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黒岩先生 走るのが好きだった!

スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 「走れ、走れ」で県大会優勝

 ラグビー部 2 

 高鍋ラグビー部の歴史を語るとき、32年間も同部の指導に当たってきた黒岩正春の存在を忘れてはならない。その32年の間、高鍋フィフティーンを7度も全国大会の舞台・花園に導き、日本代表選手を多数送り込んだ名将。黒岩がラグビーを始めたのは、宮崎大芸術学部体育科に入ってからだった。宮大でも駅伝を続けていた黒岩は、3年生の友達に誘われたのがラグビーにのめり込むきっかけだった。

 この友達は大変優秀なラガーだった。「彼はCTBをやっていたんだけど、パッとディフェンスを抜いて、簡単にパスする。WTBの僕はその球を受けて走り、トライするだけ。ラグビーが面白くなってね」と黒岩。

 ラグビー部に入った黒岩は入部一ヶ月で試合に出され、その試合に勝って全国地区対抗大学大会に出場した。ラグビーのとりこになった黒岩は駅伝の練習に出なくなって怒られたという。「ラグビーで走っていれば、駅伝の練習にもなると思っていた」と、黒岩は笑う。

 宮大を卒業した黒岩は恩師の誘いもあって、そのまま母校・高鍋の教諭に赴任した。体育教師として懐かしい母校の教壇に立った彼は馬車馬のように働いた。いろんなクラブの顧問もやったし、バレー、バスケット、野球部の手伝いもした。

 その黒岩が本格的にラグビー部の監督に就任したのは1963年(昭38)。当時野球部の人気絶頂の時代、素質のある生徒はみんな、そっちに入ってしまった。「部員集めに苦労した。勉強嫌いだとか、先生から見放された子が入ってきたが、どんな子も勧誘した。そんな子を集めて、とにかく全国レベルの野球部に追いつけ追い越せと頑張った」と、黒岩は当時を振り返る。

 その集団が起動に乗り始めたのは66年からだった。この年の県大会で優勝したのだ。「必死でやればなんとかなる」と、部員全員が思い始めたらしめたもの。黒岩の地獄のトレーニングに文句一つ言わずに従った。駅伝選手だった黒岩の指導は ただ走れ、走れ。「走って走って、相手が二人行くところには3人、3人いるところは4人行け」。これが黒岩の指導のすべてだった。(敬称略)

 *** 黒岩先生徹底してたんですね。素晴らしい!!従って走った方も凄い!ただ走れ、走れ・・・か。スパッと抜けたらどんなにか気持ちいいんでしょうね。当時、先生にしごかれた方、思い出をコメントしてくださいませんか。 ***

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