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種樹 新政府教育制度の確立へ

あでやか 秀吉の大阪

豊臣時代の大阪城や大阪の町並みを書いた屏風絵がオーストリアの古城で見つかったHideyosino_oosaka11。作者不詳だが、慶長年間(1596~1615)の大阪の風景を描いたものと推定される。 -中略- 屏風絵は高さ約1.8メートル、幅約4.8メートトルの大きさ。朝日新聞10月19日朝刊より。

MIYAZAKI 秋月種樹

種樹は明治天皇の侍読をしております。月に24日も講義するから忙しいんですが。別の仕事も忙しいんですね。

明治2年正月には版籍奉還を四藩連合して願い出ます。それとは別に秋月種樹も同年2月には自ら版籍奉還の檄を飛ばして30余藩の賛同を得ます。主導権は薩長土肥の大藩にあったが、多数の小藩を動かしたことでその機運を早めた。6月17日版籍奉還を命じます。

(明治元年6月20日 高鍋藩主 秋月種殷は版籍奉還の請を聴し、更に各其藩知事に任命されています。)

明治2年4月17日 制度寮選修森金之丞を同寮副総裁心得と為し、副知学事秋月種樹の公議所議長を罷め、制度寮准選修神田孝平「孟恪」を以て仮に公議所副議長を兼ねしむ。

明治2年5月12日 参与大久保一蔵「利通・鹿児島藩士」・同副島二郎「種臣・佐賀藩士」に行政官機務取扱を命じ、二郎及副知学事秋月種樹「右京亮・高鍋藩世子」を教導局兼勤と為す。

種樹は新教育制度を、確立させるために学校取調御用掛になります。

その顔ぶれ

議長     山内豊信 

弁官事   秋月種樹

権弁官事 菱田文蔵、松岡七助(土佐)細川潤次郎(土佐)一等訳官神田孝平、外国官権判事森金之丞、内田恒次郎(静岡)。

神田孝平は洋学者、森金之丞は後の文部大臣森有礼であり、山内豊信は坂本龍馬の殿様山内容堂その人です。

秋月種樹とは別懇の間柄で、「取調」の進行につれて議長の豊信を知学事、副議長格の種樹を判学事にして 新教育制度を確立させていきます。

明治2年6月 「大学規則」の発布

「御用掛」が廃止されると、豊重は辞して、松平春嶽が「大学別当(本官をもつ人が他の職務の統轄に当たるときに補任される職名)」になり、種樹が小監に任ぜられ助けていきます。

教育問題が発生します。国・漢・洋三派の抗争が始まるのです。国学者は、維新の原動力は国学にありとし、教学の中心にと主張します。漢学者も負けてはいません。政府の洋学尊重の態度も織り込まれて、複雑になっていきます。漢学者である、種樹は苦しい立場になります。

一度は辞職を願い出ますが、10月22日にはそれまで欠員だった大学大監に進みます。

このことは『藩尾録』に東京便りとして報じられたとあります。

 

参考書籍 安田尚義 高鍋藩史話 解説 石川正雄

参考史料 維新史料綱要データベース

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