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天誅組の古~い映画の話 刈谷市

 1月21日刈谷市郷土文化研究会の刈谷の歴史・文化を語る談話室に参加する。郷土の歴史は最近人気があると聞いてはいるが、刈谷市もその一つだった。80名入る視聴覚室が満席。ここでもほとんどが男性。 

演題 松本奎堂伝説 ~映画「天誅組」と「愛国百人一首」 鈴木 哲  
 1、幻の松竹映画「天誅組」(1928年) 
 2、複数伝えられる松本奎堂辞世句 
 3、愛国百人一首(1941~43年) 
 4、談話の部  

 幻の松竹映画「天誅組」は1928年・昭和3年に作られている。つまり、明治維新から60年。明治維新から還暦ということで、日本国中でいろんな出来事があった。と聞いている。京都の街に石碑がこぞって建てられたり・・・。 

 発表された 「日本映画データベース」による「天誅組」は興味深かった。日本映画データベース http://www.jmdb.ne.jp/ 製作=松竹キネマ(下加茂撮影所) 1928.11.17 電気館7巻白黒 無声 監督・脚本・原作  二階堂兵馬 撮影 杉山公平 出演 堀正夫・千早晶子   主演の堀正夫は1904年生まれ(当時24歳) 千早晶子1908年生まれ当時20歳 この年齢から堀は藤本鉄石(48)や松本奎堂(33)ではなく吉村寅太郎(27)か中山忠光(19)かと言われる。   国際情報社「劇と映画」1928年12月号「松竹加茂へ加入した新聲劇の人気者堀正夫主演、千早晶子助演、冬島泰三作品 とした一枚の写真を提示されてた。ふたりの人物が写っているが一人は堀正夫、もう一人は当時17歳の高田浩吉だという。やっと知っている名前が出てきた。高田美和のお父さん、時代劇俳優の高田浩吉。17歳とかいかに古い映画か。談話の部で80年前に作られたこの映画を見たという人が二名見える。小学校から、と中学校から「大黒座」に見に行ったと・・・ふたりとも少しだけ覚えていると話された。   

 雑誌・新聞の「天誅組」記事 「キネマ旬報」の「天誅組」記事 追跡調査 と話は続き興味は尽きない。

 1236 複数伝えられる「松本奎堂辞世句」では、奈良県東吉野村の阪本基義氏と教育長・議長さんがお見えになっていて、天誅組最後の地の歌碑と刈谷の亀城公園にある歌碑の歌が微妙に違っていることを話される。
 
 公募して集まった12万通から選ばれて作られた、「愛国百人一首」それを元Fujimototessekiに作られたカルタ。愛国百人一首カルタで遊んだという人もいて面白かった。質疑応答も活発に行われ、地元ならではの講座楽しかった。 写真は刈谷市亀城公園の松本奎堂辞世句と京都市御池の駐車場の隅にある藤本鉄石寓居跡の碑

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コメント

 寒いのに、活動的ですね。郷土史は流行ってるんですか。しかも、男性が多いとか。講座で男性が多いというのは、今まで経験したことがありません。
 刈谷といえば、大あんまきですよね。幼い頃、ベルトコンベヤーで運ばれていく大あんまきを飽きずに見てましたっけ。で、ソフトクリームを買ってもらうというパターンが多かったです。菖蒲がきれいなのは無量寿寺でしたっけ?あれは知立だったかな?もしかしたら大あんまきも知立でした?刈谷・・・デンソーせんべいが有名と主人が言ってました。考えてみると、狭い範囲しかわかっていないものですね。

歴史関係の講座は男性が多いですね。長浜城でも、緑生涯学習センターの『日本書紀』を学ぶ会でもほとんどが男性。
刈谷って何があるんでしょうね。トヨタ関係のデンソーやアイシンがあるから、図書館は立派です。美術館も中身の濃い展覧会が開催されます。
デンソーせんべいか、まだお目にかかってませんね。今度探してみよう!

1月21日(日)の談話会「松本奎堂伝説~映画『天誅組』と『愛国百人一首』」をお話した刈谷市の鈴木哲(すずき・てつ)です。興味深く聞いていただけとのこと、大変、うれしく拝見しました。

よだきぼママさんからのご発言もあればうれしく思いました。

「松本奎堂伝説」は今しばらく調査を進め、将来、刈谷市郷土文化研究会の『かりや』(毎年3月に発行)に掲載していただくつもりでいます。なお『かりや』第25号(2004年3月)に「『天誅組と刈谷』百四十年」を掲載しています。


詳しい記事を書いて下さり、お礼申しあげます。

大あんまきは知立名物ですが、デンソーせんべい???初耳ですが、刈谷名物ですか?どこで販売しているんですか?教えてくださいピカソ。松本奎堂を語るときは、伊藤両村先生をお忘れなくお願いします。

鈴木 哲さま
コメントまでいただき有難うございます。
談話会、地域のみなさんの熱意を感じるいい会でした。次の企画も楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。

鎌倉街道さま
コメント有難うございます。
デンソーせんべい気になりますね。

伊藤両村先生ですか。情報有難うございます。龍馬はいざ知らず、松本奎堂を知ったのは去年の6月ですから知らないことばかりです。これからも情報等教えてください。
よろしくお願いします。

拝啓 よだきぼママ様
鎌倉古道十三塚研究家の村方文書地租改正と申します。以後宜しくお付き合いのほどお願い申し上げます。伊藤両村に関してお耳拝借いたします。
なぜ松本奎堂と結びつけるかと、疑念に思われるかと推測いたしますが、奎堂は弘化二年十五歳で両村塾に入門、両村の奨めで二十一歳に江戸に出て昌平坂学問所に学び、舎長にまで進んだが、安政五年の春頃に退学して郷里に紆余曲折のあげく帰り、両村先生の配慮で名古屋に開塾した経緯があり、両村死後はみなさん良くご存知の天誅組の3総裁の一人として歴史に名を残します。門人には宍戸昌明(弥四郎)伊藤三弥(謙吉)倉田珪太郎、浜田篤蔵(家老与四郎の長男)など刈谷にとても縁が深くとても書ききれないものがあり候、以上 続く?追伸 竜馬大好き人間で高知に三度
、長崎に幾度となく、京都には三桁の参上と、竜馬に傾倒せし時期ありて、懐かしきかな!

村方文書地租改正様
丁寧な解説ありがとうございます。
二度目に刈谷に天誅組の宍戸彌四郎を訪ねた折に、刈谷市駅前の本屋さんに立ち寄りました。店主に薦められて鈴木定雄著『松本奎堂先生覚え書』を求めました。その中で伊藤両村のこと知りました。じっくり目をとおしておりませんので、そろそろ熟読したいと思っております。
龍馬のこと、高知もそうですが、特に長崎時代の龍馬に興味があります。遠いのと、我儘なニャンコに邪魔されて長崎まで行けません。老後の楽しみに取っておきましょう。機会があれば、お話聞かせていただきたいものです。鎌倉古道を歩く会などの企画もあればお知らせください。
**こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします。

よだきぼママ様 長崎の亀山社中跡に昨年12月中旬に行ってきた時の事ですが、寺町から適当に風頭公園(竜馬像)めざしてお墓の登り階段を上がって行くと、途中に上野彦馬家の墓を発見し見学、慶長年間から歴々と続く名家で日本の写真の開祖で有名で、竜馬や維新の有名どころの貴重な写真は彼が撮影したのかとの思いが錯綜し、手を合わせてまいりました。また登りましたところ、楠本家の墓があり、シーボルトの娘、楠本いね、美人の誉れ高い山脇たかの事に思いを馳せました。やっとのこと頂上にたどり着き、風頭公園(凧揚げ会場)から長崎の町並み、港の景色はまた格別な絶景でした。そして目的地の亀山社中跡にたどり着いたのですが、閉館し近くに亀山社中資料展示場も時間が遅かったせいか、閉館しており目的果たせず残念無念。
亀山は亀山焼きの窯あとの場所で、陶磁器愛好家の私にとって思わぬ巡り会わせでしたが、この場所に日本初と言われるカンパニーがあったのかと感慨深く、海援隊と続く歴史に思いを馳せて帰りは、竜馬ブーツ像をはいたり、竜馬通りのハイキングコースを歩いたりして、ひとときの歴史散策をいたしました。長崎は長崎電気軌道の一日乗車券に限りますね!ハイ 乱文にて失礼つかまります。草々

鎌倉街道様
坂の町長崎に行かれましたか。私などは中学の修学旅行で長崎に行きました。歴史にはまだ目覚めていませんでした。26聖人像や、平和祈念像など見学しました。
亀山社中跡是非行きたいですね。時間を見計らって行くことにしましょう。
上野彦馬のお墓もですか。龍馬をいい男に撮ってくれて有難うですね。
龍馬どおりをハイキングですか。
とっても羨ましいです。

謹啓 よだきぼママ様
お寺さんぽを拝読いたしましたが、大変僭越ですが、訂正をお願いしたい事項がございましたのでご確認してください。西山深草派は浄土真宗ではなく、浄土宗です。悪しからず 敬具

鎌倉街道さま
コメント有難うございます。
「お寺さんぽ」はひでるさんのブログです。戦国時代の故郷の耳川の合戦の記事のときに感動してコメントを書いたのがきっかけで、相互リンクになっています。お若いんですよ。といってもお会いしたことはありませんけどね。仏像やら、お寺やら、京都のこと勉強になります。鎌倉街道さんはブログとか、ホームページは書いてみえないんですか。あるなら教えてくださいね。
**ひでるさんにはメールを送りました。

よだきぼママ様 鎌倉ハム街道です。大変失礼致しました。夜郎自大な性格ですので、ですぎた投稿早とちりに反省いたします。申し訳ありませんでした。当方、アナログ人間(言い訳)にてブログ、ホームページ等は開設していません。そのうちに高鍋藩、秋月種樹(あきずきたねたつ)について修行してまいりますのでご勘弁を!
アナログレコードコレクターでヤフオクにドップリつかってしまい、現在、謹慎中です。
話は変わりますが、龍馬紀行の旅で昨年、鹿児島霧島神宮に行って来ました。そうです日本初の新婚旅行先と世間で定説になっていますが、なるほどあの山ならおりょうも登ったかなと、想像しました。神宮で龍馬、おりょうさんの写真スポット
そうですどこにでもありそうな顔を、入れて写すれいのやつですが、興ざめ。宮崎には一度も足を踏み入れていません、なぜだか自分でも不思議です。ディスカバージャパン人間なんですが、、、、。よだきぼ様、宮崎のよかところば
教えてつかんさいお願い申し上げ新田原基地。
当方、千葉佐奈殿が好きです。では御免つかまりました。

鎌倉街道さま
誠に不思議なお方のようですね。何とご返事申し上げればいいのか困っております。お寺さんぽのご指摘は正しかったようで訂正されておりました。他人事ながら感謝申し上げます。色々勘違いやら、変換ミスやらあります。お気づきの時はまた、よろしくお願いします。
霧島神宮一度行きましたが、あいにくの深~い霧で参拝もせずに帰って参りました。龍馬が引き抜いたという逆鉾見たいですね。^_^;
お尋ねの、観光宮崎のいいところは東国原知事に聞くのがいいかと思いますが、忙しくって答えてくれそうにない?ので変わってお答しましょう。
★年齢不詳の鎌倉街道さん・・・サーフィンなんかお勧めですが、いかがでしょう。宮崎市内・日向市・もち高鍋海岸もいいかと思います。砕ける波は迫力あります。冬の海も中々のようです。よだきぼはよだきぼゆえにやりません。悪しからず。
★一番のお薦めは、どこにいかれても、宮崎県人に話しかけてください。少々理解不可能な言葉が返ってきても気にせず続けてください。あったかい気持ちが帰ってきます。おもてなし日本一は県人堅気でしょう。
★秋月種樹の修行をされるなら、高鍋町をお薦めです。秋月種樹の像はありませんが、秋月種殷や、上杉鷹山の像から想像することは出来ます。

観光パンフレットについてるところも格別かも。そこでも、県民に語りかけてください。以上です。

よだきぼママ様

フィリップ,フランツ,パルタザール,フォン,シーボルト鎌倉古道幾山河です。
宮崎に関するアドバイス、誠にありがとうございました。参考にし今後に必ず生かします。

管理人様はシーボルトに興味はございませんか?
長崎市鳴滝にシーボルト記念館がありますが、紫陽花を『ハイドラゲア.オタクサ』と命名しています。

シーボルト事件で国外追放され、残してきたお滝
さんの名に因んでつけられたと云われていますが、30年後に再来日したときの感動は何処。

シーボルトの女癖の悪いこと悪い事、史実はかたっていませんね、歴史は後世の人間が脚色したものが多く存在し、改ざんされている事が多々あるやに思います。

なにが申したいかと言いますと、タイムマシーンにてその時代に行かないと実際の事、解りません
との結論です。

郷土の歴史を勉強していますが、古文書(刷り物ではないもの、直筆物)、絵図(デフォルメされていますが)がまだ信用がおけるかと考えます。

シーボルト記念館に3回行っていますが、必ず猫ちゃんがいて歓迎してくれます。トラ君と呼んで
話しかけるんですが、懐いてくれません。名前が
違うからか、野良猫なのか、猫大好き人間としては、めげてしまいビデオカメラで記念撮影にてお別れです。そうか餌だ!

出島も最近復元工事が進行中で、見所多いですよ
30年以上前の感覚でいくと、吃驚しますよ。
出島の正門前の橋が早く復元されると必見ですよ、でも土地買収で梃子摺っているようです、何年後のことやら。

よだきぼママ様 話が支離滅裂で掴みどころが
ないかと、戸惑っておられると感じてますが、
暫くお付き合いのほどを。御願います。


 なんだか、歴史もので盛り上がってるところを申し訳ありませんが、デンソーせんべいのご説明を。
 実は、私も見たことがないのです。なぜか、日本デンソーで作っているそうで、素材がいいので、結構おいしいそうです。販売は・・・日本デンソー内なんでしょうか? 社員向け? 販促品? いまいちわからず申し訳ありません。

ぼんやりっこさん
デンソーせんべい・・・検索しても見つかりません。ないとなると、余計に気になりますね。息子の友達にデンソーに行ってる人はいなかったんです。どうしようか。誰か、デンソーに勤めてないかな。アイシンに勤めている知り合いならいるんですけどね。アイシン饅頭とかあるとおもろいけど聞いたことがないんでやっぱ、無理でしょうね。もう少し探してみましょう。いっそ、工場見学にでも行きますか?ギャラリーは有るようだから、もしかしてそこにあるかも・・・。

鎌倉街道さま
昔、むかし、オランダお稲という連ドラがありましたがそれを見た時かどうか、思い出せませんが、シーボルトに対して良い感情は持っておりません。勉強したこともありませんので、自分勝手な思い込みにしかすぎませんがね。
何故嫌いかは、彼はスパイかもしれんという憶測を捨てきれないからです。シーボルトはプラント泥棒ですからね。現在、紫陽花は外国で品種改良されて、ハイドランジャと名前を変えて売られていたりします。シーボルトの功績かもですが、気に入りませんね。母国に持ち帰った植物の種類の多いこと。花泥棒は泥棒にあらずと勝手なことをいう人がいますが、とんでもないことです。ドイツだけでなく、イギリスでもプラント採集は行われますから、時代背景からいっても仕様のないことかとも思いますが。

郷土の歴史を勉強中とありますが、長崎の歴史でしょうか。暫く付き合って欲しいとのことですがおもろいことあるんですかね。
それなら、管理人は鎌倉街道さまの推理でもしましょうか。カキコが遅い時間が多いので、今だ、現役の社会人である。夜郎自大などと難しい言葉を使われるのであんまり若くないか、もしかしたら、漢字検定1級を目指している????? 今日はこれまで!

鎌倉街道様
久しく書き込みがないですが、どうされました。連休中はご旅行かと思いましたが。
シーボルトはスパイなんかじゃないですよと否定されるんではないかと期待してたんですが。なにかお気に触りましたか。
気楽に書き込みしてくださっていいですよ。

よだきぼママ様
 
愛智郡田楽狭間と申します。お久しぶりです。
早速ですが、世間の皆様に問います。
桶狭間の合戦の件で、歴史学者、歴史作家、歴史に興味のある方々が、いろいろな書物や、ブログ、テレビの歴史再考ものなどで桶狭間の合戦について、いろいろなご意見を発信しておられますが、桶狭間の合戦は、『田楽狭間』の合戦が正しいのではないかと考えます。
名古屋市緑区有松の方々は歴史を、歪曲しようとしています。『信長公記』『信長記』の桶狭間山にとらわれ過ぎで、地元の地形や歴史にご理解があるかたなら、この地域一帯は
どこにでも当てはまる場所のような山が当時
あり、江戸期や明治期の古地図をたてにし
て、有松説が正しいと断定するには如何なものかと考えます。
私見ですが、①戦人塚の位置を考えていない(有松桶狭間説はここが一番抜けている)
およそ、2500人余りと言われる死者を
距離のある戦人塚に当時、どうやって運んであの山に葬ったか、逆にお伺いしたい。
②桶狭間山にとらわれすぎて、明治期の測量図をたてに6何メートルかの一番高い山の印が、桶狭間山だと決めつけ、旧知多郡有松村桶狭間集落のあたりだとの見解、合点がいきません。信長公記の記載はあやふやですよ!
山の頂上に陣を張ったと考えるのは、おかしいと思いませんか?大変なことなんですよ、時間的にも、軍事的にも、
③現在の競馬場あたりか、藤田学園あたりが
 妥当と考えます。競馬場は昭和20年代中ごろ山を伐り開いた場所です。その前は、野球場でした。
④藤田学園の所在するもともとの地名が田楽ヶ窪
⑤上記は沓掛二村山の麓、沓掛城から進軍した今川軍は鎌倉街道を西行し田楽ヶ窪から南館方面に進軍したと考えます。
⑥途中、田楽狭間付近にて陣を張り、信長との一戦になったと考えます。
⑦豊明か名古屋市かの論戦は可笑しいですよ
 もともと豊明の古戦場伝説地と緑区桶狭間は知多郡の同一地域ですよ、みなさん!

愛智郡田楽狭間 鎌倉街道?様
お久しぶりですね。
私は地形がよくわかりません。NHKの前の歴史番組で取り上げられたことがありましたが、全部が真実とも思えなくなってきているところなのです。
龍馬暗殺薩摩黒幕説を放送するようなところですからね。あの時はアンケートの結果でそう判断したからでしょうが・・・。

今度、京都にある光村推古書院が「名古屋時代MAP(江戸時代編)の出版のお話が浮上してきてます。」と2月18日の日記にコメントしてくださいました。名古屋時代MAPが出来れば、詳しい地形がわかるでしょ。そしたら、よくわかるかもです。
「時代MAPで取り上げたら面白いネタなど、ありましたら是非とも教えて頂けたら幸いです。」とも書いてありました。どうぞ、田楽狭間も推薦してみてください。お願いします!!

よだきぼママ様
追伸 余談になりますが、名鉄中京競馬場駅手前の国道1号線は現在は、ガードの下を通っていますが、旧道時代はこの線路を渡るのに、坂を登って踏み切りを渡り有松の町並みに下っていったのです。かなりの難所だったと、名古屋の『市』に荷車で農作物を運んだ経験のある、祖父や父が言っていました。
駅名は、『桶狭間』と戦前の一時期使っていました。現在の位置とずれますが。
ですから、つい最近の事もみなさん御存知ないのに、1560年前後のことが解るかいなと、自分自身も含めてですが言いたいです。
豊明に前後と言う地名がありますが、由来は
間米の前の郷との意味で、『前郷』と呼ばれたのが、変化して『前後』となったとの説と、戦人塚は前後の村内ですから、田楽狭間の戦いの戦死者を、曹源寺の和尚の意向で、埋葬する為、死体を運んでいる途中に、首や足などが、前後に落ちてしまうところから、
この地を、『前後』と呼ぶようになったとの説もあります。(無理があるような説ですが)前後は以前は、五軒屋新田と呼ばれていました、その後、大沢村、旧豊明村になります。

よだきぼママ様
今晩は、鎌倉街道です。
よだきぼ様が推測されたとうり、現役プロレタリアートです。兼業農家と言ったほうがご理解い頂けるかと思います。郷土史の勉強で、この頃は、お墓の墓碑を見て回っていたり、神社の鳥居や、狛犬、などの寄贈者や、寄贈年月日などを見て回っている怪しい人間です。上記投稿2件は鎌倉街道でした。ア、テローグ!引かないで~耳川の合戦

鎌倉街道様
やはり・・・あやしい?人ではないかと。
思っていたとおりですね。(笑)
郷土史って愛知県でしたか。
いろいろな地域にお詳しいですね。
よだきぼも神宮の燈篭を見て、喜んでいるんですから仲間ですね。
ということは私も・・・あやしいのかな?

よだきぼママ様
お今晩は!さいざんすマンボ!
質問です。①木城町の『湯らら』ていいですか?②耳川、高城の戦いの遺跡の見所は?③高鍋高の伝統行事は?(高山地方のとある高校のハクセン流しみたいな)④木城の名前の由来が、椎木の木と、高城の城をとって、木城て、本当ですか?⑤小丸川に想い出は?⑥
今でも島津の影響があるんですか?都城は当然ですが(東国原知事応援します)⑦美々津の権現崎公園てお勧めですか?⑧宮崎市は日本のブラジリアと云われますが?本当ですか?⑨木城は何処と合併するんですか?
⑩マウンテンバイク大会はまだ開催されていますか? 以上 素朴な質問ですがご回答をお時間がございましたらで結構ですからお願い申し上げます。
大友義鎮より

鎌倉街道様
よく、調べてくださいましたね。
①の答 まあ、あんなもんでしょ!特別なことはありません。お隣の高鍋の湯の方がいいという人もありますが、けっこう利用者は多いですよ。
②④⑩は木城町のHPをどうぞ。
http://www.kijo.jp/index.jsp
③高鍋高校の伝統行事ですか。そりゃ、いろいろありますが、宮崎県人は暖かい気候と同じでこだわりがないのでハクセン流しのようなことはなかったですね。高鍋高校のHPはこちらhttp://www.miyazaki-c.ed.jp/takanabe-h/です。
⑤小丸川の思い出ねー。小学校低学年のころはプールがなかったので水泳の授業を小丸川で受けました。高校の時はスケッチしたり、走ったりしました。小丸川では花火大会もありましたね。思い出は尽きないですね。
⑥島津の影響ってなんのことかわかりませんが、島津を意識して育った覚えはありません。男尊女卑ってこと?特別ありません。東国原知事・・の育ったみやこんじょはそうなんですか。
⑦美々津の権現崎公園はお薦めですよ。
⑧宮崎市のことはわかりません。ブラジリア?教えてください。
⑨木城の合併?何十年も前から、合併してよというラブコールはあったようです。今は児湯郡でという話は聞きますがどうでしょうね。

よだきぼママ様
前略 ご回答誠に恐悦至極にてありがたき候です。
ブラジリアは、ブラジルの首都ですが、クビチェク大統領時代に、4年間でリオデジャネイロから遷都を完了した計画未来都市です。私も学校教育で学習し、当時、強烈なインパクトで脳裏に焼きついた言葉です。特に国会議事堂の写真は、1960年代の学童にとりましては、未来都市が現実に在るんだと異次元の世界を見る思いでしたね。。。
よだきぼ様は授業で出てきませんでしたか?社会科だと思いましたが、、、、、。
宮崎県の場合、美々津県と都城県の2県がまとまつて成立した県ですので、途中一時、鹿児島県編入時代もあり、10年間の変遷期を経て新制宮崎県になった事により、県庁を
中間の宮崎に置いたとの考え方で、都市としての歴史のあまりない所が、県庁所在地になったことは、南北の(北の延岡、日向、南の都城や飫肥)融和を図ったと考えて設置したのかなとの思いで、ブラジリアを無理にくっ付けてしまいました。然るに日本における計画遷都都市に少し当てはまるかなとの考えからです。  以上   小村寿太郎より

よだきぼママ様

2007年1月21日(日)の刈谷市中央図書館での講演「松本奎堂伝説-映画『天誅組』と『愛国百人一首』」を踏まえた調査結果を、「映画になった『天誅組』」と題して資料とともに小論にまとめました。

論文を2008年3月発行の刈谷市郷土文化研究会会誌『かりや』第29号に収録していただけることとなりました(2004年の第25号に「『天誅組と刈谷』百四十年」を掲載していただきました)。
 
『かりや』は愛知県図書館や名古屋市鶴舞中央図書館などでもご覧いただけますが、ご興味があれば抜刷「映画になった『天誅組』」をお送りします。送付先などご一報いただければ幸いです。なお、お届けは2008年4月下旬になります。

刈谷市 鈴木 哲
 

鈴木 哲 様
お久しぶりです。
新しい情報ありがとうございます。
『かりや』第29号に掲載ですか・・・
素晴らしいですね。おめでとうございます。

今一度お目にかかってお礼を申し上げたいと思いながら申し訳ありません。
『かりや』第29号が発行されたころに、私が刈谷に出向きます。
追ってメールで連絡させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

よだきぼママ様

早速のご連絡ありがとうございます。

『かりや』第29号と抜刷「映画になった『天誅組』」は2008年4月20日(日)の刈谷市郷土文化研究会の総会までにできあがります。

総会と研究発表は4月20日(日)13:30-16:00に刈谷市中央図書館で開催されます。会員による研究発表は、刈谷市高須の画家・加藤紫軒についての予定です。どなたでも聴講いただけます。当日、ご都合がよろしければぜひおいでください。

当日ご都合がつかない場合は、またご一報ください。

刈谷市 鈴木 哲

お久しぶりです。唐突ですが、日田の廣瀬淡窓先生をご存知でしょか?最近は淡窓の事を勉強しています。日田に2回行って参りましたが、この方の以呂波歌に心打たれます。咸宜園の精神こそ我々が今一度、再考していかなければと思いますが、よだきぼさんのお考えは如何でしょうか?ご意見をお聞かせ下さいませ。

お久しぶりですね。
お元気でしたか?

申し訳ありませんが存じ上げません。日田と言えば 高校野球で活躍した日田林高と天領地だったということ。絶景の耶馬渓もありましたか?

廣瀬淡窓先生ですか。
今忙しくしておりますので、10月に入り落ち着きましたら勉強いたします。それまでお待ちください。

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    掛川花鳥園 2006年4月4日快晴
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