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MIYAZAKI 高鍋兵 凱旋

 高鍋兵はどこにいるか。庄内藩との決戦から、雷村で多数の犠牲者をだしながらも、戦闘は続きます。銃弾や食料を持って関川Wata3 まで進んできます。敵の根拠地ですから、次々に攻めてきます。9月16日は、敵の矢面に立つ台場への交代です。しかし一小隊では守りきれるわけもありません。間もなく敵兵300人もが来襲し、薩摩州隊に連絡したが間に合わず応戦します。高鍋兵の持ち場は関川第一の要塞でした。敵は主力を集中させてきたので苦戦します。薩の岩川隊が側面の敵を駆逐した為、敵は遂に断念し、やっと敗走していきます。(写真はせきかわ歴史とみちの館

 高鍋藩の鈴木來助が27歳で命を落とします。連日の戦闘で疲労甚しく、病人、けが人も続出したので休養を与えられました。19日になって水戸兵、若州兵が到着したので遊軍となり、喜びは大きかったと。戦いから開放されたんですから・・・ね。

 鶴岡に入り、27日に『米沢口の官軍西郷隆盛の許に庄内藩降伏』の報が達せられ、庄内城下への進軍となります。水戸藩小一隊とともに先鋒を務めます。10月1日になると、参謀黒田清隆が鶴岡城巡見に、続いて東北遊撃軍将久我卿がやってきます。

 4日になるとやっと、凱旋の命が下ります。新潟に葬られている戦友のために招魂祭を執行し、北陸道を逆行して京都に11月16日に帰ります。

 この戦功に対して明治2年6月 朝廷から藩に八千石の永世祿の下賜があったが、高鍋藩知事秋月種殷は、辞退を申し出るが、却下された。今ならもらって当然、もっと欲しい知事もいるかもしれない? 私だったらどうしよう、プライドもいいけど、知事さんは戦闘に参加してないもんね。この知事さんは人格者だから、皆が付いてくるのかな。

 

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