今でも、大活躍のラグビー部
スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)
高鍋高校 出番待つ花園用ジャージー
ラグビー部 9
高鍋ラグビーの神様と言われた名将黒岩が32年間勤めた母校の教壇を去るのは1987年(昭62)。この間、高鍋が花園へコマを進めたのは7回。もちろん県内では最多記録である。まさに名将であった。今、黒岩は母校のすぐそばに建てた自宅で悠々自適の生活を送り、暇を見つけては選手たちの練習を手伝っている。
さて、黒岩が去った後、高鍋が8回目の花園出場を果たすのは88年であった。当時のメンバーは次の通り。
【FW】山口(平成元卒)(同)林(同)木浦(同)押川(同)今村(同)田中(故人)飛高(同)堀口【HB】保坂(同)鈴木(同)【TB】黒木清(同)宇部(同)橋本(同)【FB】岩切(同)
この大会は一回戦で岡谷工(長野)を16対13、二回戦はコザ(沖縄)11対6で連破したものの三回戦では強豪の相模台工に6対39で大敗した。その後は残念ながら高鍋のラグビー部の花園出場はない。
高鍋には全国大会用のジャージーがある。九州大会まではグリーンと白のしま模様だが、花園用はこれにオレンジ色の線が入り、胸元に宮崎の県花であるハマユウのマークがつく。
憧れの舞台で着てほしい、と78年にOB会などで作ったもので、いわば名門高鍋ラグビー部のステータスシンボル、そのジャージーは今、高鍋に大切に保管され、いつの日か再びやってくるだろう花園出場を待っている。
今も高鍋ラグビーの成績は悪い方でない。しかし、中途半端な成績では周囲もそして先輩たちも満足しない。
これは名門体育部の持った宿命でもあるのだが、選手たちがそうしたプレッシャーに勝って9度目の花園出場を果たすことを期待したい。(敬称略)
***その次に花園に出場するのは平成10年になる。今年までの成績をと書き始めたが今年は連続5回目の出場となり、長くなるので明日にでも・・・。今年の締めは紅白!!!
来年もよろしくお願いします。q(*^O^*)p
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