで、二年を越えて明治天皇に奉仕した。

2006年10月12日 (木)

テニス三昧は疲れる!

 テニススクールの日です。なんだかんだって休むから振替が溜ってしまったので、一枚だけ減らすことに・・。

 スクールのサイトを開いたら、前のサイトが開いて、コーチが世界の王者フェデラーとアメリカで撮った写真が・・・。先のジャパンオープンのフェデラー強かったですね。初めて日本に来たフェデラーですが、すっかり日本が気にいったようです。来年も来てくれそうですね。今から来年のスケジュールを調整するって、11日の朝日新聞の夕刊に載ってました。試合が終わったあとで、サインしてそのボールを客席に・・・。欲しいですね、フェデラーのサインボール。現在のテニスラウンジ鳴海のサイト

 まず、いつもの初中級クラスへ。ヘッドコーチ、よ~く走らせてくれます。コートの隅から隅までひたすらボールを追っかける。最初は取れてたけど、そのうち追っ付けなくなってしまった。おまけにもっと、遠くにボール出し。

 10月ですが昨日の雨とは違って秋晴れです。気温も28度まで上がるっていってた。まー暑いこと。汗が目に沁み痛いし・・・。コーチだけは平気な顔してる。

 3人で近くのコンビニでおにぎり2個ずつ買って来て昼食。おしゃべりしながら体調を整える。次のクラスはビギナークラスですが、長~く頑張ってる人ばかりです。

 そうそう、テニスを始めて、4年目に入りました。よくも続いてるねって二人で話してたら、コーチが僕のお蔭でしょって。全くその通りです。いろんなコーチがいますが、ヘッドコーチが一番です。心配りも完璧です。コーチに飛んでいく球を避けるのも。そういうコーチも鳴海に来て随分経ったような。お互い頑張っています。

 ビギナークラス、球出しが優しくって、タイミングが取れずに、あたふたしました。情けな~い。も一度基本に返って、ていねいに打ち返します。

 まぁー疲れました。(笑)各1時間20分のテニス三昧。以前はこのクラスだったので、懐かしい顔があります。同窓会でもしてるような気になりました。おもろかった。心地よい疲労感です。

2006年10月11日 (水)

『ゴッホの贋作』 を読む

 『ゴッホの手紙』 小林秀雄著 を読んでみたくって、図書館に予約したが冊数が確保できずに『ゴッホの遺言 贋作に隠された自殺の真相』を読むことになる。

 ゴッホはどんな人なのか。糸杉とか、烏のいる麦畑などを見るとどうしても気になります。ゴッホの遺言』 小林英樹著 の中に、

作品と書簡から受けとめたイメージから、-略- ゴッホと共同生活を送りたいと思う者がいるだろうか。だれだって全部見抜かれてしまって丸裸のまま妥協を許さないゴッホの前にいつまでも立っていたくはないだろう。さらに、わたしたちはゴッホのすさまじいほどの議論好きな面を実際には体験していない。実際のゴッホと付き合うのは、体力があり、よほど度量が大きいか、鈍感でなければ耐え難いことであろう。 P302

とあるから、とても大変な人だろう。弟テオの奥さんヨーとの関係もこじれてしまいます。詳しくは読んでください。些細なこと(?)と思えることがきっかけになって、自分がいなければと思ってしまうのです。

 この本を読んでいて、悲しいのは絵が売れないことです。絵さえ売れれば、弟夫婦に絵の具代の負担をかけることがないので、もう少しはなんとかなったんだろうと思う。ただ、現在残っているような作品だったかどうかは別にしても・・。

 ゴッホにあなたの絵は凄~く価値が認められていますよって、伝えたいなあって思います。ゴッホ自身、自分の描いた絵の価値が上がることは知っていただろう。これほどの値がつくとは想像もしていないだろうが。時代を先取りしたばっかりに認めてもらえなかった。ゴッホが亡くなったのは1890年。

2006年10月10日 (火)

涙・涙の落合監督 中日優勝!!

 中日ドラゴンズ優勝!!東京ドームが青い色に染まったようなそんな感じだった。ついにセ・リーグ優勝です。マジックがついてから長かった。どこまでもどこまでも迫ってくる阪神タイガース。

 延長12回福留の勝ち越し点。落合監督の目に光るものが。何度も何度も映し出される監督はタオルで流れる涙を拭いている。映し出される度に顔を拭いている。

 インタビューに答える監督

「何があってももう勝つんだって一念が全員がもってましたから。ほんとにあり061010_222501061010_222601がとうよかったしかありません。負けて胴上げでしたから勝って胴上げはほんとにいいですね。あのー 絶対泣くまいと思っていたんですが泣いたのはあたしが一番早かったと思います。ありがとうございます。」

Dsc03541印象的な落合監督でした。それに山本昌も。写真は BS1の放送を携帯電話で。

こねこ 哀れ!

SusukiAkisora  すっかり秋の気配になりました。ススキがきれいだった。空もすっかり高くなりました。

吾木香すすきかるかせ秋草のさびしききはみ君におくらむ (牧水)

捨て猫の季節、こんな季節? あるんですよ。憂いの時期ですね。広島の悲惨な犬たちがニュースでながれていますが、猫の世界もね、また苦しい。外国在住の作家が、避妊手術より、生まれたこねこを崖から捨てるといって問題視されていますが。現在も日常茶飯03531に行われている。崖から捨てなくても、公園にダンボールで捨てていく。誰かが拾ってくれるだろう・・・。ってこと。

  草むらの中から、悲愴なこねこの声が聞こえる。生後どのくらいでしょうか?かわいいじゃないですか。親猫が見当たらないのでこのこも捨てられたんかな!!!ちっちゃいのに一人前、怒ってます。

03396 この猫は迷い猫。足に怪我をしている。近所の子供が世話している。オスだからそのうちいなくなるだろうって、とりあえず親も黙認。子供らに命を支えられている。

 03533この親子はのら。夏前に生まれたこねこ。母猫にしっかりガードされている。

03019 このこらはお宮さんの境内で生きてる兄弟猫。

03314 姉妹で捨てられた猫は親になり仔猫を生んだ。生まれた仔猫たち、2匹がもらわれていった。

32030353203303

2006年10月 9日 (月)

ソフトバンク 寺原 頑張れ!

 プレーオフ 西武との最終戦、ソフトバンクの寺原、先発。大事な試合に投げれて嬉しいですね。今日は誕生日でもあるらしいので勝ってほしかった。。4回まで無失点ながら、その後打たれてしまった。が、ソフトバンクは逆転で勝った。中々勝ち星がつかない寺原頑張れ!!

 今年は3勝7敗・・・もちょっと何とか勝って欲しい。本人が怠けてると思っているわけじゃない。いい顔になってきたと思うんだが。月17日ほど格好よくなくてもいいのに。

豊橋市 路面電車と豊橋公園

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吉田城此は豊橋市の豊橋公園にあって、一部豊城高校に接しています。こ の境も土塁ではないかと。土塁の中に内堀があります。

03432

吉田城の縄張り 

 吉田城の縄張りは豊川や朝倉川を背に本丸を基点として、二の丸・三の丸を前面と側面に配した半輪郭式の「後ろ堅固の城」と称されるものである。ただし、この縄張りの欠点は、河川を背にして戦う背水の陣なり、さらに背後からも渡河され、本丸を直接攻撃されやすいことにある。このため、吉田城は本丸背後に腰曲輪を備え、石垣よりも高く強固なものとしてその弱点を補っている。

 その城域は、東は現在の飽海町から旭町、南は曲尺手町から呉服町、西は関屋町に達するおおよそ840.000㎡(約25万5千坪余り)に及ぶ広大なものであった。

 今橋城時代の縄張りがどのようなものであったか、それを裏付ける史料はない。ただ、『牛窪記』に「文亀年中今川氏親三河今橋之辺ヲ見立テ、城ヲ御築アルベキ由・・・・依テ入道ガ淵ノ上、馬見塚ノ岡ヲ引キナラシ数千ノ人夫ヲ集メテ、永正ニ乙丑成就ナル」とあり、塚、岡の名称からも、実際にはそれほど広い場所を指したものではなく、起伏のある台地を生かし、谷を自然堀とした程度のものであったろう。また往時の本曲輪は、現在の本丸と三の丸会館の間の金柑丸跡を中心とする一帯とされる。(吉田城のパンフレットより)

 北側の豊川の方から急な石段を登って行くと芝生があり、ここに本丸と御殿があった。などと想像すると楽しい。

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羽田八幡宮の祭りをやっていた。03406東三河地方独特の手筒花火約700本が奉納されるという。御輿も手筒花火なんですね。市役所の前に吉田神社があって、手筒花火発祥の地の説明があります。豊橋は路面電車が走っています。一回大人150円、いろんな町から路面電車が集まっています。楽しい事がいっぱい詰まった町でした。

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2006年10月 8日 (日)

今川義元の父が作らせた吉田城?

 豊橋市までJRで行く。日曜日は切符が安いんです。何故って・・・名鉄と競ってるからです。名鉄はだいたい直線でレールが敷いてあります。高低さがありますが直線ですから時間がかからない。一方JRは出来たのが早かったせいか平地を選んでレールが敷かれたんで海沿いを蒲郡の方へ行きます。当時はSLですからね。馬力がないんです。だから、平たいところを選んだんでしょう。

03403kippu  名古屋→豊橋間は、名鉄もJRも48分、土曜日の往復料金はどちらも1500円です。平日はどちらも1800円。片道だと、JRが1280円、名鉄だと1080円プラスミューチケット350円がいる場合もあり。どちらに乗りますか?最寄の駅がJRなので今回はJRで行きます。

03413toyohasi  豊橋駅を出ると、青二才というバンドがストリートライブをやってたのでしばらく聞いていました。愛知大学でライブがあるそうです。若い人は頑張ってるなぁという感じですか。多少は分かる豊橋の町、歩いていきます。一号線沿いですから簡単です。豊川の堤防の方から下に下03415tetuyaguraりて、水際を歩きます。中々いい散歩道です。魚をとっている人がいます。すぐに石垣が見えてきます。ほんとは豊川に架かる吉田大橋を渡って対岸から見たかった。橋が長いんで諦める。下から見てもいい感じです。昭和29年に再建された鉄櫓がよく見03414isigakiえます。

 

吉田城の歴史

 吉田城の歴史は、永正2年(1505)年、今川氏の被官であった、一色城(豊川市牛久保町)城主の牧野古白により、その前身の今橋城が築かれたことに始まる(明応5年説もある)。

 戦国乱世の世の中で、東三河の要であった今橋城は、今川・武田・松平(徳川)ら、仙石武将の激しい攻防を繰り返す中で、名も今橋から改められた。永禄年(1565)、徳川家康は今川氏の東三川における最大拠点であった吉田城を攻略し、ここに酒井忠次をおいた。

 天正8年(1590)、家康の関東移封によって、池田輝政が15万2千石で入城し、城地の拡張と城下町の整備を行ったが、慶長5年(1600)関が原合戦の後、播州姫路に所替えとなった

 幕藩期には東海道の要衝として、竹谷松平2代、深溝松平2代、水野忠清、水野忠喜、小笠原4代、久世重之、牧野2代、大河内松平の松平信祝、本庄松平の松平資訓、そして再び大河内松平7代と譜代大名が在城したが輝政によって拡張されたこの城も、財政的要因のため完全に整備されないまま明治に至った。(吉田城のパンフレットより)

 今橋城を作るように指示したのが、今川義元の父、今川氏親だということです。長くなってきたので、吉田城の続きはまた・・・。

2006年10月 7日 (土)

人気者シャチのクー

名古屋港水族館(9月28日の水族館にリンクします。)のイルカとシャチのクーの動画をHPに載せました。とっても可愛いですよ。見に来てくださいね。

 デジカメで撮影したものをWindowsのムービーメーカーで編集しました。25MBもあったので小さくしたらちょっと見にくいかなぁ!!!アングルもなれないせいか・・・見にくいかな。アップでなく、遠くからの方が全体は写せるかも。大きい顔に小さい目がよかった。一日中張り付いてプログラムを覚えてカメラを構えてみたい気になりました。また、いつか機会があったら。

2006年10月 6日 (金)

MIYAZAKI 明治天皇と種樹

 知ってると思っていた、幕末から明治初めまでですが、実は知らないってことばかりです。考えてみれば、中学でも、高校でも遅れている教科書の進み具合を取り戻す為に内容が薄かったかも。学校で習ったと思い込んでいたかなって思います。

 明治元年4月に、政府は五ケ条のご誓文の趣旨に基いて立法・司法・行政の三権分立を明らかにするため組織を改めます。秋月種樹は4月21日を以って内国事務局権輔が廃官となり、同日改めて行政官の弁官事(明治元年(1868)太政官の総裁局に置かれ庶務に従事した職員の称。)に補された。   

行政官  

輔相  三条右大臣(実美)

同   岩倉右兵衛督(具視)

弁官事

とあり、弁官事10人のうちの一人が秋月右京亮になっているのです。 

Meizisosiki1

http://page.freett.com/sukechika/meizi11/05settei/meizi09-1-1.html

の組織図を見ると明治天皇の下に、三条実美、その下に岩倉具視の名前があるので秋月種樹(右京亮)はここの事務方なのかなぁ。

5月には弁官事のまま寺院専務を命ぜられ、同時に従四位以下に叙せられた。叙位については兄秋月種殷を越えることもあって、固辞したが許されなかった。って。いつまでも奥ゆかしい種樹ですね。この頃先に書いた、『迅速兵隊召連レ東下セヨ』との沙汰を受けたんです。その月末には

 弁事職格別繁務ニ付、勤労ノ賞トシテ、紫紐掛緒(衣冠束帯着用時、冠に紫の紐をかけること)許サレ候事。  との恩賞があった。どういうこと。激務だからご褒美なのかな。

 6月15日になって、弁事職のまま、16歳の明治天皇の初の侍読に任命されます。秋月種樹人生最高の光栄ある職務であったと。将軍家茂の侍読を務めた経験が生きたんでしょうか。明治天皇は勉強がお好きなようです。

明治天皇の日課

1、6ノ日。御休日

2、7ノ日。朝御手習、晝史記御講義、御学問所

3、8ノ日。朝、保健大記御輪講、晝、御馬。

4、9ノ日。朝、御手習、晝、神皇正統記御輪読。

5ノ日資治通鑑御講義、小御所。

赤字が種樹の講義であるが、資治通鑑御講義は東京在留の諸侯にも陪聴を許され、質疑応答も許されたと。

 漢皇組の最たる種樹が天皇の前で漢記を論ずるんです。人生最高の感慨だったんでしょね。明治天皇にとってはじめての侍読ですから、信頼も厚かっただろうし。その後、松平春嶽も侍読になっています。今の時代から見えるものと、この頃見えるものは違います。当時、明治天皇は最高の人でしょ?

       参考資料 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹

2006年10月 5日 (木)

歯磨き 出来てますか?

えーっ うそーっ!

そんなに効果あるの?

 何のことって、歯磨きガムのことです。友達が先週歯医者に行って、「Hさん 最近なんかあった。磨けてないねぇー」って言われたって。おかしいなぁ。いつも通りに磨いてるのにって。

 そこで、考えたんです、Hさん。ガムを噛まなくなったことを思い出した。ガムを噛むのって、かぶせてあったりするのが、取れると嫌なんで噛まなくなってたらしい。一週間、ガムを噛んだらね。先生に「Hさん、今日はきれいに磨けているね」と言われたよって。

 キの付くガム噛んでますか。年を取ると、歯と歯の隙間が広くなったりするって。どうしましょう。力を入れて磨くと色々弊害があるようなので気をつけなければ、若く(?)いる為には、歯は大事です。

話題は変わりますが・・・。ご近所Oyako1_1BurawnAssyujpg猫の画像を見てください。

   

ご近所犬も紹介します。左から、トム、メグ、ぺるです。

TomMeguPeru 

みんな可愛くっていいなぁ!

2006年10月 4日 (水)

鬼まんじゅう

Dsc03391昨日の読書会に鬼まんじゅう  の差し入れがありました。聞くところによると、名古屋にしかないとか愛知の名物だとかって。いもまんじゅうとも言うそうですが。

作り方はいたって簡単です。洗ったサツマイモを皮付きのままサイコロに切り、小麦粉を入れて水を入れよく混ぜ合わせ、蒸し器で蒸したら出来上がり。と昔は作ったようですが、最近はもっといろんなものを入れます。サイコロに切った芋は水に晒してあくを抜き、ざるにあげて砂糖をまぶして少し置く方もあるようです。甘いお芋が好きな人にはいいかも。粉を入れるときに水以外に牛乳を入れたとか、小麦粉だけではなくって白玉粉を入れると食感がいいと言う人も見えます。

 昨日の鬼饅頭は、私もお気に入りの本松のものでした。

MIYAZAKI 高鍋兵 凱旋

 高鍋兵はどこにいるか。庄内藩との決戦から、雷村で多数の犠牲者をだしながらも、戦闘は続きます。銃弾や食料を持って関川Wata3 まで進んできます。敵の根拠地ですから、次々に攻めてきます。9月16日は、敵の矢面に立つ台場への交代です。しかし一小隊では守りきれるわけもありません。間もなく敵兵300人もが来襲し、薩摩州隊に連絡したが間に合わず応戦します。高鍋兵の持ち場は関川第一の要塞でした。敵は主力を集中させてきたので苦戦します。薩の岩川隊が側面の敵を駆逐した為、敵は遂に断念し、やっと敗走していきます。(写真はせきかわ歴史とみちの館

 高鍋藩の鈴木來助が27歳で命を落とします。連日の戦闘で疲労甚しく、病人、けが人も続出したので休養を与えられました。19日になって水戸兵、若州兵が到着したので遊軍となり、喜びは大きかったと。戦いから開放されたんですから・・・ね。

 鶴岡に入り、27日に『米沢口の官軍西郷隆盛の許に庄内藩降伏』の報が達せられ、庄内城下への進軍となります。水戸藩小一隊とともに先鋒を務めます。10月1日になると、参謀黒田清隆が鶴岡城巡見に、続いて東北遊撃軍将久我卿がやってきます。

 4日になるとやっと、凱旋の命が下ります。新潟に葬られている戦友のために招魂祭を執行し、北陸道を逆行して京都に11月16日に帰ります。

 この戦功に対して明治2年6月 朝廷から藩に八千石の永世祿の下賜があったが、高鍋藩知事秋月種殷は、辞退を申し出るが、却下された。今ならもらって当然、もっと欲しい知事もいるかもしれない? 私だったらどうしよう、プライドもいいけど、知事さんは戦闘に参加してないもんね。この知事さんは人格者だから、皆が付いてくるのかな。

 

2006年10月 3日 (火)

読書会・大イベント

 読書会の年に一度の大仕事、志をり制作の時期になりました。皆忙しいのか、原稿の集まりがよくありません。欠席の方も居られます。

 そんな中旧会員Tさんから連絡があり、寄稿してくださるということです。お元気だろうとは思っておりましたが高齢ゆえ遠慮しておりました。嬉しいですね。退会されて5年になります。90歳になられるというんですから、びっくりするやら、安堵するやらでお元気なことをみんなで喜びました。俳句を始められたと聞いてまた、驚きました。負けてはおれませんね。

  南図書館の館長さん、司書さんからもお願いしてあった原稿が届きました。これからが大変です。校正というのは何度やっても、完璧ということはありません。手書きで清書される人がほとんどですから、そこでも間違いが発生します。書いたつもりでも、脱字、略字、漢字などのミスなど。パソコンなら変換ミスはつきものです。気をつけていてもダメですね。余り難しいことは言えないんですが、文章を直すことはなるべくしません。個性が大事ですから。話言葉も日々変化しています。NHKアナウンサーのことばおじさんに聞いてみたい新しい言葉とか難しいんです。あとはカット入れなど楽しいこともあります。順調にいきますように!。

 

 

2006年10月 2日 (月)

日本書紀は読むほどに???

 古代遊学会に参加する。2ヵ月ぶりなので皆に懐かしそうな顔をされる。最初が代表。笑顔は嬉しい。

 【近鉄電車で正倉院展、行くよ!!!】の案内。近鉄か、ずいぶん前に名古屋から蟹江駅まで乗ったのが最長。出来たらビスターカーに乗りたい。

『日本書紀 下 』の皇極天皇三年春一月一日から皇極天皇最後まで。日本書紀のハイライトといわれる方あり。高麗と中国の戦い?読めば読むほど疑問が増える本です。中臣鎌子は中臣鎌足なの・藤原鎌足なの・・・。同一人物でないの?みんなの考え方があって正解。こうだと言えない。代表、自分は疑い深いと、代表の補佐は物知りだが、自分も疑ってかかると・・・。

 虫祭りの話もあり。橘の木に生じ、あるいは山椒の木にもつく。色はみどりで黒いまだらがある。その形はたいへん蚕に似ていた。って何のこと?アゲハチョウ以外にも何かありそう・・・。

2006年10月 1日 (日)

井沢元彦氏の名古屋城!!

9/30(土)

060930_134201060930_134101  友人から誘いがあり、 中日新聞のイベントに行きます。記念日の新聞あげます、株式 投資、健康管理、絵手紙などのコーナーに分かれていて好評のようでした。年配のお方が多い。

 時間丁度に伊沢元彦氏の歴史セミナーが始まります。自己紹介もそこそこに本題に入られました。『戦国武将たちの知られざる城盗合戦』というタイトルです。名古屋城の本丸御殿の復元イベントに参加された話から。

 何故復元すべきか。名古屋城は終戦直前の5月まで現存していたから、復元する史料や図面が完全に残っていますと。ふすま絵も、備品も残っているそうです。名古屋城は現在史蹟ですから、本物を作る以外に文化庁の許可はおりないそうですが、本物を作るということで大丈夫。本丸御殿は木材で作られます。木曾ヒノキの切り出しのニュースもありましたね。着々と復元に向けて動きだしています。本丸御殿の復元事業知ってはいますが、あまり関心がなかったんです。どういう風になってるか知らないからです。知ろうともしなかったからです。今ある名古屋城が鉄筋コンクリートで作られているのでそんな風なら・・・と勝手に思い込んでいて、また税金が投入されるんか。としか思ってなかったんです。協力する気持ちが湧いてきました。

 戦国武将の話、面白かったです。那古野(なごや)城は今川氏が作ったが、氏豊が城主のときに信長の父秀忠が連歌を利用した策略でのっとった。信長はこの城で生まれたというのが定説です。三歳で城主になりますが、大人になって清洲城に移ります。那古野城はその後廃城になり、家康が再建します。と、次々に話題が広がります。

 一豊は関が原の戦いで功績がないのに掛川城主から、一気に25万石の高知城の城主になれたのか。姫路城・高知城・墨俣城・小牧長久手の戦い・川越の夜戦など楽しく話されます。聞いている側も歴史が好きですから、基礎知識があります。その上に積み上げて聞きますからよ~く分かっておもろいんです。まだまだ奥が深いです。

 京都の伏見城天守閣は秀吉の遺言によって家康は入ることを禁じられていました。では、どうしたか。天守には入らずに西ノ丸に小天守を作ったんですって。ここから関が原の戦いがはじまります・・・。話も上手、一時間をフルに使って話をされ楽しかったです。

 友人と地下鉄を乗り継いで金山に戻るのに、逆方向に乗って行き途中で気がついて乗り換えたり、一人だと馬鹿みたいなことも気の合う人なら少しも気にならない。人の心理って愉快だと思った。茶店に入りゆったりとした時間を過ごす。

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