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今川義元の父が作らせた吉田城?

 豊橋市までJRで行く。日曜日は切符が安いんです。何故って・・・名鉄と競ってるからです。名鉄はだいたい直線でレールが敷いてあります。高低さがありますが直線ですから時間がかからない。一方JRは出来たのが早かったせいか平地を選んでレールが敷かれたんで海沿いを蒲郡の方へ行きます。当時はSLですからね。馬力がないんです。だから、平たいところを選んだんでしょう。

03403kippu  名古屋→豊橋間は、名鉄もJRも48分、土曜日の往復料金はどちらも1500円です。平日はどちらも1800円。片道だと、JRが1280円、名鉄だと1080円プラスミューチケット350円がいる場合もあり。どちらに乗りますか?最寄の駅がJRなので今回はJRで行きます。

03413toyohasi  豊橋駅を出ると、青二才というバンドがストリートライブをやってたのでしばらく聞いていました。愛知大学でライブがあるそうです。若い人は頑張ってるなぁという感じですか。多少は分かる豊橋の町、歩いていきます。一号線沿いですから簡単です。豊川の堤防の方から下に下03415tetuyaguraりて、水際を歩きます。中々いい散歩道です。魚をとっている人がいます。すぐに石垣が見えてきます。ほんとは豊川に架かる吉田大橋を渡って対岸から見たかった。橋が長いんで諦める。下から見てもいい感じです。昭和29年に再建された鉄櫓がよく見03414isigakiえます。

 

吉田城の歴史

 吉田城の歴史は、永正2年(1505)年、今川氏の被官であった、一色城(豊川市牛久保町)城主の牧野古白により、その前身の今橋城が築かれたことに始まる(明応5年説もある)。

 戦国乱世の世の中で、東三河の要であった今橋城は、今川・武田・松平(徳川)ら、仙石武将の激しい攻防を繰り返す中で、名も今橋から改められた。永禄年(1565)、徳川家康は今川氏の東三川における最大拠点であった吉田城を攻略し、ここに酒井忠次をおいた。

 天正8年(1590)、家康の関東移封によって、池田輝政が15万2千石で入城し、城地の拡張と城下町の整備を行ったが、慶長5年(1600)関が原合戦の後、播州姫路に所替えとなった

 幕藩期には東海道の要衝として、竹谷松平2代、深溝松平2代、水野忠清、水野忠喜、小笠原4代、久世重之、牧野2代、大河内松平の松平信祝、本庄松平の松平資訓、そして再び大河内松平7代と譜代大名が在城したが輝政によって拡張されたこの城も、財政的要因のため完全に整備されないまま明治に至った。(吉田城のパンフレットより)

 今橋城を作るように指示したのが、今川義元の父、今川氏親だということです。長くなってきたので、吉田城の続きはまた・・・。

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