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あの震災から12年・・・

 昨年8月20日に龍馬を訪ねて神戸に行った。JR三ノ宮駅から神戸海軍操練所にたどり着くまでにいろいろな思いが巡った。阪神・淡路大震災を直接思い出すようなものは町には残っていなかったが、Photo_10 震災を忘れないために作られたモニュメントや石碑などがひっそり建っていたりした・・・。
 東遊園地は、神戸海軍操練所のほんとに近い場所にある。慰霊と復興のモニュメントで、多数の人の名前を見た。暑かったあの日は人はほとんどいなかったが、今日のニュースは雨の中たくさんの人とろうそくの火がともっている様子を伝えている。神戸新聞web版にその写真がある。クリックしてね!名古屋でも何時、地震が来ておかしくないのだから、地震に備えなければ・・・。

 ブログのメンテナンスがあることをすっかり忘れていた。昨夜パソコンの前でやっと気がつく。

 16日読書会の例会と新年会。
まずは、図書館に集まり、『徒然草』を読む・・・。その後新年会の会場に行く。そこで・・・久しぶりに全員集合する。料理をいただきながら、課題本藤沢周平著『時雨のあと』の読後感を一人づつ言っていく。皆よく読んでいる。読み安いし、話がわかりやすい。何故、江戸時代を書いているのか・・・。など疑問も提示しながら・・・。
 全員集合しても9名しかいないが、他の会も事情は同じらしい。日本舞踊の会は4人・水彩画教室は6人・ヨガは10人を切ってしまい、会費の値上げをしないとやっていけないとか!読書会もこれ以上人数が減ると、大変かも・・・。来月は杉浦日向子著の『ごくらくちんみ』どんな珍しいものが書かれているか楽しみ!!

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コメント

 12年前の今日、まだ、結婚してませんでした。まだ母を亡くしたばかりで、父と二人で震災の様子をテレビで観てました。母は胃がんで最期まで闘っていました。告知はしませんでしたが、再入院して、2週間だろうと言われたところ、1ヶ月がんばりました。じょじょにできることが無くなっていき、最期の頃は水さえ飲むのを止められて、ずいぶん苦しかったと思います。でも、震災で亡くなられた人の中にはあっという間で即死状態の人もいるんだろうねと父と話した記憶があります。突然の災害で大勢の方が亡くなったことを考えると、いつ、自分のうえにも死がやってくるのかわからないねと話しました。
 その父は暑い夏の日、心不全で突然逝ってしまいました。その時にはもう結婚していたのですが、たまたま前日、実家で夕食を一緒にしました。家まで車で送ってくれて、大きな声でマンションの階段を上ったので、ひやひやしたくらい元気でした。
 生死はわからないものだと、1月17日を迎えるたびに思います。

ぼんやりっこさん
もう、両親ともいらっしゃらないんですね。親が亡くなるという体験をしてないので、どんなにか寂しいだろうなあと思うだけで実感がありません・・・。幸せなのか、介護もしておりません。祖母は高校生の時に亡くしましたが・・・。

 両親は亡くしましたが、母方の祖母がまだいます。もともと同居してたので、当たり前のように実家へ介護しに行ってます。といっても、一週間に一度程度ですが。妹も家が近いので、介護しています。あとは、ヘルパーさんにお願いしています。93歳です。子供の頃から寝たり起きたりの生活をしていたので、未だにどうして長生きできてるのかわかりません。10年の間に祖父、両親と3人のお葬式を出しましたが、みんな祖母だと思っていたくらいで・・・。近所の方は祖母がもう、亡くなっているものと思い込んでみえる方もいたくらいです。人生、わかりませんね。

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