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猩々人形の由来は?

 Photo_fes_photo_1 今年の夏、名古屋ど真ん中まつりで、優勝した鳴海商工会の大きな大きな人形・・・猩々(しょうじょう)。子供の頃とっても怖かったって言われる猩々。何故、あんな人形がおまつりに出るようになったのか不思議でしょうがなかった。鳴海・大高・有松(緑区)の猩々から写真をお借りしました。

 中日新聞の今朝の朝刊【なごや特走隊】に寄せられた質問「緑区には猩々の人形が出る祭りがあります。この地域特有らしいですが、由来が分かりません」に答える為、記者が奮闘したようだ。

 そのまま引用したいところだが、ちょっと長いので・・・。記者が、辞書を引いて「猩々」を調べると、中国の想像上の動物と出てきたそうです。姿は猿に似て、顔は人間のよう。酒が大好きで顔は真っ赤。室町時代に成立した能「猩々」は、親孝行の若者が猩々から酒が尽きないつぼを与えられるというストーリーで、その中で猩々は福の神として描かれている。と続いている。

 えらい、長い歴史があるんだ。記者も同じ思いだろうか?鳴海の投稿者のところへいく。鳴海八幡宮で毎年10月に行われる例大祭では、2メートルを越す、猩々の人形をかぶった人が神輿(みこし)渡御の行列に参加し、町を練り歩く。各町内の集会所などには別の猩々人形も出現。猩々に追われてたたかれた子は、病気にかからないという言い伝えもあるそうだ。

 記者は謎を解くべく鳴海絞の社長さんや、南区笠寺町の七所神社の宮司さんの処へ行く。色々なことが分かってくるが、由来はまだわかんない。

 鳴海に戻って聞き込みをすると、「猩々が海からやってきた」という伝説があることが分かる。。そこで、名古屋市博物館の学芸員さんに取材。

Oodakasakegura_1   学芸員さんに聞いて分かったことは、鳴海は江戸時代、酒造業が盛んだった。現在の緑区大高町や南区星崎町、東海市荒尾なども同様だった。(写真は大高町)

 西日本では、神輿行列の先頭に、天孫降臨の先導役、猿田彦神に見立てた天狗(てんぐ)が立つことがある。その面は真っ赤。学芸員さん「酒文化という土壌があったからこそ、猿田彦神を、天狗ではなく猩々に見立てたのでは」とほほ笑んだ。って書いてある。ここに天孫降臨が出てくるとは面白い。

 新聞の記事はもう少し続くが、謎は解けた。天狗ですか、故郷(宮崎・木城)では天狗は見たことがあるような・・・。はっきり覚えては居ないが神楽は見た。。比木神社とか、お日子山の祭りの神楽とか。決まって踊っていただろう。比木神社は裸祭りもあったかな?

 猩々は天狗の変わりにしては、でかい!!!

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コメント

 実家の氏神様は七所神社なので、小さな頃から猩々はお祭りにつきものでした。当然、他の地域にもあると思ってたので、割と狭い地域のみだとわかったときにはびっくりしました。私が子供の頃は、小学校四年生以上の男子しか、猩々の中に入れなかったのですが、今は少子化のせいでしょうか、女子でも入れるそうです。細い竹をにぎった猩々が追っかけてくるのは中は知ってる子だとわかりながらも怖いものでした。猩々をはやす言葉は「猩々のはげ頭」でした。本当かはわかりませんが、下を向いて三つ編みの髪が垂れるとその下ははげてるからだと聞きました。
 七所神社に各町内が集まると、猩々をかぶっていた子もぬいで、猩々を塀にたてかけます。何体も猩々が並ぶのは、それが人形だとわかっていても、怖いものでした。

新聞で見ると、大きい猩々の話しか書いてなかったけど、子供が入るような小さい猩々があったんですね。中に入っている男の子は、きっと、好きな女の子にわざと意地悪したんでしょうね。ほのぼのしていいですね。
はやす言葉もね。はげているおじさんはいたしかゆしだったんかな!
お気の毒に!!

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