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高鍋高校 駅伝部 黒岩正春

 手元にどこかの新聞に連載されたであろう記事があるのでコピーしたいと。個人情報は卒業年・名前は苗字だけ・職業は略します。表紙がないのでいつの物かもわかりません。タイトル文字が福岡工大付に通っていた、93年柔道世界選手権48キロ級金メダリスト、田村亮子になっています。つまり、この小冊子は93年頃のものかもしれません。野球部はクリックしてね。

 高鍋高校ラグビー部について・・・。それには、まず長いこと監督だった黒岩先生のことから。

 スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 黒岩は骨折隠し全国大会力走

 駅伝部 

 1950年(昭25)12月末、大阪の師走は冷たかった。まだ焼け跡が残る大阪・ミナミの繁華街、道頓堀を若い男の集団が歩いていた。全員が戦闘帽をかぶり、軍隊用のマントを羽織り、これまた軍隊用のゲートルを巻いていた。

 戦後の混乱期が残る当時では別に珍しい服装ではなかったが、歳末特別警戒中の大阪府警の警官には浮浪者集団に見えたのだろう。呼び止められて職務質問された。

 一瞬両者の間に険悪な空気が流れた。その時である。いかにも集団の中のリーダー格に見える一人の屈強な少年がはっきりした口調でこう言った。「私たちは宮崎県から来た高校生です。決して悪いものではありません」この少年が高鍋高校駅伝部の主将黒岩正春(昭26卒元高鍋ラグビー部監督)であった。

 黒岩たちは大阪で行われた第一回全国高校駅伝大会に出場するため高鍋からやって来て、大会の前日に市内見物をしていたところ職務質問されたわけだ。

 しかし、この「浮浪者集団」はその翌日、郷土宮崎の人たちをあっと言わせる快挙をやってのけた。

 大阪・堂島の毎日新聞社前をスタートして堺市で折り返す6区間で行われた第一回全国高校駅伝で3位に入賞したのだ。

 高鍋の花の1区はその黒岩。レース前、疲労から左足を骨折(左中足骨亀裂骨折)していたのを隠して力走した。結果は17位だったが、2区の上野春雄(昭26卒)が健闘して、一気に7人をゴボウ抜きして3区の1年生佐々木幸雄(昭28卒)にバトンタッチ。

 佐々木も力走また力走、同じように7人を抜いて3位に食い込んだ。そしてこれを4区の森本広(昭26卒)5区の小田(同)アンカーの大山(同卒)とつなぎ、見事に3位入賞を果たした。

 タイムは1時間50分17秒。優勝は広島の瀬羅だった。この模様はラジオを通じて全国に実況放送されたが、もちろん宮崎でも県民がラジオの前で大歓声を上げていた。」高鍋はこの年、野球部が九州大会準優勝二重の喜びとなった。この後、黒岩はラグビー部の監督となり黄金時代を築き上げる。4505

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