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今城塚古墳と『日本書紀』を読む会 

 「『日本書紀』を読む会」に参加する。途中あられが降ったり、雪が降ったりのとても寒い日になった。

 まずは、飛鳥の甘樫丘東麓遺跡の現地説明会に参加された人の話を聞く。甘樫丘は『日本書紀』には蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅が営まれたことが記載してある。蘇我氏邸宅の候補地のひとつであるらしい。

 次に、最近話題の高槻市の史跡今城塚古墳の話。今回の調査では、今城塚古墳の主体部にかかわる遺構を始めて確認されたそうです。本来三段築成で最上段となる三段目の盛り土内に横穴式石室が築かれていたと考えるのが至当です。と、資料にある。この三段築成の盛り土は531年に完成したと日本書紀にはあるようだ、しかし1596年の伏見地震発生時に地すべりなどで落ち込んだ状態だという。また、後円部北側に大規模な石組み遺構が見つかったらしい。

 資料の中にあった - 遺物としては、凝灰岩(二上山白石・阿蘇ピンク石・竜山石)や金銅製品(刀装具・馬具)、鉄製品(鏃・甲冑など)の小片、ガラス玉などの副葬品があります。- 継体天皇が身に着けていただろうガラス玉などのアクセサリーも小片といえど貴重なものだろう。が、興味をそそられたのは、三種の凝灰岩。これは特徴的なのだそうだ。二上山白石は大和河内で産し、阿蘇ピンク石は熊本県の宇土半島にしか産しない石で(通称 馬門(まかど)石)」とも呼ばれていると。竜山石は播州や兵庫県の加古川下流右岸に産する流紋岩質溶結凝灰岩のことらしいです。

 三箇所から今城塚古墳までそれぞれの場所から運ばれてきていることが実に面白い。横穴式石室は追葬もできるんですね。三種の石ということは、三個の石棺があったということですか?あとの二つは一体誰の石棺なんでしょうね。

 阿蘇からどうやって運んできたのかも疑問。「天皇のひつぎ実験航海のスタート」というサイトが見つかった。http://www2u.biglobe.ne.jp/~ekumoti/JikkenKoukai.htm 写真で見ると本当にピンク色。こんなに美しい石があるんですね。宮崎県西都原古墳群から出土した舟形埴輪をモデルとして復元建造した古代船で、有明海から瀬戸内海を経て大阪湾まで搬送します。というもの。

 「日本書紀を読む会」では、孝徳天皇の厚葬と旧俗の廃止を読む。

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コメント

「天皇のひつぎ実験航海のスタート」見てきました。本当にピンクなんですね。今でもあるのかな? 昔のことって、意外とわからないことが多いんですね。テレビで大化の改新のドラマを観たことがありますが、一番大変なのが小道具だそうです。どんなものを使ってたのか、どんな形をしてたのか、わからないことが多いそうですね。向田邦子が北条政子のドラマの脚本を書いたとき、通常どんなことをやっていたかわからず、困った時には髪を梳くシーンにしてしまったとか・・・。
 高校時代、歴史の先生が「今、大地震が起きて、人類が滅亡したら、おもしろい遺跡が残る」と言いましたが、確かにそれも言えるかも。パソコンが何に使われたかわからなかったりしてね。そう考えるのもおもしろいけど、その先生はその時、自分も遺跡の一部として調査されるということをわかっていたのかしら?

ユニークな歴史の先生ですね。
「今、大地震が起きて、人類が滅亡したら、おもしろい遺跡が残る」ねー。
そうかもしれないね。
阿蘇のピンク石は何故あれほど美しいんでしょうね。

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