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今井美樹さんが紅白に初出場!

 紅白歌合戦の出場者が発表された。今回今井美樹さんが初出場。え~っ、初めてなの。ヒット曲もあるし、結婚式で歌われるいい曲も歌ってるのにと思った。まあ、人選は問題ある放送局だからね。

 おめでとうございます。高鍋高校の後輩。実際会ったことはないが、彼女の生家、今井楽器は憧れのお店だった。いつも、ジャズが流れている、おしゃれな店だった。

西都原古墳群が、“日本の歴史公園百選”に。

 全国195ヶ所の候補地から、宮崎県では2ヶ所、西都市(西都原古墳群)と延岡市(城山公園)が選ばれました。
公園を生かした郷土愛醸成や観光振興の取組みが評価されたようだ。嬉しいことです。菜の花やコスモスの咲き乱れる西都原古墳群。鬼の窟屋なんか好きだなあ。


-日本の歴史公園100選について-
 地域に個性や魅力をもたらす優れた歴史的・文化的資源を保存・継承・活用する公園の整備を推進することにより、観光振興や活力に満ちた地域社会の現実を目指す目的として、優れた実例を対象に「日本の歴史公園100選」の選定が行われました。
195件の推薦があり、112件を該当する公園として選定。10月27日に発表。

11月29日(水)晴れ

Dsc04383  ゆっくりしている。今年もあと一月になってしまった。家のことをマジメにやらなきゃいけない。

雄猫が外に出たがって仕様がないので、花の手入れをしながら遊ばせる。リード付きなので、かわいそうと言われる人があるが、いろいろ悪さをするので自由の身でないほうがいいと思っている。

Dsc04389 昨日、なじみの花屋さんがスーパーに思いがけず見えていたんで声をかける。雨が続いたので売れんくって・・・急きょ開店したと言われる。

  ハンギングバスケット用に、葉牡丹紫を2鉢・ピンクを1鉢、ガーデンシクラメン2鉢、プリムラを3鉢買った。植えてみました。どうでしょうか?

近くの大江川緑地の銀杏がようやく黄葉しました。

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アンドレ・ブラジリエ展

Andore_1 先日、“色彩が奏でる、神秘と詩情”と題する、、「画業55年 アンドレ・ブラジリエ」展を見る。

 アンドレ・ブラジリエは、現代フランス絵画を代表するひとりだそうだ。残念ながら、私は初めて見る。日本が好きで、これまでに25回も訪日されてるとか。日本の風呂がテーマの作品があり、納得。馬の姿が美しい。裸婦の群像が躍動する美しい絵があった。色が明るくて、綺麗、大胆な構図も好きかな・・・。

最後のコーナーには、即売場が設けてあり、本物が並んでいた。庶民にはとても手が届かない値段がついていた。何点かは売れるんだろうなと、元気な名古屋を実感する。写真は当日もらったパンフから。

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長浜散策 出会った猫たち

 豊公園で、また猫に会いました。春には日向ぼっこしてる猫に、息子も猫を見かたようです。そこで、猫の写真館!!!

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長浜散策 長浜城歴史博物館

 JR長浜駅から西に歩いてすぐに、豊公園が有りその中を通りぬけると長浜城がある。広い公園で、サルが飼ってある。犬を近づけないでの看板がある。猫も見かける。

 04355_1 長浜城は、豊臣秀吉が初めて一国一城の主となった出世城。関ヶ原04359_1 合戦の後に廃城となったが昭和58年(1983年)に天守閣が再建され、長浜城歴史博物館として公開されている。再建費用10億円のうち市民の寄付が4億3千万円だそうだ。みんな熱い思いがあるんですね。

 館内では縄文土器や賤ヶ岳合戦図屏風といった資料をまじえながら湖北の歴史を紹介している。また、火縄銃も展示してある。

 天守閣「戦国パノラマ展望台」からは琵琶湖や湖北を一望できる。お天気がもう少しよかったら、青空に天守が映えるんだが・・・。

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長浜散策 長浜鉄道スクエアと慶雲館

Photo_1 JR長浜駅に着いたのが11時12分。友人とふたり、まずは有名な鳥喜多支店で親子丼のランチを。本店は駅前にありますが、いつも行列が出来ている。味も若干の違いがあるらしいが支店を 薦めてくださる方があるし、春の盆梅展の時にも来たので。 550円、おいしかった。

「リアル「センゴク」トークショー」の時間までに長浜観光を少しだけ。近くの長浜鉄道スクエアに。大きなSLと電車の展示。明治19年の旅篭料や大正2年当時の時刻表が展示してある。

0432304326  長浜市は、大河ドラマ『功名が辻』の一豊と千代に関するイベントが盛りだくさん。そのひとつ、スタンプラリーの用紙があったので記念に押す。

 長浜鉄道スクエアの道路を挟んだ向かいに、春に盆梅展が開かれる、慶雲館があります。04332 パンフの歴史を読むと、凄い人が居たことがわかる。

  明治19年(1886)秋、明治天皇が京都行幸の帰路に、大津から舟を利用し長浜に上陸される、との報が入りました。浅見又蔵氏は早速私財を投じ、陛下の誕生日である11月3日に行在所建設を着工しました。行幸は翌年2月21日ですから、三ヶ月余りの突貫工事。行幸当日の朝に完成する慌しさだったと伝えられています。(後略)命名は当時の総理大臣伊藤博文。

04343 二階には天皇・皇后の玉座が設けられました。
明治天皇は慶雲館には1時間ほど滞在されただけだったと。

 04347庭園も見事04349_1でした。04336_1

  

リアル「センゴク」行ってきました。長浜

 Main 長浜市で行われた「リアル「センゴク」」のトークショーに行ってきました。人気があるという『センゴク』の作家宮下英樹氏と城郭研究家・中井均氏のトークショー。長浜城の学芸員で戦国歴史研究家の太田浩司氏の司会です。

 04365 正面に架けてある大きなパネル?にビックリ。主人公の仙石権兵衛秀久(15)です。会場の壁に架けられた『センゴク』の1巻から11巻まで刊行されたコミックの表紙の絵。迫力満点の若さを感じるものでした。

 会場は満席とのこと、お年を召したおとうさんが多いかな。おばちゃん?おばあちゃんも少なくない。若い、いかにも、ヤングマガジンの読者だろうと思われる人たち。多彩な年代の人たちでした。

 会場に入ってこられた、宮下氏、若い。富山大学卒だということ、漫画デビューは「ヤマトタケル」(確実なタイトルは漢字かも)相撲の話だったが、あまり売れんかったそうだ。2作目が「センゴク」。ヒットしていると・・・。

 参考にしているのは、織田信長のことを書いてある、太田牛一の残した『信長公記』等らしい。凄~いと思いました。リアルに書いてあるってこと。他に、司会をされている学芸員の太田氏に聞かれたりとか。調べ物をしてくれるのは、K談社の担当の方とか。残されている真実に近いものを書いておられるそうだ。リアルさをだすために、織田上総介信長武田法性院信玄とフルネームで書いてるそうだ。

☆録音も、写真撮影も禁止されたので、記憶を頼りに書いている。間違ってるかも。このところ、昔のことはいいけれど、今聞いたことも忘れる年になってしまった。自信のないところもあるが思い出しながら書いてみる。

 信長という社長のことを平社員の視線で書かれていると。1~11巻までの表紙絵、信長は誰でも共感できる顔。外はえ~っと納得していいのかと思える描き方の人もある。傑作だったのは、明智光秀と本願寺顕如光佐。顕如光佐はミック・ジャガーがモデルだとか・・・。武田法性院信玄はスタッフの一人がモデルとか・・・。武田信玄については城郭研究者の中井氏は思い入れが強いでしょうと、作家に聞いておられた。聞かれた宮下氏はそうだと・・・。面白いですね。

 中井均氏との絡みを面白くしておられたのは、司会の太田浩一氏です。話もおもろいが、奥が深いです。又、来たいなぁと思えるいい話がいっぱい。中井氏の後をついて、山城もあるいてみたいなぁ。

04369_1  サイン会も申し込みが必要だったが、友人はそれを知らずに、サイン会に 出れない。さほど、ファンでもないから、譲ってあげる。後でしまったと思ったのは、サインがイラスト付だったこと・・・。

 楽しい、楽しいトークショーでした。友人に感謝。

4大浮世師展 

東洲斎写楽・喜多川歌麿・歌川広重・葛飾北斎

 P01 この四人の版画、絵画、なんと180点も展示!している松坂屋創業395年記念展です。松坂屋の歴史は古い。

 

 美術館に友人と行く。松坂屋へ、一階のクリスマスイルミネーションが目に留まり・・・覗いてみる。可愛いものがいっぱい。木のおもちゃ?いのしし。処変わればとは言いますがいのししが可愛いいんです。

 教科書に載っていた作品は懐かしい感じがします。歌麿は美人Photo 画、北斎、広重は風景、写楽は舞台役者の姿絵というイメージがあります。特に好きなのが、東海道五十三次の、驟雨。

 あまりにも有名な浮世絵師たちですが、知らないことってあります。

 

 北斎漫画。初めて見ました。漫画家はこんなに顔の表情とかいっぱい描いては勉強してるんだろうなぁと思えるくらい。それに、北斎は、西洋風の風景画を沢山描いているんですね。積み立てるように遠くを上に描く遠近法ではない、今私たちが描くような遠近法の絵。

 フランスの印象派の画家たち、例えばゴッホが浮世絵を模写してるのは知っていても、浮世絵でこんな風景画は面白い。

郡上八幡 Photo

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郡上八幡を散策

雨がぱらつく中郡上八幡を散策。

お城を降りる途中にある岸剱神社は、天正天皇の勅命を受け大白山を切り開らいた泰澄大師が全国に四千四十八箇所社寺を祀られて八十五歳に郡上の気良の里に天皇より授けられた御宝剱を御神体に鳥居の宮と名づけられた。(1千百年の昔)・・・とつづく高札がある。屋根には菊の御紋。

また、この神社明方の雨乞い神事によって大洪水となり、気良Kikumonsyouの神流岩か04296ら宮が瀬の懸り岩にかかった宝剣を、領主・遠藤慶隆が、本町の川岸に社殿を建てて祭ったといわれ、時は慶長19年(1614年)のこと。その後、八幡城本丸跡に移されたって。

04300少し歩くと、八幡城主御下御殿跡の案内がある。一豊の妻千代はこの下御殿で育ったのかなと思う。

水の都郡上の宗祇水は、環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水です。 しかし本来は、由緒正しき史跡。名のいわれは、連歌の宗匠「飯尾宗祇」が室町時代に、この地04302に庵を結んで、茶の湯に愛用したのがこの水だったのだそうです。ここの水で入れた珈琲はさぞやおいしいだろうと、近くの喫茶店に。ちょっと待たされたが、待ったかいはありました。香りといい、味といいとてもおいしくいただきました。水を守っておられる郡上の人々に感謝。

0430704305_1 最後に町を歩いている時に見付けたとっておきを2点。モスラのフライと、教訓と・・・。仲間にも恵まれた楽しい旅でた。次回、春の旅行が楽しみ。

04190 今回のバスのナンバーは《777》でした。いい旅になったわけだ。京都市を走る四葉のマークのついたタクシーは幸運のタクシーって聞いたことがありますが、それくらい面白い。

郡上八幡城と紅葉

郡上八幡城は鎌倉時代、承久元年(1219)東胤行が山田庄の地頭となり篠脇城・東殿山城に居城した。

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永禄二年(1559)東常慶のとき遠藤盛数に東殿山城を攻められ落城した。遠藤盛数ははじめ東殿山城に入ったがあまりに険峻であったため城地を不可とし、新しく八幡山に城を築いた。

盛数の子、慶盛のとき織田信孝・柴田勝家に加勢し、豊臣秀吉に反したため移封された。

代わって稲葉貞通が城主となったが、関ケ原の戦いで西軍に属したため移封となり遠藤慶隆が二万七千石で入封し、城の増築を行った。

その後、井上氏・金森氏が城主となったが、宝暦八年(1758)青山幸道が四万八干石で入封し以後明冶に至った。

城は東殿山南端、標高三百五十メートルの八幡山山頂に天守曲輪を置き、桜の丸・松の丸の郭があり、山麓に二の丸を構えた。青山氏の代に山麓の二の丸を本丸とし、御殿・政庁を置いた。
現在山頂にある模凝天守と隅櫓は昭和八年に建てられた木造で、大垣城に模して作られており、天守台・桜の丸・松の丸の石垣がほぼ完全な形で残っている。(郡上八幡城のパンフより)

今、城下町プラザになっているところから、歩いて行きます。20分とか。ヘアピンカーブが続いて、山登り?です。途中に、一豊と千代そして馬の像があります。千代は郡上に生まれたのです。この像は、千代が持 っていた10両で買った馬でしょうね。ここから、一豊は出世していくんですものね。

ところどころに近道が作ってありますので、そちらから行きます。が、あまりの角度に息が切れる。紅葉が色を増してきて、ほんとにきれいです。登るほどに、色が濃くなってきます。

04265_104243_2 途中で一眼レフのカメラで奥様を狙っている人に出会う。上の方から傘を指した姿を写してみえる。 石段を登っていくとお城が見えてきます。白いお城とかえでの紅が見事にマッチして素晴らしいです。天守閣に登っていくと、かえでの紅葉がよ~く見えます。来て良かったって思いました。天守の窓から隅櫓をみると、白い壁に紅葉が素晴らしい。郡上の町を眼下に見下ろす。

 

Dsc04254Dsc04271  木造で再建されたものでは一番古い。木造の建物に土足で上がるのはなんだか、悪い気がする。階段の手すりが湿っぽい。このところ連日雨模様ですからね。しっとりしています。昭和8年の再建だからなのか、手すりが思ったより細い。

一豊と千代の展示がしてあります。見性院(千代)の肖像画もありました。画像をクリックすると大きくなります。

現存する遺構  石垣・郭群等
《復元天守は町指定重文》 城域内は県指定史跡

滋恩寺護国禅寺 郡上市八幡町

 南区園芸友の会の行事で岐阜県郡上市に、朝8時半南区役所まえを出発する。雨がぱらついている。

 予定通りに、郡上市に、途中バスの中は大変盛り上がる。Mさんが何度も誘ってくださり、やっと重い腰をあげ参加するが、Mさんに誘ってもらったという人がもう一人。行く積もりだったが、連絡しなかったDさん。前日の連絡だったが、一人参加をキャンセルされた方があったのでセーフだったとか。思い込みが強くなったり、ボケたかなと盛り上がった。今回の参加は29人、うち男性2人。

04204  まず、臨済宗妙心派 鍾山 滋恩護国襌寺 その庭園、荎草園に・・・。見事な紅葉です。絶句!!!

慶長11年、八幡城主遠藤但馬の守慶隆公が開祖となり、京都大本山妙心寺の円明国師を勤請し、その高弟半山襌師を迎え、釈迦如来を本尊とし創建される。

元文3年護国の称号と青蓮院宮一品親王の書なる勅額を下賜、また、棠林和尚代には禅堂(修行道場)が開かれた。

惜しいかな、明治26年大水害にて裏山が崩壊し山門、勅使門のみを残しすべて埋没。時に明治天皇、勅使、片岡侍従を差し使わされ、お見舞いを賜る。3年後に復元され現在に至る。

滋恩寺護国禅寺のパンフより。

 大河ドラマの122日の番組放送の中で滋恩護国襌寺が紹介されたそうです。

滋恩護国襌寺は、2代目八幡城主遠藤慶隆が建てる。代々の遠藤家の菩提寺、遠藤家の家系図の中に千代の名が発見された

 

『功名が辻』のなかでは滋賀県の生まれとなっている。これは司馬遼が『功名が辻』を書いたのが40年ほど前で、この寺の古文書の中に千代の存在が判明したのが30年ほど前。その間に『功名が辻』のヒットで出身が滋賀であることが全国に広がってしまう

去年、この放送局は、郡上市にことわりをいれたとか。大河ドラマは毎年、小説に忠実に作られる。ですから、現実とは違うところがあると。この『功名が辻』について04209 もしかりで、出生地という大事なところではあるが、小説に忠実に作られる以上その辺のところどうぞ、お許しくださいというご容赦であったと。(そんな努力がされているんだ。歴史家がドラマを見ては間違いを指摘しているが・・・・。)千代の出生は解ったが、わからんのは、信長の本能寺での最後の撃ち合い。

04203  この寺の中から発見された古文書の家系図と高知・山内家で伝わっていた家系図が一致したそうです。はるか昔に岐阜県と高知県それぞれに作られ、管理されていたものが功名が辻というつながりの陰でひの目をみてそれが一致したこと。

郡上八幡城のお姫さんであったことは間違いないということで専門家の研究が進んでいるということでした。

NHKが使った資料がパネルで展示してあった。

郡上八幡城につづく・・・。

雨のふる寒い日

昼から雨。

☆ 寒い一日。台所にガスストーブを出してくる。おでんでも煮ようかな。そいう季節になりました。

☆ 高校ラグビー愛知代表は西陵に決まり、もう少し千種が頑張るかと思いきや残念でした。西陵の監督は元監督山田氏の息子さんでデビュー戦だったとか。

☆ 日本代表 07年W杯アジア地区最終予選第1戦(18日、香港ラグビーフットボールクラブ)W杯へ王手だラグビーワールドカップ2007アジア地区最終予選 第1戦 香港代表対日本代表 試合結果
香港代表 3-52(前半3-33) 日本代表 楽勝。最近筋肉番付等で頑張る、神戸製鋼の大畑大介(31)がトライを決めた。

(2006年11月18日 22時32分 日本ラグビー協会)

リアル『センゴク』 長浜

 友達が長浜市で行われる、 (リアル『センゴク』戦国合戦の真実と虚構を語る) に行きたいというので、外れた時のために葉書を書いた。今日、返事が来て二人とも行ける事になった。

 馬鹿に出来ない漫画。

週刊『ヤングマガジン』でいま、「センゴク」というマンガが連載されているそうです。その作者、宮下英樹さんが滋賀県長浜市にこられ、城郭史研究の牽引者中井均さんと対談されるというもの(司会、長浜城の学芸員の太田さん)。

 漫画家といえども、史実を元に描くしかないのです。ノンフィクションの漫画?。『センゴク』まだ、読んだことはおろか、見たこともありません。これ以上、違う分野に首を突っ込みたくはないんだが・・・。友達は大事です・・・長浜城の紅葉を見て、猫たちの様子も見てきましょうか。

今年の秋はきれいな紅葉!!!

Nannkinnhaze_1   近くの公園に行き、紅葉が進んでいるのにびっくり!そう、最近忙しく って外をじっくり見てなかったなぁ。ナンキンハゼは思い出の木。高校の前のナンキンハゼの並木の紅葉はどんなかな・・・・。

志をりが完成したから、少しはいいかも。評判はまあまあ・・・すっきりしたデザインでいいよって言ってもらえて一安心。

 

Akebi_304165_1Kingyosou1 記念の40号、1966年がはじまり。当時、本を買うことも 今みたいに出来なかった。図書館を利用する人も多かったし、活字に憧れもしたんです。そこで、図書館の司書さんの協力のもと読書会は出来たと聞いた。最初からの会員さんはもう見えない。長い間の積み重ねに感慨深いものがある。40年は長い。

 読書好きな、私は憧れの図書委員に小学校の高学年、中学となった。それをいいことに、新しい本は最初に手にした。もちろん、図書委員はずるいって言われましたよ。言われても、新刊が読みたかった・・・。

 宮崎で男子ゴルフ・ダンロップフェニックス・トーナメントが始まると、今年もあとわずかになったなと感じる。3連覇を狙う、タイガーウッズ・・・昨日3位で発進したが、今日は8アンダーで単独首位だって。やっぱり強いですね。

 大相撲の九州場所と合わせて、慌しさを感じます。しかし、最近の大相撲の九州場所は雪がちらつくこともなくなった。

秋月種樹の年俸?MIYAZAKI

 秋月種樹は欧米視察から帰った後に、尾崎三郎の訪問を受けます。尾崎も英国から帰朝したばかり。二人は英国の国政を議します。英国には上下二院があって、上院は貴族を議員とし、下院は平民の代表である。英国の今日の富強は議院の力であると。

 英国の例を活用して、わが国も英国の例を採用するであろうと。わが国の華族は(職を解かれた武士)華族は維新以来、職を解かれて東京に集まっているが、無職徒食の状態であると。このままでは、将来議員が開かれて、上院に列してもその任を全くすることは出来ない。ここに華族教養機関を設ける必要があるということになり、尾崎と種樹は計画を練ったんです。素晴らしいふたり・・・。

 種樹もつよくそのことを感じていたので、直ちにその設立に賛同し、同士を募り、鋭意画策の結果、日比谷原頭に見事な会館が出来上がった。

 華族会館の会則は事務分掌規定まで細かく整い、その事業については静養議事法、書籍局、会計局等の設定など多岐に渡ったと。

 明治天皇の耳に入ると、凄くほめてもらった・明治8年10月会館に親臨し給い、種樹ら発起人に対して明治天皇からの勅語。

 汝等朕ガ意を推拡シ、主唱欺館ヲ創立ス。朕コレヲ喜ミス。今後彌々以って勉励セヨ。

 このうち、図書館は、学習院となり、華族子弟の教育機関として今日に及び会計局は十五銀行となり、華族資産の保存増殖機関として華族の福祉に貢献する処多大であったと。

 明治天皇の華族会館臨幸の三ヶ月前、即ち八年七月種樹は元老院の設立と共にその議官に任ぜられ、年俸二千五百円を下賜になった。

で気になるのが、当時の貨幣価値です。

岩倉具視 (1825~1883)
 江戸時代の岩倉家は、家領150石の下級公家。
 明治元年、議政官・議定、月俸700両。
 明治2年、大納言、現米年900石(月600両相当)。
 明治4~16年、右大臣、月俸600円。

板垣退助 (1837~1919)
 江戸時代の板垣家は、土佐藩300石の上士。
 明治元年、議政官・参与、月俸600両。
 明治4~8年、参議、月俸500円。
 明治8年、征韓論に敗れて下野。
 明治29年、伊藤内閣の内務大臣、明治31年、大隈内閣の内務大臣、月俸500円。

伊藤博文 (1841~1909)
 明治元年、外国官・判事、月俸500両。
 明治2年、大蔵省・少輔、現米年450石(月300両相当)。
 明治4年、工部省・大輔、月俸400円。
 明治6~18年、参議、月俸500円。
 明治18~21年、総理大臣、月俸800円。
 明治23~24年、貴族院議長、年俸5000円(月417円)。

こうしてみると、秋月種樹の年俸がどんなものかわかります。伊藤博文の総理大臣は破格ですね。年俸に直すと、9600円

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

龍馬の誕生日と命日

 慶応三年(1867年)11月15日午後8時過ぎ、京都・四条河原町の醤油商・近江屋に潜伏していた坂本龍馬中岡慎太郎が、2名の刺客に襲われ、龍馬は即死、慎太郎は2日後に死亡しました。龍馬はこの日33歳の誕生日でした。龍馬は風邪気味だったといわれております。霊山歴史館でも二人を偲んで墓前祭が・・・。
 

 秋月種樹が欧米視察に行っている間に、悲しいことが起こります。坂本龍馬の殿様と種樹は一緒に仕事をしておりました。

 龍馬の殿様、山内容堂と種樹は深く意気相投ずるものがあり、夫人も烏丸家の姉妹である。種樹の欧米に遊ばんとする頃は、容堂はすでに病床にあり、好みの酒盃をてにすることも出来なかったとある。二人は別れを惜しんだと。容堂はを愛し、自らを『鯨海酔侯(げいかいすいこう)と称するほど酒が好き。。幕末の時流に上手く乗ろうとした態度は、当時の志士達から、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄されたとも言われています。

 高知のお土産で、坂本龍馬というお酒を戴いたことがあります。高知県は日本酒を飲まれる人が多いのかな?種樹もお酒が好きだったんでしょうね。宮崎は、米・麦・芋焼酎がおいしい?私は飲まないのでおいしいかどうか解りませんが・・・。

 別れを惜しんだ、容堂公ですが、種樹が滞欧中の6月20日、46歳で亡くなってしまいます。

 帰国した種樹は、そのお墓を訪ねて、

 拝容堂公墓 告其神霊

 幾重霜変世形 三叉寂寞舊池庭

 同遊好友皆亡去 唯有泰山興竹亭

と弔った。泰山は土方伯、竹亭は東久世伯であると。

Mayuhake 写真はまゆはけ万年青

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

秋月種樹は外遊に・・・。

岩倉具視と一緒なのかなって思ったんですが、日程も行程も違っています。それでは、秋月種樹は誰と一緒に行ったのかな。

岩倉具視はまず、アメリカに行っていました。

明治四年 1871

 10月 8日 岩倉使節団の派遣決定
 11月12日 岩倉使節団 横浜を「アメリカ号」で出港
 12月 6日 岩倉使節団 サンフランシスコ上陸
 12月14日 岩倉使節団 大歓迎会
 12月22日 岩倉使節団 汽車でサンフランシスコを出発

 12月25日 岩倉使節団 ソルトレークに入る

 秋月種樹は資料が少ないので解らない。種樹の消息を語るものとして三好退蔵(高鍋出身後の大審院長)の書簡がある。退蔵は種樹と一緒に渡欧したものである。

 英国ロンドンより拝啓。(中略)四位候(種樹のこと)も左院連中に従って佛に御留り相成候処、大村公(種繁夫人実家)諸国遊歴の挙あり、通弁等も附属し好都合につき、同行にて各国御周遊、魯州(プロシア)を極めてのち、英国に出で米を経て御帰国の積もり。

 後概略。雇った通訳は、読書は出来るけれど、通訳は少しも出来ない、舟のなかより全然役に立たない、厄介の極みだと。種樹公も後悔されている、ついに放還を決心したが、格別の厚意で英国の小学校に修行しているので、種樹は一人で御遊歴御壮のことなり。と。 この手紙は、4月26日付け、城勇雄、秋月種節(水筑小一郎)、綾部豹蔵、手塚吉康(賢太郎)堤長發宛である。

 種樹は七月中旬にイギリスに渡り、そこから夫人宛ての便りを出している。

 4月21日出しの書状昨日相届き拝見。一々承知いたし候。その他の事便り下され安心いたし候。当月15日イギリスへ来たり、来月15,6日頃よりアメリカへ参り候間、十月末十一月初には必ず横浜へ帰船すべく候間、御安心御待ち成さるべき候。此後は御文は出さるまじく候。殊に寄れば此便と同時に日本へ届き申すべきかと存知候。

         七月二十三日    秋月

お多賀との

 帰るのは遅れて十二月になった。巡歴した国々の文化制度、風物は彼の彗眼に様々の印象を与えた。特に、英国の立憲政治と貴族の教養は、強く反省するものがあって、次に始める、華族会館の創立に繋がっていく。

約一年に渡る、欧米視察であった。

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

日本書記を読む

 『日本書紀』を読む会、古代遊学会に参加する。圧倒的に男性が多い。昼間のカルチャー教室で男性が多い会を他に知らない。不思議・・・。

 孝徳天皇は、皇極天皇の譲位によって天皇になります。中大兄は天皇になれるチャンスなのに、孝徳天皇にゆずるんですね。何故?性格が悪い?協力者が少ない?渡来の皇子の悲しさ?

 読めば読むほど解らなくなる『日本書紀』

 今日は大化の改新が起こるまでの話。孝徳天皇は高齢のようです。即位の年に日本で初めて、元号を使用しますね。大化という・・・元号を。このころの治世の実権は、中大兄皇子、中臣鎌子にあったんですね。中臣鎌子はいつ、鎌足になるんでしょうか。

 古人大兄皇子が謀反を起こしたと知って、中大兄皇子はすぐに討ってしまうんですが何故。邪魔だった。政敵はずし?

裏切り者さえなければ隠れとおせるような、吉野。談山神社の紅葉を見にいったことがあるが、とっても険しい石段を登りました。中大兄皇子と藤原鎌足とが大化の改新の密談をしたとされる談山神社です。

 会の代表は若い時に、天誅組を調べに吉野から十津川まで行かれたらしい。幕末の天誅組は坂本龍馬の友人、吉村虎太郎が参加し、死んでいます。吉野というのは山が険しいので隠れるにはうってつけなんですね。

 おもろい話。『古事記』に記載される、神武天皇の行程は吉野川をさかのぼって宇陀に入るのに対して、『日本書紀』は熊野からいきなり宇陀に飛ぶんだとか・・・。古事記の記載が本当だろうと、当時の道路って、けもの道だろうからって、言われる。今日、神武天皇の話が聞けるとは。神武天皇は、宮崎の高千穂美々津に関係が深い。

 『日本書紀』は読むのも、解読するのもやっぱり大変です。

写真はうんべ あけびの一種 宮崎では・・・砂かっぽ?って言いましたね。。

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高鍋高校ラグビー部 花園へ

 高鍋が7-3で延岡東・星雲を破り、5年連続21度目の優勝を決めた。高鍋は12月27日に大阪近鉄花園ラグビー場で開幕する全国大会に出場する。(宮崎日々新聞)

 前大会は第4日は1月1日、東大阪市の5連覇を狙うAシード啓光学園(大阪第1)に5―39で敗れてしまい残念だった。今年は・・・。

 今までの全国大会ラグビー選手権で最高だったのは、昭和56年度。

1回戦  高  鍋 48 - 0 函館北

2回線 高  鍋 51 - 0 神戸

3回戦 高  鍋 14 - 3 相模台工

準決勝 大工大  12 - 6 高鍋

このときが BEST4 

 大工大の監督が赤いネクタイをつけていて、縁起がいいとか言ってたような・・・。あの時は悔しかったなあ。あと一歩だったのに・・・。

高鍋高校 フィフティーンがんばれ!

愛知県は準決勝大会で、千種高校と西陵高校が残っている。

決勝戦は18日午後1時から、瑞穂ラグビー場。

この2校・・・面白そう。進学校の千種・・・。

相手の西陵、かっては商業高校で男子生徒のほとんどがラグビー部員だったようだ。

図書館まつりで折染めを・・・

名古屋市南図書館まつりのイベントの手伝い。

あいにくの雨模様。子供たち来てくれるかな。図書館に付随している会が参加します。手伝うのはお話会と折染めと紙芝居と・・。読書会は折染めを・・・。

本に関係する、クイズラリーもありました。3問目の答がわからなくって、絵本から遠ざかっているのを実感。hayatoくん、大きくなあれ。絵本持って通うことにしようかな。

Dsc04097 折染めは、和紙を縦長の屏風に折って、もう一度、三角に屏風に折って、出来た角に染料を沁み込ませるだけ。

近くの小学校3校で合同の学芸会みたいです。午前中は学校でリハーサルを兼ねて、上演?するらしいので小学生は来ません。残念です。ちょっとおませな小学生は面白いんですけどね。

ちっちゃい子供たちが、お母さんと一緒に来ました。屏風に折るのは難しそうです。染めるのは大丈夫です。最初はオズオズと少しだけ着けています。要領がわかってくると子供たちはだんだん大胆になります。染料がポタポタ落ちるほど着け始めます。一人が始めると他の子供も負けていません。われこそは・・・・なんて。乾かしている間に、万華鏡を作ります。

材料

丸い筒(トイレットペーパーの芯)、丸く切った黒い画用紙2枚。1枚は穴を開けて偏光フィルムをセロテープでとめたもの。のり。セロテープ。乾いた折染め作品。

筒に丸い画用紙を貼ります。両側にね。乾いた折染めをおしゃれに貼り付けます。外見は出来上がり。大事な仕事が残っています。貼り付けた画用紙に画鋲で、星の形とか渦巻きとか穴をあければ完成です。

きれいに見えたかな!!!

秋月種樹の欧米視察。

南図書館に岩倉具視の伝記を探すが見つからない。鶴舞図書館にはあるらしい。大久保利通でもいいんだけど。西欧視察に同行した左院議員31名が見つかれば秋月種樹の情報もきっと見つかる筈。明日にでも行かなきゃ・・・。気になってしょうがない。

よー寝るんだね。

友達のお孫ちゃん hayatoくんに会いに行きます。

 2回目の対面です。先回はずっと・・・ずっと寝ていて目を開けてくれなかったんです。その後友達からお目目パッチリの写真が送られて来ています。今日は起きているかな。

 えーっ 今日も寝てんの!!!親孝行な赤ちゃんだね。寝顔も可愛いので、パチリ!!!ぽっぺがたれそうなくらい、よー育っています。太もももくびれたし・・・。とっても、重くなりました。

 hayatoくん、パパと一緒の写真。パパはどうなってしまったんでしょ。目じりを下げてhayatoくんとツーショット。人はどこまでも優しくなれるって顔ですよ。

 やっと起きてくれましたが、ご機嫌うるわしくはないようです。抱いていればそれなりに大人しいが・・・。それでも、いいショットが撮れました。

 子育てしていたころを思い出して笑ってしまいました。長男はよー泣いたんです。

元気に育ってくださいね、hayatoくん。

一緒に動物園行こうね。

紅葉? 東大寺界隈 奈良2

近畿日本鉄道(近鉄)の名古屋駅から出発。

 名古屋駅 8:30発難波行き特急 ビスタカーに乗る。03987

 大和八木駅 10:17着 → 10:38発 特急京都行き 

 大和最大事駅 10:55着 → 10:59発 特急奈良行き 

 奈良駅 11:04着  JR東海?の急行かすがが廃止されて初めて、近鉄電車で奈良へ。以外に近かった。

04007  奈良駅から歩いて、奈良国立博物館へ。(昨日記載済み)正倉院展を見終わって、食事。近くのレストランへ行き、大仏セット ¥1000  を戴く。うーん・・・・。(苦笑い) 

奈良公園の中を歩いて、三月堂(法華堂)(国宝)の本尊を見に行く。午後から冷えてきました。 巨大な不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのんりつぞう)(国宝)を中心に全部で04016hokkedou16体もの仏像がところせましと並んでいてびっくり。その中の12体が国宝、残りの4体は重要文化財に指定されていると。建物は奈良時代に作られた部分と鎌倉時代に建造されたものをあとで屋根でつないだと聞きました。

 二月堂を回って、お茶を戴き、お水取りの時に70キロもある松明が火の粉を撒き散らす04038 石段を降りていきます。とてもいい景色です。紅葉にはまだまだ早いようです。石段の途中でスケッチをして見えるお方があります。ここが絶景ですかと振り向いて二月堂を望みます。本当にいい景色。

 鹿の群れの中を、正倉院の外観を見に行く。道路を渡る鹿の群れは、人が通ると道を譲ってくれます。可愛い。鹿せんべいとか荷物をガサガサいわせなければ大丈夫。とっても大人しい鹿です。

04052  国宝になっている正倉院正倉を写真に、横幅が広くてデジカメに納まらない。途中で椎の実を拾う。東大寺の中の椎の実は鹿が食べるのか見当たらなかった。

 大仏殿の裏を歩いていく。夕方近くになって太陽が沈んできます。大仏殿の屋根に輝く金色の鴟尾(しび)が美しい。大仏殿の鴟尾は高さ3.33m、ちなみに名古屋城の鯱鉾は2.62mですって。へー、そうなんだ。形は単純だけど、夕日を浴びて輝いています。紅葉しているのは一部だけです。紅葉の見ごろ04044はまだ先のようです。

04041 

 奈良県庁から、興福寺の横を通り近鉄奈良駅に向かいます。帰りも人がいっぱいです。奈良名物の柿の葉寿司をお土産に買って帰ろうっと。

 帰りもビスタカーです。今度は一階部分。6席だけのこじんまりした空間。大和西大寺までは5分。西大寺から大和八木までもビスタカーの一階です。近鉄最後の乗り換え大和八木からは、特急名古屋行きビスタカーの2階部分でした。途中から私たちの貸切でした。暖房がなくてどんどん冷えてきました。6時49分無事名古屋到着。アー、冬らしくなってきたね。

0399304071  今回のおばちゃん道中記は何事も起きずに順調に終わりです。おかしいなぁ。問題がなんか起きそうな予感だったのに・・・。次回は山辺の道を歩いてみたいですね。

正倉院展 奈良1

 近鉄奈良駅から、人の列が続く。興福寺の案内を横目で見ながら通り過ぎる。奈良国03995 0400403998立博物館についても人の列。待ち時間一時間。事前調査で、混み具合はわかっていたので、待ってる間にお昼をすませようかと相談。ところが奈良だって解っていたのに、鹿さんのことは忘れておりました。弁当を開けない・・・。お昼はおあずけでした。(大笑い)一人が「お腹空いたね」・・・・。待ち時間 はおばさん4人ですからどうってことないんです。おしゃべりに余念がない。かわいい鹿さ んを撫でながら・・・。(この鹿がいなければお昼を食べれたのに・・・)と思いつつ。

 会場に入ってからも、大変な人。当たり前ですね。今年は聖武天皇没後1250年に当たるということで聖武天皇の事績にかかわる品や遺愛品が多く出陳されるのが特徴だそうです。全部で68点。出陳宝物リストを見ると全部思い出せます。今日はまだね。

 順序が決まってないので、ゆっくり時間をかけて回りました。いいもの沢山見ました。先Photo 日、ペルシャ文明展で見た、ガラスの杯。よう、似たものがありました。ペルシャから伝わったものでしょうか。「緑瑠璃十二曲長杯」写真はJR東海パンフレットから

 東大寺献物帳「国家珍宝帳」の文字の緻密さ、印の鮮明さ、和紙の保存状態。いいものでした。

「七条刺納樹皮色袈裟」それを包む「御袈裟箱」その箱は獣の皮で出来ていると、その箱を入れる「袈裟の箱の袋」。

象牙の尺・象牙の横笛・尺八。などなど。

 今回正倉院展のポスターになっている品物も全部見た筈なのに、思い出せない。えーっ、おかしいね。と戻って確認しました。見てるんですよ。大雑把にね・・・。

「これ、やっぱ見てるよ」

「ほんと、ほんと」

「端の方は、ボロボロだね」

「刺繍は素晴らしいね」

やっと納得。

見学すること一時間あまり・・・。

京都もいいけど、奈良もいいですね。

訪問者数 2000 に感謝!!

訪問者数が2000を越えました。訪問してくださった皆さんに深謝します。これからもよろしくお願いします。

 こじゃれるってどういう意味。日向人さんはきっとほめ言葉の意味・・・。

NHKのことばおじさんのサイトを発見。最近のこじゃれるってほめ言葉なんですね。言葉は日々進化しているの?ついていけないよ。言葉って不思議!

名古屋吹奏楽フェスティバル

11月5日のつづき。

Dsc03979 展覧会を見たあと、しばし休憩。オアシス21の下のSでティタイム。エコロジーの車が沢 山並んでいる。その中を、モリゾーが通って行く。愛、地球博のマスコットのモリゾーは、万博が終わって一年経っても人気が衰えずに、今でも、森からやってくる?。キッコロもいないかと探すが見当たらず。色とりどりの風船をかかえた子供たち。ちゃんと、おうちまで持っていってね。

 芸術の秋・・・つづき。愛知芸術劇場(美術館と同じビル)のコンサートホールへ。選抜された名古屋市内の中学校と高校のこどもたちのフェスティバル。友人のお子さんが出演する。

 Dsc03981指揮をする先生たちの個性的なこと。今回優秀な高校2校が欠場ということですが、みんな良い音出しています。

 楽曲は、交響曲・マーチ・映画主題曲など多彩。多かったのは、ルパン3世のテーマ曲。アレンジでも違って聞こえるし、楽器の編成でも変わって聞こえる。

03983名古屋ハイスクールバンドは、フランス組曲とアルメニアンダンス パート1。今日の聞かせどころ。指揮者もユニークでした。お若い先生!!! 

最後は出場した子供ら、200人くらいが舞台の上で演奏です。盛況のうちに終わりました。芸術の秋を満喫した一日でした。終わって外に出たら、テレビ塔 が美しかった。

ペルシャ文明展

 朝は少し冷えた。昼ころ出かけるのに困る。帰りのことを思うと上着が欲しい。

 Kippu_1 友人と待ち合わせて、愛知県美術館へいく。『ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝』、さほど興味はないが、招待券があるので・・・。

 愛知県美術館いつもの展覧会と随分と雰囲気が違います。お客さんはまずまずの入り。紀元前5000年前の土器のコーナーから。

 会場に紀元前の地図があって、友人はよく解るね。と言う。漫画でこの時代を題材にしたものを読んでいるらしい。

 最近の漫画って、時代物多いようですね。さっぱり解らんけど・・・。あるブログに、週刊『ヤングマガジン』でいま、「センゴク」というマンガが連載されています。とあったんです。歴史研究者のブログです。漫画だからと喰わず嫌いは通らない時代のようです。

 一番興味がわいたのが、第2章 世界帝国の誕生-アケメネス朝ペルシャ- の王様_2 の姿を石に彫ったレリーフ。石像を作るのが大変なことって知ったから丁寧に見ました。紀元前550年から紀元前330年。作られて2500年くらいも経っているのにくっきり残っています。どんな固い石なんでしょうか。どうやって彫ったんでしょ。人工ダイアモンドのない頃ですよ。(写真はパンフレットから。)王様のレリーフではない。

 紀元223年~651年のササン朝時代の、金貨・銀貨。拡大した写真の展示もしてあったので文様がよくわかります。時代が新しいから細かい細工というわけではないようです。

 ペルシャ文明展の目玉。《有翼ライオンの黄金のリュトン》アケメネス朝 伝ハマダーン州出土。さほど大きくない。こちらはアケメネス朝ペルシャ時代って言うんですから、今から2300年も前です。今現代の目で見ても、この技術の高さはほんとに素晴らしい。

宮崎の海の美しいこと。

☆ 彫刻家田中等さんの日記を拝見する。

11月2日に紹介されているグリーンヒル歯科医院のサイトに彫刻展の写真と共に宮崎の海の写真があった。

今日の海はしけていました、とあり荒れる波の写真が。岩にぶつかって砕ける白い波。きれいです。遠くは青い海手前は白いうねり。小倉ヶ浜の写真も。

最近波を見ていないと気がつく。

名古屋港水族館も、中部国際空港(セントレア)も海に面してるから海は見える。波は見ていない。

宮崎の海は、観光地というイメージがあったが、最近はサーフィンをするのにいいからと、転居される人があると聞く。テレビでは真っ黒に日焼けしたサーファーの放送があったりと。高鍋の海もサーフィンに向いてるらしい。リンクを貼ろうと思い、高鍋海岸と検索したら沢山のサイトがあり感激。素晴らしい波の写真が満載してあります。小倉ヶ浜のサーフィンも有名!日向灘は太平洋ですから・・・。

「太陽とサーフィン・宮崎」なんてポスター貼ってあるかも・・・。

☆ 花苗を買ってきたので、今日は植え付けを。今期のテーマはピンク。パンジーもビオラもピンクは少ないのでそれなりに華やかに。猫の額ほどの花壇でもデザインさえ決まればいい花畑になるでしょ。がんばろうっと!!!寒くなってから、パンジーとかの植え付けをしたかったけど、11月だしと植えることにする。

☆ 中日ドラゴンズの優勝パレードが有りました。35万人もの人が沿道で応援したって。TVの映像で見る限り人・人・人です。みんなの服装が話題になってました。寒くないので半袖Tシャツを多く見かけたって。

52年前の日本一のパレードの時は、ジャンパーとかコートを皆着ていて寒そうにしていた。ってリポートがあった。今年は特に寒くならない。

香嵐渓 → 足助城跡

いい天気です。夫と一緒に、足助城跡を見に行きます。

03867  豊田市の勘八峡大橋。クレーンで吊り上げた橋を両側からアームを伸ばすみたいにして、橋の中央でドッキングさせて作られたそうです。ダム湖では中京大学の学生さんがレガッタの練習をしてる。

 香嵐渓の紅葉には少し早いですが、足助の町並みの観光なのか人が多い。三州足助屋敷とか有名なかじやさんがあるので・・・。かじやさんを通り過ぎた先を山のほうに入り、曲がりくねった山道を1kmあまり登った広場に車を止める。

039450387003874_2 山城って言ってもこんなに高い場所ではたいへんだろうなぁ。

パンフレット引用。

 足助城は戦国時代の山城です。発掘調査などに基づく本格的な山城の整備は全国でも初めての試みです。戦国大乱の時の山城とは何か・・・ごゆっくり御覧ください

 標高301mの真弓山の山頂を本丸として四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城です。

 足助城は-中略- 現在残された遺構は、15世紀以降に鈴木氏が築城した跡と考えられます。戦国時代に西三河山間部に勢力をもっていた一族です。-中略- 16世紀に入ると岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返しますが、永禄7年(1564)以降は松平氏のもとで、高天神城の戦いなどに武勲をあげます。

 そして、天正18年(1590)康重のとき、徳川家康の関東入国に従って、足助城を去りますが、間もなく家康から離れ、浪人したと伝えられています。

0389203903  厨(台所建物)を見ながら、隠居して棲むには、いい広さかなと夫は言っている。そうかもしれんね。12畳と8畳くらいのこじんまりとした家です。鉄砲撃ちならと、重ねて言ったので、猟師小屋を思い描いてるらしいが・・。そうね、あなたの一人暮らしにはぴったりかもね。私は名古屋でいいけどね・・・。

 復元された、本丸、高櫓と長屋とあるので、全部が復元されたってことかな。敷地の関係からいっても全部だろう。高櫓には殿さまの座るスペースがあるだけですよ。夜はどうしたのかな。ここで休んだの???家来は長屋に暮らしてもいいけど・・・。戦国時代の城はたいへんだなあと思う。家来は何人いたのか。殿様の奥方はここには棲めんだろうな。

 香嵐渓の紅葉を見物がてら、山道を登ったら楽しいですよ。きっとね・・・。

038850390703917 

 

039260394803938 

コーチの保護者・・・って何人

テニススクールの日。

 出かける前に、猫2匹脱走!オス猫ゆきが窓を開けて行っちゃった。その後を、グレムリンが、「ゆき、ありがとう。いい天気だね」って言ったかどうか2匹とも姿が見えない。家猫なので気にはなるが仕様がない。

今日のコーチは、

コーチ「今日、胸が苦しいんだわ」

セイトA「失恋したん?」

コーチ「9時に起きたんだわ」

セイトB「先週もそうだったね」

セイトA「早くネンキャ」

コーチ「水曜日は遅くなるんだわ。最後のクラスが終わったあと、事務とかやってると明日になるし・・・」

セイトC「そんでも、朝ごはん食べんきゃ」

コーチ「9時半から。最初のクラスあるし。スクール来て、歯磨いて、顔洗った」

セイトA「運転して来るんでしょ」

セイトC「脳みそ、ちゃんと起こして、脳に栄養つけて」

みんな勝手に、コーチに忠告している。全員保護者みたい・・・。いい雰囲気です。コーチも本気かどうか。「このクラスが一番気合入ってるんだわ」って・・・。いつものように始まります。今月のテーマは「ネットプレイ」。参加者4名。4名はちょっと辛いです。何故って、ずっと、ずっとコートの中ですから・・・。

 11月だというのに、暑いこと。すぐに汗が出る。人数が少ないので休む暇がない。ずっと、コートの中は、ずっとボールに触ってるってことです。睡眠不足がたたったのか、動けない。コーチは気合?が入ってるのか。コートの隅から隅まで使ってボールを打ってくる。気持ちは若いコーチに付いていってると思うんだが、体は正直です。今日も疲れた。

 そうだ、我が家のかわいい猫たち、どうしたかな。いつもはランチを済ませて、買い物もして帰るが今日は直帰。家に着いても猫の姿は見えず。待つしかない。ゆき、外に行く度に真っ黒。今日こそはシャンプーです。ご近所のかわいい猫たちも紹介。

Yuki21

ToraNemuineko_1 

 

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『山辺の歴史と文化』 届く!!!

 ネットショッピングで頼んでおいた、天理大学文学部編『山辺の歴史と文化』(奈良新聞社)という本が届きました。コンビにで代金と引き換えに受け取りました。送料はかかりません。ちなみに今日発売なんですよ。

 コンビニの帰りに、公園で一部読みました。今日もとってもいい天気です。昼間はちょっと暑いです。11月だというの半袖が恋しい。

 緑生涯学習センターで日本書紀を読む講座に参加していますが、日本書紀には奈良のことがたくさん書いてあります。編集後記に、奈良県の人に読んで欲しいとにありましたが知らないことがいっぱい書いてあり面白いです。

欧州視察の種樹

 明治5年正月27日に旅にでますが、夫人に宛てた手紙。(秋月種英氏蔵)

正月27日横浜港より出船より誠に都合宜敷、一度少々食事も進み不申候得共、其後は少しも船酔も無之、二時の食事も牛肉その外おしきもの沢山食べ、大にからだも丈夫に相成り御安心下さるべく候。日々皆集り馬鹿ばなしにて日をくらし申し候。芸者やおいらんの話なき日は一日も無之、實に賑しき事なり。

兼々お願申上候大川屋一條は、留守中のおつとめに候間、精一杯お骨折頼み申候。三千両にて二年は十分と申ことゆへ、二年の間に利分の外に千両も出来候得ば十分のことなり。成る丈お骨折成され、大川へ談じ下さるべく候。-中略- 

    二月四日         秋月 皆々へ宜敷伝声御願申上候

於譲との

 おあつらひの品々は、この度は船着き申さゞるゆへ、後より御送り申上候又々私帰り候節持参可致候。

旅費の出処は横浜の富商大川屋であった。秋月種苞夫人の語られるにはそのお金の重かったことと。夫人も同行される予定であったが、種殷夫人の病気のため止められたことなど当時の様子がよくわかるそうだ。

種樹の航海は實に楽しそうですね。明治2年に開通したスエズ運河を経由して、3月13日にフランスはマルセーユに上陸、そこから鉄路リヨンを経て巴里に入り、ここに滞在して西欧文明の視察を始めたようです。当時の巴里は、ナポレオン三世が没落後ではあったが、華麗な文化を誇っている時であった。横浜を出港して三ヶ月余り、遠いですね。

 種樹の目にフランスはどう映ったのでしょうか。実際に見ると感激はどんなだったか想像するだけで楽しい。西欧視察に同行した左院議員31名って誰なんでしょうか。『秋月種茂と秋月種樹』には名前が書いてないが、岩倉具視も明治5年に西欧視察に出かけているようですから、もしかしたら一緒にフランスに行ったのでしょうか。岩倉具視の西欧視察は明治4年と書いてあるものも見つかる。いつ行ったのかもう少し調べてみたい。 

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

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