1月8日 ある会合の総会と親睦会に参加する。相変わらず男性が多い。部屋いっぱいです。 「古代史における猪」というテーマで話される。
猪肉は宮崎空港で土産で売っているし、子供の頃から馴染んできた。椎葉では、神楽のために数人で狩に行き、頭(かしら)を神様にささげる慣わしも残っている。猪や鹿の肉を神前に供える神楽と生き物を供えない神楽の両方がある。この猪の肉が後で料理され、 見物客の前に出されることになる。 大事な食料として大切にされてきた。古代から猪は村人の作った作物を食べてしまうので、見張りもしたらしい。昨今ではハンターが増えて猪一頭にハンター10人とか聞く。
神様に供えたとしても、害獣以外のなにものでもない。六甲山の猪のニュースなど、迷惑な猪である。猪条例なるものもあるらしい。
縄文時代の遺跡・遺物から全国的に広く猪の骨は出るそうだ。猪は暖かいところで生息しているはずなのにと思ったら。縄文時代はずっと温暖だったようだ。土偶も、北海道日ノ浜貝塚・青森県弘前市尾上山遺跡など。特に年賀状に書きたくなるような猪形土偶は青森県十腰内で。
弥生時代になると銅鐸の文様として書かれている。古墳時代には埴輪の腰の飾りだったり、石製の猪も発見されている。動物埴輪の出土状況が復元されているのは、大阪府昼神車塚古墳・・・たくさんの埴輪が並べて有るそうだ。
興味深い話はまだ続く。万葉集と猪。万葉集の中には16首が猪と鹿が一緒に詠まれている。山中に住む獣、狩猟の対象・田畑を荒らす害獣として登場しているらしい。
続日本紀・日本後期と猪。和気清麻呂と猪として紹介された。また、和気清麻呂と護王神社としても・・・。
和気清麻呂を祭神として明治19年造営。京都御所蛤御門西。和気清麻呂の随身として狛犬の代わりに拝殿前に雌雄一対の狛猪が立っていると。戦前の十円札に猪が印刷されて俗称イノシシ。
風土記の中にも猪は書かれているようだ。神様のうちはいいけれど、猪の農作物被害は年々増えている。これから猪とどう付き合っていくか。最後に野生生物との共生へのメッセージとして・・・。『熊を殺すと雨が降る』失われ行く山の民族 遠藤ケイ著を紹介されて終わった。
最近のコメント