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『高鍋藩史話』を著した安田尚義!

 種樹のことを調べていると、いろんな人が関わってくる。種樹本人に影響を与える人もそうだが、『高鍋藩史話』の著者、安田尚義氏への興味もわいてくる。経歴は宮崎の101人に詳しい。

 安田氏は昭和27年、日向文庫『秋月種茂と秋月種樹』と『上杉鷹山』の2冊を書いた。当時の苦労話や当時の人々に対する心づかいも見えてくる。種茂の背景にある封建制度にも解明を加えて種茂の功績を深めるようにしたとあった。

 中でも、 「日向の各藩にも名君は乏しくないので、郷土自慢にならないように常に戒心は加えてきたつもりである。」とあり、自慢したいのを抑えるのに苦心した様子が見えてくる。

種樹については文を引用。 

秋月種樹の場合は纏った(まとった)資料が乏しく、且つその上に歿後五十年間に資料の散逸したものも少なくないため苦心を要したが、昭和27年5月、上杉鷹山の資料を求めて米沢に行った帰途、東京大学構内の維新史資料編纂所の世話になったのを手始めに、各地図書館で関係既刊文献に目を通す一方、秋月両家の所蔵物の拝見を請い談話を拝聴し、武藤君の手元にある郷土資料を見て、不完全ながら一通り伝記体に纏(まと)めることが出来た。-中略- 

 わたしたち二人としては熱意をもって事に当たったつもりである。それは等しく藩士の家に生れ、秋月家の恩顧を忘れ得ぬものがあるからである。武藤の實家、蓑江の手塚家は、種茂の名臣手塚五左衛門の次男重太郎(武八郎の弟)の後であり、重太郎は種茂によって弓術家に仕立てられたのであった。

 また筆者五代の祖季仲は細工奉行として明倫堂創立に一役を勤め、-中略- 祖父の季仲守世は種樹の若年寄りの時、江戸に京都に近侍した関係から、高鍋在住時代には年に一度は来邸を請い筆者も幼少ながら高風を仰ぐことが出来たのであった。随って父祖の報恩の気持ちを持って筆を進めたのが私たちの衷情である。 -中略- 安田尚義

 この中の資料が分散したものもとあるのは、故意に遺棄された資料もあるらしい。高鍋藩の城の絵図さえ見つからず、高鍋城(舞鶴城)の再建も出来ていない

 東京大学構内の維新史資料編纂所も、今はネット検索でデータベースにアクセスして史料を引用することが出来ますが以前は大変だったことが伺えます。実際に足で歩いて確かめたい気持ちは持っていますが思うようにはいきません。種樹に実際会っている著者が書いたことはとっても大事なことです。安田氏はどんな人柄だったんでしょうね。

 『安田尚義 高鍋藩史話』解説石川正雄のまえがきには高鍋高校歴史クラブのことが書いてあります。

 昭和38年の夏、クラブの人たちが、高鍋藩史を聞きに来て、その時にテープレコーダーに吹き込み続けたのでそれがまとまった。まとまると、一冊の本にしろという人がいて、それじゃと速記してもらった。史料を補充し、紀年を加え、稿を改めること数回の後にようやくこの一巻が完成した。と書いてあり、先輩の果たした役割が大きかったのを知った。

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コメント

 歴史って資料集めが大変ですね。児童文学でも、歴史は浅いのですが、それこそ子供のものだからと大きくなったら、捨てられたものが多く、あまり資料が残ってません。また、祖母は新見南吉と同じ年なのですが、だから、南吉も生きていてもおかしくない年なのですが、若くして亡くなり、生前もまだあまり売れてなかったので、資料があまりありません。でも、女学校の教師をしてたので、その頃の生徒さんがまだみえるので、聞き取り調査をしているとのことです。未発表の作品もまだ見つかる可能性もあり、巽聖歌が手を加えて出版した経緯もあり、原本がどこからか見つかるかもしれないそうです。早くしないと、女学校時代の生徒さんも高齢のため、その人物像を調査しているそうです。昭和の時代に活躍した人でさえそうなのに、その前と言ったら、資料集めには苦労されるでしょうね。

ぼんやりっこさん
コメントありがとうございます。

歴史は資料集めが命だと思います。
集め始めると楽しいです。
龍馬講座を受けていた時のように本が集まってきます。整理するのが大変です。
城絵図は幕府が藩の情勢を知るために描かせたもの、正保城絵図があります。
正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図です。城郭内の建造物、石垣の高さ、堀の幅や水深などの軍事情報などが精密に描かれているほか、城下の町割・山川の位置・形が詳細に載されています。各藩は幕府の命を受けてから数年で絵図を提出し、幕府はこれを早くから紅葉山文庫に収蔵しました。って。これが今に残っているんですね。

たまたま、生まれ故郷の新発田藩について検索していたところ、ここにたどりつき、安田尚義氏のなまえをなつかしく拝見しました。昭和43年ごろ、私が南九州大学の学生時代に、高鍋のご自宅にお伺いしたことがあります。事前に、あらかじめ手紙で、打ち合わせのため、夜何時までに電話しますと予告しておきながら、私の怠慢で遅れてしまいました。電話に出た奥様は、ご主人がその時間まで待っていたが、すでに就寝したとおっしゃり、恐縮したり、律儀な方だとお見上げしたものです。訪問時は、私が新潟市の護国神社でメモしてきた、戊辰役殉難者の墓碑銘、たとえば、因藩とか、○○藩とか戦死者の出身藩名を、氏は熱心に写しておいででした。当時の私の専攻は園芸でしたが、歴史に興味があってのことです。安田氏は若山牧水とは大学で同学だったともおっしゃっていました。その後、私は教職に進み、現在は特別支援学校の嘱託を務めております。

はじめまして!
一人歩き始めたこのブログはどこまで行くのか少し心配になってきました。
あなたさまの故郷は、越後国蒲原郡新発田(現在の新潟県新発田市)でしょうか。

南九州大学文化祭に何度か行きました。
43年・・・は高校目指して頑張っていたころかな。
安田氏はどんなお方でしたか?実際にお話が聴けた人は羨ましいですね。

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