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やっと・・・花園へ 高鍋高校ラグビー部

 24日(日)のラグビー大学選手権2回戦で、関東対抗戦2位の明大が関西の大体大に14-28で敗れた。3日の早明戦の後半で見た、明治らしい、重戦車が復活したので楽しみにしていた。敗れはしたが、前への魂が復活のニュースは嬉しい!!新しいコーチのもと、次は期待している。

スポーツ山脈 (編集委員 蒲牟田 勇)

高鍋高校 創部22年目で悲願の花園

 ラグビー部 3

  伝統と栄光に彩られた名門高校体育部の歴史をたどっていくと、必ず数々の名選手のほかに、創成期に貢献した先輩や名監督のドラマとの出合いがある。高鍋高校も例外ではない。戦後の1948年(昭23)創部のラグビー部を支えたのは小森(昭26卒)だった。小森は高鍋がはじめての県内制覇を遂げた50年、主力で活躍、宮崎大在学中にはハーフとして同大の九州制覇に大きく貢献した。

 この小森から宮崎大時代にラグビーを教えられたのが、高鍋ラグビーの神様といわれる黒岩正春(昭26卒)。黒岩が一区を走った第一回高校駅伝で高鍋が入賞したことは前に紹介したが、宮崎大時代、ラグビーに取り付かれた黒岩は陸上部からラグビー部に転向、卒業すると母校陸上部の監督に就任した。

 その黒岩がラグビー部の監督になるのは65年。当時、野球部は甲子園でベスト4に進出、全盛時代を迎えていた。黒岩の最大の目標はその野球部だった。

 陸上出身の黒岩の指導方法は一にランニング、二にランニング。それこそヘドが出るほど走らされた。これが後に高鍋のお家芸となる。それは今年の花園で一躍人気者になった長崎北のスピードを上回るほどだった。

 そのランニングラグビーで、就任2年後に県大会制覇を果たし連続4年九州大会へ。そして70年、創部以来の悲願であった花園での全国大会出場を果たすのである。

 創部22年目でやっと悲願達成したフィフティーンは次の通り。【FW】隅田(昭46卒)岩切(同)河野年(同)横尾(同)清(同)内田(同)橋田(同)河野晴(同)【HB】黒木(同)出水(同)【TB】黒木啓(同)黒木章(同)井上(同)河野雅(同)【FB】田中(同)「出身大・職業は略した」(敬称略)

 このメンバーに中学からの同級生の名前がある。しかし、花園に行ったのを覚えていない。きっと、体育館とかで壮行会などもやっただろうに・・・。卒業した年に野球部が甲子園に行ったのはよく覚えているのに・・・。

 黒岩先生が第一区を走った高校駅伝。24日昨日・・・開催。回数を重ねて今年は57回大会。男子は世羅が優勝する。前に書いてあったが、当時は大阪。1966年(昭和41年)の第17回大会から現在の冬の都大路。

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