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秋月種樹は外遊に・・・。

岩倉具視と一緒なのかなって思ったんですが、日程も行程も違っています。それでは、秋月種樹は誰と一緒に行ったのかな。

岩倉具視はまず、アメリカに行っていました。

明治四年 1871

 10月 8日 岩倉使節団の派遣決定
 11月12日 岩倉使節団 横浜を「アメリカ号」で出港
 12月 6日 岩倉使節団 サンフランシスコ上陸
 12月14日 岩倉使節団 大歓迎会
 12月22日 岩倉使節団 汽車でサンフランシスコを出発

 12月25日 岩倉使節団 ソルトレークに入る

 秋月種樹は資料が少ないので解らない。種樹の消息を語るものとして三好退蔵(高鍋出身後の大審院長)の書簡がある。退蔵は種樹と一緒に渡欧したものである。

 英国ロンドンより拝啓。(中略)四位候(種樹のこと)も左院連中に従って佛に御留り相成候処、大村公(種繁夫人実家)諸国遊歴の挙あり、通弁等も附属し好都合につき、同行にて各国御周遊、魯州(プロシア)を極めてのち、英国に出で米を経て御帰国の積もり。

 後概略。雇った通訳は、読書は出来るけれど、通訳は少しも出来ない、舟のなかより全然役に立たない、厄介の極みだと。種樹公も後悔されている、ついに放還を決心したが、格別の厚意で英国の小学校に修行しているので、種樹は一人で御遊歴御壮のことなり。と。 この手紙は、4月26日付け、城勇雄、秋月種節(水筑小一郎)、綾部豹蔵、手塚吉康(賢太郎)堤長發宛である。

 種樹は七月中旬にイギリスに渡り、そこから夫人宛ての便りを出している。

 4月21日出しの書状昨日相届き拝見。一々承知いたし候。その他の事便り下され安心いたし候。当月15日イギリスへ来たり、来月15,6日頃よりアメリカへ参り候間、十月末十一月初には必ず横浜へ帰船すべく候間、御安心御待ち成さるべき候。此後は御文は出さるまじく候。殊に寄れば此便と同時に日本へ届き申すべきかと存知候。

         七月二十三日    秋月

お多賀との

 帰るのは遅れて十二月になった。巡歴した国々の文化制度、風物は彼の彗眼に様々の印象を与えた。特に、英国の立憲政治と貴族の教養は、強く反省するものがあって、次に始める、華族会館の創立に繋がっていく。

約一年に渡る、欧米視察であった。

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

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