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寺原隼人投手が中日を相手に勝った。寺原がセ・リーグに来てからちょっと複雑な気持ち。地元ドラゴンズは勝って欲しい。その合間に寺原の勝利を許して・・・なんて思っていたら、今日も横浜に負けたドラゴンズ。どうなっているの?
寺原投手3勝目は嬉しい。去年の勝ち星に並んだ。昨日みたいに考えて、一球・一球丁寧に投げて、二桁勝利待っています。途中でシビレタって新聞にあったけど大丈夫だよね!!
頑張れ・・寺原隼人!!
8日に熊が出たと言うので鈴を鳴らしながら、山登りは続きます。前を見ると急な登りが辛いので、足元だけを見ながら、足手まといにはなりたくないと、ひたすら登ります。
金吾丸から少し行くと番所があり、まだまだ登ると、御茶屋跡・御馬屋跡と現れます。お茶屋跡からが城の主要部になります。
ここはと言うところで解説があります。小谷城は本丸と中丸の間に大きな堀切があり、ここで城の後ろと前に分かれると。前と後で違うのは、前の城は曲輪の右を道が上がるんだそうです。後はそうではなくて、道は真ん中を通ると。お馬屋敷と馬洗い池で説明があり、池で馬を洗ったかどうかは疑問が・・。横矢掛りがあるので、断崖を守る為の堀だったのではと言われる。
首据え石を通り、桜馬場の手前で赤尾屋敷跡へ。 浅井長政が自刃之地の石碑があります。戻って桜馬場に。 小谷城築城400年の供養塔や、徳川家16代が題字を書いたという石碑などがあります。曲輪(くるわ)は2段になっています。いろんな形の曲輪が楽しめます。石垣
を積む技術が発達していなくて、高く積めないので、石段を積んでは平らにして次の石段を積んでいったそうです。平たくしては曲輪を作ったんでしょうか。
黒金門を登ると公園のような広場があり、ここになんらかのご殿が有った可能性は高いと。石垣も井戸も残っています。また、風が強くなってきました。中丸・刀洗い池が続きます。刀を洗ったかどうかわかりませんとも。
京極丸・小丸・山王丸と登って行きます。 山王丸東南の遺構大石垣は野面積みと言うそうでつつじが石垣に咲いていて歴史の長さを感じます。戻って、壊れた石垣があります。秀吉は長浜城に移るまではここに住んでいて、城を出るときに城を使えなくしていくんですね。そりゃそうだ。誰かに城を渡して攻撃されたんじゃ困りますからね。効果的に城を壊すと言うのは入り口を壊すのが手っ取り早いんだそうです。
秀吉が虎口を周りの石垣を使って封鎖した状態がよく残っていて、よく分かります。他にはないですからと・・・。私の言うことは話半分に聞くようにと言われてみんなで笑ってしまいました。断言するほどの資料はほんとに残ってないんですね。
ここで昼食。風が冷たくなってきて寒いくらいです。72歳という女性が見えたがたいしたもんです。山登りは結構大変でしたよ。後半にもう一箇所険しい登りがあるので、体力快復させなきゃ・・・。寒いんで早く動いた方がいいかも。雨は落ちてはいないが、山の天気は変わりやすいんかなと・・・。
追記
京極丸で大事なことを、信長好きには避けて通れないことを忘れていました。情けないことでした。
京極丸虎口を秀吉は突破したんです。秀吉と信長は小谷城の正面の虎御前山に陣を構えていました。( 江戸時代の絵図に書いてあるそうです)虎御前山を真っ直ぐに下って来た秀吉は清水谷を駆け、水の手から京極丸に攻めあがって行くんです。 京極丸の虎口に立って見ました。400年以上昔に秀吉が、多分信長もここを通ったんですよ。感慨深いものがありました。
カモミール キク科 薬用植物として有名で、ヨーロッパでは広く自生しています。我が家でも、一本の苗からこぼれ種で増え続けています。
小谷城を極める講座の実地踏査編に参加します。滋賀県湖北町児童館前に10時集合です。長浜城歴史博物館からの案内状に、米原で9時20分に乗ると連絡がいいですよと書いてある。ネットの“駅から時刻表”で列車検索・・・本当に楽に時間がわかります。いかに安くいけるかも大事。青空フリーパスはどうでしょうね。というかこれしかない。一枚2500円で西は米原まで行けます。7時過ぎに家を出ると10時の集合時間に間に合います。
河毛駅では、浅井長政とお市の方がお出迎え?点呼とあいさつの後、城跡に登ります。 図(湖北町観光協会の小谷城見聞録より)の
下、児童館から右手の山に、一時間のかなり大変な登りだそうです。しばらく登ると、望笙峠から琵琶湖に浮かぶ竹生島が正面に、そして山本山も見えます。笙という字は竹と生から出来ています。という説明を聞きながら一休み。あーぁエライー・・・まだ3分の1も来ていません。金吾丸跡ではすごい風が吹いてきて、雲行きも怪しくなります。八重桜の花びらが下の方から飛んできます。これは雨起しだと言う人も有って、雨を覚悟しました。聞くところによると、今日の案内役の太田学芸員さん、雨男らしいのです。大丈夫かな・・・。
金吾丸 大永5年(1525)、観音寺城にいた、佐々木六角定頼が小谷城を襲撃した際、浅井亮政は越前の朝倉宗滴に救援を頼み、金吾丸に陣を張ったという。太田説では、援軍ではなくて、小谷城に向いていたのではと言われる。ほぉー・・・。
別の話では朝倉と親しかった長政と信長はこの出丸で話し合ったと言われていますが、話は決裂に終わりました。というのもありなのか。太田さんはこの話には触れられませんでしたが・・・。
眠いし、かなり疲れたので、続きはまた、明日・・・。今日の花は小谷城跡に咲いていた、ミツバツツジです。春が遅くて、桜や八重桜、もくれんも今咲いていました。
それでは・・・おやすみなさい。(-_-)zzz
白花 モッコウ薔薇 【特徴】6~7mにも伸びる蔓性植物で、白または淡黄の八重咲き小さな花を咲かせるバラの仲間です。花の大きさは径2~3cm程度です。枝は細く緑色で、トゲはありません。白花には香りがありますが、種子はできませんので挿し木がいいかと。
午後、鳴海中日文化センターの「鳴海のお寺を訪ねて 誓願寺」に参加する。旧東海道鳴海宿周辺に点在する寺を訪ねます。今回は開山400年以上の歴史を持つ誓願寺の歴史・由来・宗派の教えなどを聞きます。というもので3回あります。
誓願寺は正式には西山浄土宗誓願寺。住職の山田氏のお話です。誓願寺って、伊藤さんとか山田さんとか言うような、良くある名前だそうで、宗派も色々の宗派で付けられているそうです。へー・・なんてね。
本山は京都長岡京市の粟生光明寺といい、光明寺の紅葉参堂の山門は、薬医門といい紅葉の時期に賑わうそうです。、また珍しい3本の松葉・見返り阿弥陀も有名らしい。法然上人・西山上人(善慧房証空)の話など。一時間半はアッという間に終わりました、次回も楽しみです。
今日もたくさんのアクセス有難うございます。田中等彫刻工房から現在19名もの人が来てくださっています。田中氏の4月25日の日記に先日の刈谷国際彫刻展の話が掲載してあり、リンクもしてあります。先輩に感謝です。こちらからどうぞ!!
尾崎慎氏からのコメントより
6月14日~20日まで丸栄スカイルで個展をいたします。。今回で8回目の丸栄での個展で、通算31回目です。よろしかったら是非お運び下さい。
竹内淑浩氏の田中氏あてのメールより
”5月6日(日)の最終日にクロージングセレモニーとネパールカレーなどのランチパーティーを行う予定なので、都合がよければ来て下さいとお伝え下さい。
まさかね!愛知で彫刻家と知り合いになれるなんて、うれしい限りです。今日の花はうさぎのしっぽです。穂のふさふさした形状が特徴で、学名のラグラスは「野ウサギの尾」の意味だそうです。ドライフラワーとして生け花に使われますが、鉢植えやガーデニング素材に。うさぎの尻尾に育てるには少しコツがあります。肥料を出来るだけ少なくすると、丸い尻尾になりますが、そうでないと、狐?のしっぽになったりします。(くすくす笑)ねこのおもちゃにも使いますが、ねこじゃらし(エノコログサ)ほどは喜びませんでした。
一週間って早いですね。青空の下自転車でテニスコートへ走ります。いい季節になりましたね。風を切ってほんとにいい気持ちです。
先日、コーチがブログデビューしましたので、あいさつの後、その話題からはじまります。ブログは解らない事ばかりということで、迷惑なトラックバックに困っているらしいです。でしょうね!経験済みのよだきぼは、トラックバックを受け取らない設定にしてあります。コーチのブログはメールも公開してあります。これもね、普通のメールばかりくればいいですけど、そうじゃないですよね。これも体験済みです。フィルターで漉されたメールがゴミ箱にいっぱいになっていて、ビックリしたこと有りなのです。さて、コーチはどういう対策をするのでしょうかね。コーチのブログ「テニススクールヘッドコーチの奮闘日記」はおすすめリンクからもどうぞ・・・。コーチの仕事って遅くまで大変!!今頃最期のレッスン中のはずですし・・・。
コーチの今日のアドバイス。
☆ 足を動かすこと。足が動けばいいショットが出来る。
☆ 体の右半分でテニスをしないこと。全身を使ったテニスを!
天気がいいと気温も高くなります。顔が塩でザラザラ。帰りの自転車は太陽が強くって。今年初めて帰宅してシャワーを・・・。暑さに疲れた。まだ4月。今年も暑い夏が待っているのかな!
今日は風に揺れているラナンキュラスです。12月になって見切りになっている球根を植えましたので、この時期になって咲きました。季節をずらすと長く楽しめていいですね。風に揺れている蕾はアヤメ科のトリトニア、朱色の他に白花もあります。
園芸友の会の総会。参加者が少ない16名かな。会員も減ったみたいです。何でもご存知の H田さん、まだ療養中かな、姿が見えない。区役所がバックアップしてるのに宣伝が足りないのでは。広報名古屋で会員を募集すればいいのにね。この会でも、また一番若いらしい。おかしいなぁ。20年前に読書会に入会した時もそう言われたが、50代になって入ったこの会、またしても若いのか?今は 園芸は下火なのかな。苔玉とかミニ盆栽とか流行っていると思うのだが・・・。
この会でも見学会がある。6月に近江八幡で西琵琶湖を手漕ぎのボートで一時間くらい舟遊びをという計画。何とも優雅。 葦の緑がきれいなのだそうな。近くには八幡堀があって菖蒲にいい季節だという。
スモールガーデン(ガーデンというほどたいした庭ではないんですが)の花便り なんて名前をつけて・・・ふっふ・・・庭先を彩る花をしばらく紹介していきます。まずは、昨日花に気づいたクレマチスです。2年前に友達が挿し芽をしたのをいただきました。昨日は4個だったのが今見ると6個咲いていました。
もう一花はもういらないからといただいて株分けしたシンビジュウムです。初めて6本立ちました。花数は少ないんですが凄ーいでしょ。
スーパーに来る花屋さんからフクシャを買ってきました。夏越しが大変なフクシャですが、しばらくは楽しめます。夏越しはコップ挿しにでもして頑張らせましょうか。名古屋のあ~つ~い夏を。
花屋のおじさん、退屈そうでした。ホームセンターにいくらでもお花売っていますからね。待っていなくても、好きなときに、好きな時間に行けますからね。
野菜の苗をたくさん売っていました。胡瓜の苗を3本植えました。 園芸農家に育った私は胡瓜だけは育てる自信があります。??ほんとかな。実は・・・去年は失敗だったな。今年はどうなるかしら・・・。
21日にあおなみ線の駅で、前田利家公の銅像の除幕式が行われたようだ。一度見てみたいと思った。ウェブサイトに記事を探したが見つからなかった。
お城まわりをするようになって銅像が気になりだした。清洲公園の信長の像はきれいだった。津の藤堂高虎像も・・・。
新作の銅像が設置されたならと、新聞の広告を思いだし探して広げてみた。
あおなみ線荒子駅前広場に地元の英雄の雄姿、堂々と!
除幕式には当主挨拶 加賀前田家第18代当主 前田利祐 とも書いてある。盛大な式典になったのかな。また貴重なものが建立されたと喜んだ。が、掲載された写真が気になる。顔つきがおかしい。これって日本人。作家の名前が見当たらない。東海市の上杉鷹山公の時と同じ・・・?現地に行って自分で見てこないと分からないが。今週は忙しくて無理だなぁ。
春の山野草の展示会の会場を待ち合わせにして皆で合流する。パソコン教室の元メンバーのお二人kikueさんとぼんやりっこさんを引き合わせるのために。この二人、ブログで知り合いになったものの、同じ場所にいることがあっても分からない。それに、読書会の友人とも待ち合わせ。必然的に友達の友達は友達になるはず?。
まずは友人と二人で山野草展の会場に着くと、早々とマイズルソウの鉢をもった人に出会う。即売会に行っても、次の予定があるので重い鉢は持ち歩けないので残念に思う。kikueさんが見えたので紹介して展示会場に入る。鉢の数が多くて見ごたえがある。ここまでどうしたら花付きをよくすることができるんだろうとか疑問はいっぱい。遅れてぼんやりっこさんも紹介する。ぼんやりっこさんとは久しぶりなので、お互いにえっなんて少しの変化に戸惑うが、話せば以前のまんまです。
可憐な花がそうしたのか、ずっと友達だったんではというように話がはずむ。この感じはkikueさんとfukuさんの時と同じ。今日出会ったとは到底思えない。似た者同士の友人関係なんでしょうか。場所を喫茶店に移して話はまだまだ続きます。ここまでの内容を初対面の人に話すだろうかというほど、打ち解けてしまった。友達の友達はやはり友達でした。ヽ(^。^)ノ
名鉄電車に乗って、刈谷市(最近縁があるなぁ)の小垣江(おがきえ)駅に行く。駅舎もホームも新しい。世界のトヨタの関連会社がいっぱいあるからかしら・・・などと思う。
目的は二つある。それは彫刻展と小垣江城跡を探すこと。
彫刻展はそう・・・田中等氏からのメールである。
8日から刈谷現代彫刻展というのが始まっています。日向現代彫刻展参加の友人も何名か参加していますので、
時間があれば是非行ってみてください。
昨日、日向人さんからコメントいただいた、卯の花のこと。唱歌♪夏は来ぬ にでてくるんですね。
♪卯の花の匂う 垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍び音もらす 夏は来ぬ
ほんとは卯の花ではなくて、空木と書いてうつぎですが、日向人さんのおじさんちにも咲いてませんか。今年はまだ満開になっていないのですが・・・。種類があって、昨日の写真はちょっと変わっていたので、咲いた時は嬉しかったのを思い出しました。更紗空木(サラサウツギ)というらしいです。姫空木が園芸店に満開に咲いていて田舎を思い出して買ったのが最初です。植物交換会で求めたのが昨日の空木。つぼみがピンクで内側は白です。山や道端のは低木とはいっても2メートルくらいにはなるかも、株だって来て先端が垂れてくるときれいですね。山紫陽花みたいのもありますがつぼみが固いですね。
家の前の人にいつも花がきれいだねって声をかけてもらう。嬉しい限りです。その人もお花が好きですが、なかなか育たないと言うことです。肥料を入れすぎるのかなと。そういうお人もいないと、花屋さんは大変ですからいいんですよ。花屋さんが儲からないと新種の花を入荷できないでしょう。なんて余計な心配ですね。
これから薔薇がさくころまでは本当にいい季節です。白い庭が理想ですがむりです。黄色のナスタチュームやラナンキュラスが目立っています。まあ・・・彩り豊かな庭です。
東国原知事の新そのまんま日記に書いてあったけど、宮崎のフラワーフェスタ、お客さんがジリ貧だからなんとかしなければ見たいな事。私が客だったら行くだろうか。息子が言うようにありふれた花が咲いているとしたら・・・それでも、違うと思うのは個人の庭や花壇では花でパッチワークは作れません。違う種類の花で一面づつ色分けされた花壇素晴らしいですね。
中部地方では、なばなの里が一番人気かもしれません。一面にチューリップなど咲き誇っています。とっても広い面積を春はチューリップとパンジー・ビオラ。秋もいいんですね。コスモスとダリアが一面に咲くんですね。コスモスは宮崎もいいでしょう。子供の頃からコスモスは生駒高原と決まっていたし、西都原古墳群も素晴らしい。
一番の問題は交通アクセス。息子が言うには、シャトルバスも走っていないし、電車の便も悪くって二時間に一本とか。それじゃ無理だわね。どこの人に花を見て欲しいのか。県内だけではつまらんでしょ。県外からお客さんに来てもらわなくってはね。今の宮崎のフラワーフェスタは県内各地でやっているけど、まとめることは出来ないのかなあと思う。せめて半日は遊べるような空間であって欲しい。.
ニュースでやっていたが、宮崎県庁コースという観光ルートが来週から始まるとか。そりゃね・・・知事さん は目玉でしょうけど、それだけじゃね。宮崎は美術館が日本で一番少ない県なのだから、特設会場で美術展をやるっきゃないね。宮崎国際彫刻・空港展はいいですね。県外からのお客さんは飛行機で来れば、交通アクセスを気にしなくていいんだからなぁ・・。
今日はテニススクールの日です。振替が来月18日までになっているので、午後に振り返ます。続けて頑張るのはけっこう厳しいので、他の日がよかったかな・・・でもどうせ午前中来てるんだからと、ついでなんです。よだきぼらしいところです。別の日に出てくるのが面倒じゃないですか。
いつものコース・・マックス8名うち男性が4人と半々です。打ち合いは男女で分けての練習だったのでまあ安心。いつのものようにやればいいですからね。練習試合はミックスマッチ(男女混合)でした。これで実力が均等かな?今日の試合は自滅が多かった。ダブルフォルトなんていつもはしない人までサーブでミスっている。ほんとに汎ミスの多い試合になりました。失敗は連鎖するので、次にサーブする人は気をつけるようにとコーチの助言。
次のコースまで一時間、コンビニでおにぎりを買って・・・おばさんはおしゃべりに花を咲かせて楽しいです。でも、一時間は長かった、体が冷えてきて軽く打ち合いをして体を暖めているとみんながやってきました。。このクラスも8名。若い男性一人です。何だかんだと言っても、二つは足が辛いです。
はあー筋肉痛になりそう・・・。(~_~;)トホホ
肌寒い一日。午後からは雨まで降り出す。読書会の今年の読書計画と歴史散歩の案内を作る。
会員の読みたい本と図書館が用意できる本は若干の違いがある。採用されなかった読みたい本を列挙する。
ワインと外交 西川忍著・わたしの暦 松谷みよ子著・絵巻 永井路子著・清滝川 斉藤史子著・盲人重役 城山三郎著
文学散歩
水上勉がふるさとの福井県に設けた「一滴文庫」が第一候補だったが、火曜日が休館日というので、長野県南木曽にある「福沢桃介記念館」に変更する。
その桃介を助け、よきパートナーであったのが、わが国女優第一号といわれる川上貞奴(さだやっこ)でした。二人は、大井川発電所が完成する大正13年まで頻繁にこの別荘に滞在し、政財界の実力者や外国人技師などを招いては、華やかな宴を催したということです。山深いこの地にあって、この別荘だけは西洋の香が漂う異国だったのです。
この建物は、昭和28年7月20日の伊勢小屋沢蛇ぬけ災害では、かろうじて難を免れましたが35年4月6日の火災で2階部分を焼失してしまいました。
平屋のまま、昭和60年から桃介記念館として一般公開してきましたが、平成9年度において、当初の2階建の姿に復元したものです。大正時代の貴重な西洋風別荘建築としても知られているこの記念館に一歩足を踏み入れると、桃介と貞奴が過ごした大正ロマネスク時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。2人の写真や遺品、資料も展示しています。
桜が満開の大垣城を訪ねたのは、彦根城に行った4月7日だった。いい天気だった。前の年にも桜が満開の時に一人で行った。二年続けて行くことになった。今年は時間調整の意味もあったが。
最近、銅像が気になっている。お城では有名な人や、殿様の銅像を随分見かける。先日の清洲城の信長はきれいだった。大垣城にもあるんですが、興味がなかった頃に行っているので写真が限られるんですね。ピンボケの一枚と室内の一枚。お城をバックに立つ銅像は正確に作られていて美しい像で騎乗姿です。馬ってどうやって作るの?
大垣城は関が原の戦いでは西軍石田三成の本居地になったのですが、銅像は石田三成ではなくて戸田氏鉄なんですね。その後で戸田氏が十万石の城主になり明治まで続いたと大垣市のHPにあります。国宝に指定されたこともあるようですが、残念なことに昭和20年7月に戦災で焼失してしまったそうです。昭和34年4月、4層4階の天守閣を再建しました。入館料は100円です。
福井の松平春獄の像は溶けてきていてかわいそうな気がしました。信長像も、氏鉄像もそんなことはありません。何故か疑問だったので彫刻家田中等氏に青銅と銅像の作り方について聞きました。長くなりますので、青銅についてだけ記載します。
15日お昼すぎの亀山で起きた地震で亀山城の石垣の一部が壊れたとニュースで流れた。新聞にも石垣の写真が掲載された。
今年1月19日のこのブログにも書いたばかりだったので驚いた。最初の報道では写真が発表されなかったので、今は校庭になっている方なら大変だと思った。夕方になって天守脇だとわかって少し安心した。
-亀山市本丸町の県史跡「亀山城跡」。石垣の西北隅が幅二メートル、高さ六メートルにわたって、ごろごろと崩れ落ちた。亀山署員が駆けつけてすぐに立ち入り禁止にした。当時は周囲に人がおらず、けが人はなかった。
同市教育委員会によると、一九七二年の台風被害で補修した場所が再度崩れた。「県教委と相談しながら復旧・修理を進めたい」と担当者は話した。 中日新聞16日付けより-
久しぶりで友人がミシンをかけてとやって来る。隼ちゃんのばあちゃん・・と言っても私より僅かに若いばあちゃん。
ミシンを出して縫い始めるが、下糸を噛んですぐに止まってしまう。ちょっと見てみると、押さえのねじが緩んでいる、締めなおしてっと・・・針も曲がっているから交換してと・・・。でも動かない。おかしい、取説を出して読んだ。下糸が切れる・・・まずは、針が曲がっている。これは直した。次は、埃がたまっている。そーか・・長いこと掃除してないなあ。ねじをはずして・・あーっ 凄い埃。こりゃ駄目だね。と綿棒で掃除、掃除機でも吸って。これでどうだ。と動かしたが、状況は同じ。はぁーーー駄目かーーー。電話するしかないか。
諦めてランチに近くの居酒屋さんへ。今日のメニューも凄いね。から揚げ・牛蒡の炒め煮・麻婆豆腐・はんぺんの煮物・漬物・ご飯・味噌汁。インスタントコーヒーで600円。量が多いけど、美味しいので二人とも完食。あとで二人で ふーっ !!お腹いっぱいだね。
お互い、連れ合いのことや彼女のおじいさんやおばあさん・子供のことなどなど思いのたけを喋る。喋る。最近友人は血圧が高かったので先生に相談したら、急な高血圧は脳症になるおそれがあるからと、薬を飲んでいるそうです。気をつけなくっちゃね。二人でおしゃべりの限りを尽くしたので二人ともまた、元気になりました。
ミシンの修理を頼んでミシンを片付けはじめたら、天秤にかけたはずの糸が外れていた。 唖然・・・---これですね。ミシンが仕事をしなかった原因が判明。悔しい、たかがこんなことでと思うが大事なこと。修理をキャンセル。優しい人でよかった。あらためてメールで友人と約束をする。湯上りの今日の隼が送られてきた。お目目が大きくってかわいい♡
写真は日向現代彫刻展田中等氏の作品。日向人さん提供。「風の座」 どうも売れたらしい。よかった。近場に置いてもらえたら見に行きたいなあ。田中さんの日記に14日の観光客の見た宮崎についての記載がある。今日は田中さんのブログから来てくださった人もあり感謝です。
安城市は農業が盛んで、どういうわけかデンマークに似ているのか、デンパークという公園がある。正式には安城産業文化公園デンパークという。開館して10年。園内をメルヘン号という、タイヤで走る乗り物がある。音だけ聞いているとまるでSLだけど、連結されているバス?かな。
園内には木陰やベンチがたくさん有って、ゆっくり散策できる。実にいい雰囲気。中には花がいっぱい咲いているし、果樹園でもある。温室もあり、展示内容もおしゃれである。行った時は展示替えをしていて、おそらく、パンジーやビオラが植えてあったであろうところに、ロベリアやベゴニア、インパチェンスなどを植え替えていた。ベニバナトキワマンサクは生垣になっていることが多いので素直に伸びた樹形がきれいだった。
温室内のえーっという珍しい花を紹介します。 2メートルくらいもある白い花をつけた エキウム シンプレックス カナリア諸島原産・ムラサキ科の二年草 としてあり、日本ではここでしか見られないと言う。種から育てたというんでビックリ。よくそだったなあってね。
もうひとつは スティフティア クリサンカ ブラジル原産のキク科の常緑樹。 アザミみたいな黄金の冠毛が面白い。イガグリみたいに固くはなくてさわると気持ちいい。花の大きさは10cmもある。中部地方ではここでしかみれないという。
コンビにでおにぎりを買って、パンジーのきれいな一角でいただきました。時間がゆっくり流れているようないいところです。
福岡県から大分県は由布院へ行き、大分で泊まり、そして宮崎入りした乗り鉄撮り鉄息子の宮崎の感想は宮崎は人の流れがない。 おおらか・・・だった。聞いてみると、大分県から宮崎に向かう列車に乗る人がいなかったんだそうだ。へーっそう・・・だろうね。宮崎に来るくらいなら、北にむかうだろうなあとやっぱり思う。延岡からはお客は増えた。土曜日だったんだが・・・。
宮崎市の橘公園のベンチに腰掛ける女性のブロンズ像の写真を撮った携帯写真は先日紹介した がタイトルが分かったので角度を変えて再掲載です。高さ約120センチのブロンズ像でタイトルは「陽(ひ)だまり-ねえ、おはなししましょ」 「写真を撮るのにバックにいい景色がなくて困った」が感想でした。こんな形の作品は面白いですね。横に座りたいなぁ・・・。
宮崎こどもの国で開かれている2007フラワーフェスティバル40thの Photoアルバムを息子の写真を借りて。 「あんたの育てている花と一緒だった。広くないし、一時間半も居れば写真は撮れるよ」が息子の感想ではあったが、40回というのは素晴らしい。今は大きなガーデンが増えたが、当時は画期的だったんだろう。熱帯植物・椿もたくさん有ったはずだし。海辺をらくだに乗って散歩したりと、青島の海は蒼くてきれいだった。
地鶏の炭火焼はとっても美味しかった!とも、土産は炭火焼の地鶏のレトルトパックと東国原知事ブランドの日向夏まんじゅうなど。知事ブランドの炭火焼はどこも売り切れだったそうだ。小さい画像はクリックするとおおきくなります。
先週の木曜日のブログテニスとランチに今月のテーマはフォアハンドと書いたけど違っていた。おばさんは自分の話は聞いてくれないとご機嫌悪い?が人の話は聞かない。いーや・・・聞いとるつもりで全然覚えとらん。これが正直な話。テニスの話に戻るが、今月のテーマはストローク全般でした。今日も、コーチが先週のこと覚えていると聞いた。半数は覚えていない。軌道を修正するためにゆっくり打つ。と言うとね。覚えとるって答えれるけど。人の話はしっかり聞かなくちゃあね。
じゃ、今日はなんだっけ。早速忘れた。どうしよう!!!
今日は何故だか、皆の球もコーチに飛んでいった。コーチは目つきで飛んできそうだと分かるんだって。分かるんだったら構えるだろうから少し位なら大丈夫かな・・・。ホホホ・・・。コーチを狙うのは、皆が反応する、笑うから場が和んでいいんだよ。でもね・・・コーチには褒めて欲しいんだなぁ。やっぱ・・・褒めてもらわんと上手くはなれないし。褒めてもらわんと、気分が乗ってこないし・・・。おばさんはわがまま!!
最後に成績表を渡してくれる。どうでもいいんだけど、スクールだから成績表はあるんですね。個別指導のポイントを話してくれる。素直に納得しながら聞いた。テニス意外のことが褒めてある。それもいいけど変なのー。
今日も楽しくみんなでコーチを・・・しました。有難うございました。
読書会の例会はこのところお天気に恵まれず、第二火曜日は雨・・・のことが多かった。晴れ女が旧会員におられたのか、とってもいい天気でした。
会計報告の後、課題本を決めます。会員が減ったのと図書館にない本が多くなったので一人3冊候補作品を出してもらいます。城山三郎・永井路子・青山七生など出るが、読書会担当の司書さんと打ち合わせをしてから決定します。後の同窓会があるのでFAXで問い合わせることにして、文学散歩の場所を決めます。二つ候補が出ましたが、1が第一候補、場所行き方など調べて決めます。
1 若狭にある一滴文庫 水上勉記念館?
2 福沢桃介記念館 長野 南木曽
文学に関係なくても、文学との関連を見つければいいよねと、最近は文学は後でついてきます。福沢桃介は、福沢諭吉の養子、ダムを作った人。川上貞奴と結婚する。読書感想文を載せる志をりの担当も決める。12時から場所を変えての同窓会ですから、時間が気になります。1年間の部屋の仮予約も入れます。館長さんが変わられたというので、あいさつにもいきたいし・・・。館長さんは外に出ておられてあいさつは出来ませんでした。
場所を変えての同窓会。読書会発足以来40年。30人の方に連絡をしましたが、データが古いので、帰ったきた葉書も多かったし、都合の悪い方、本人が入院中だったり、ご主人が具合が悪かったりと、出席すると返事をいただいた人は6名だった。
懐かしいですね。5年以上・10年もお会いしていない人もあり感激ですね。お話をしてみると、みんなお変わりありません。中には乳がんで全摘したと言いながらお元気な方。病気なんていつ来てもいいわよと、言われる86歳の人は、そう思うようになって、病気知らずだと。みんな凄いわ!!
食事のあと、時間の都合のいい人は、二次会へ喫茶店へ行く。ここからはもっと、砕けてというか、昔に戻って楽しい話がいっぱい。本を読まなくなったと言われた元司書さんは、今は大学の非常勤講師を勤めて見えるそうです。71歳のSさんはリサーチ会社をやって見えるとか・・・。年齢ではありませんね。気持ちが若い。
夫と仲良くする方法というか、亭主在宅症候群にならない方法をお二人に聞きました。一人は世話をやくのを辞めたと。それで捨てられたくないとご主人が思われたかどうかは別として、自分が変わることで相手も変わったと。今では食後の片付けを手伝ってくださるといいます。ほー・・・もうおひとりは、相手の方が病気になられたので、弱い人を見るとほっとけないと言われる。病気のご主人が一番悔しい思いをされているだろうと、世話をしていると。相手は変わってくれないから、自分が変われば相手もかわる。だそうです。
ネコの話も。可愛いネコは誰でも拾ってくれるが、ブスネコは拾い手がないから私が拾ったと、今ではすごーいグルメで15歳になったが毛並みがピカピカだそうです。家のゆきにゃんみたい・・・。
そんな時間もあっという間に過ぎてしまい名残を惜しみながらさよならしました。書ききれないほどの中身のあるお話をしていただきました。人生長くなると心も豊になるようです。がんばろうっと。 写真は宮崎フラワーフェスタ こどもの国会場。
撮り鉄息子が出かけて、今日は帰るよという日のこと。お昼からゆきがもどし始めた。何も変なもの食べとらんし、おかしいなあと思っていた。最初はドライフードをもどした。次は胃液みたいなの・・・。しばらく落ちついたかなぁと思っていると、今度は唾液みたいなの。夕方になっても収まらない。おかしいなぁ・・・。熱もないし・・・。昼間、外につないでいる時に、よその猫と喧嘩したのか鼻の横に小さい傷が見つかる・・・でもな・・・これともどすのと関係ないよね。
8時過ぎに、撮り鉄息子から、新幹線に乗った。予定通りかえるよ。とメールが届いた。それからもゆきは、唾液みたいなのを戻している。ゆっくり、眠れないからかわいそうだな、明日は病院かな。悪い病気じゃないといいな。メールは届いたが、息子は帰らない。
日付が変わる頃に帰るはずなのに。メールを打っても返事もない。
やっと、帰ったのは予定の時間より30分以上たってから。ふとんで寝ていたグレが飛び起きて走る。律儀なもんだな、グレお利口さん、というかゴマすり上手。ゆきは起きてもこない。夜中にも起きずに朝寝をしている。珍しいことだ。撮り鉄息子と同じ部屋で寝ているから息子がいない間眠れなかったんだろうか。夜中から、吐き気もおさまったようだ。寂しがりやのゆきだから・・・ストレス?。ちゃんと出かけると言ってきかせてから出かけたのに。帰る日になっても帰らないから心配したんだろうか。
6日に清洲城の帰りに名古屋城に行った。木曜日がテニス・金曜日が清洲城と名古屋城・土曜日に大垣と彦根城と頑張ったのでちーとばかりお疲れです。彦根城に一緒に行った友達にタフだねって言われた。そうかな・・・?今日はとてもいい天気で気温も上がっている、彦根城に一時間も並んだことを思うと小雨の降る昨日でよかったと思う。
名古屋城は、 地下鉄の市役所駅を出て東門から入る。空堀にかぶるように桜が咲いている。名古屋城は入場券は500円。城の日のイベントで東南隅櫓と西北隅櫓が特別開放されている。表二之門から入ると、石垣の中に大きな石がある。石垣を作るときに加藤清正が運ばせたものだと思っていたが、名古屋城のパンフを見ると、石塁の施行大名は黒田長正なので単なる説話と思われると書いてある。そうなんだ・・・。
門を入って東南隅櫓が見える。これこれ・・・ここが見たかったと並ぶ。東南隅櫓は重要文化財。名古屋に現存する三つの隅櫓[東南(辰巳)、西北(戌亥・清洲)、西南(未申)-東北隅は昭和20年戦災で焼失]の一つである。と説明書きにある。外からは2層に見えるが中に入って見るとなんと3層だった。何故、こんな工夫がしてあるのかな。矢を並べて非情に際したと、物見の高楼だと。矢倉(櫓)として建てられた。急な階段は素晴らしい、本物だと思わせてくれる。熱心に梁や天井の写真を撮る若い人がいた。
鉄筋造りの天守には上がらずに、北側の不明門から、西北櫓に向かう。途中桜は城に彩を与えている。御深井丸展示館の名古屋城まつりの展示を見る。乃木倉庫の裏を通って、西北櫓に上がる。ここの階段はさほど急ではない。部屋も広くて明るい。ボランティアガイドさんの声が聞こえてきて「平和になってから、つくったもので遊行の場として使ったんだろうと思っています」と言っておられる。ほーそうですか。清洲城を解体して、その材で作られた櫓がここですか。と思いながら歩く。開放的な感じは矢倉ではないかなと。
乃木倉庫は乃木希典が名古屋鎮台に在任していた明治初期につくられたと伝えられているとも。昭和20年5月14日の名古屋空襲の時、本丸御殿の障壁画や天井絵類の大半が取りはずしてここに保管していた為被災を逃れた。-中略-これらの障壁画などは現在重文に指定されていると、現地の案内板にあった。
名古屋城は国の特別史跡に指定されている。歩いていて思ったが、広い。ほんとに広い。清洲城の帰りだったせいか、足が疲れた。城の外には名城公園が広がっているんですから、築城当時はね・・・さすがに家康が作らせた城かなと・・・。金の鯱は光っていた。
早めに電車に乗って10時くらいから大津市内を見学した後、彦根城でひこにゃんに会う計画だった。しかし、金山駅で乗り換えた特別快速はかって見たこともないほどの満員ぶりだった。早めに出かけて・・・という思いは皆同じ?・・・いやぁ、参った!!!豊橋から乗ってきたというご夫婦は我慢できずに新幹線に乗り換えるわと降りていかれた。名古屋駅で混み様がまたひどくなった。岐阜駅に着くと、ポイント故障ということで止まったまま15分以上待たされる。中ほどの人が我慢できずに降りられた。押されているうちに変な体制になった私らも一旦降りることにした。自販機で買ったお茶を飲んでいるうちに、ぎゅうぎゅう詰めが嫌になってそのまま、次の電車を待つ事にした。普通電車で大垣に行って時間調整をして、今回は.彦根城だけ行くことにする。
大垣駅で電車を降りる。時間が早いせいか閑散とした商店街を抜けて水の都は、四季の路を歩く。ここには芭蕉の句碑がたくさんあり、奥の細道結びの地記念館もあるらしい。昨日までたらい船に乗れたが今日は何もやっていない。いい天気で帽子を忘れたのが悔やまれるほど。
大垣城に向かう途中で、町の美術館?のおじさんに声を掛けられ、その人の木の実でつくった真っ黒くろすけなども見せてもらう。
大垣駅から普通電車で米原へ・・・加古川行き快速電車で一駅の彦根駅で降りる。駅からみんなの後をついて歩く。彦根の桜は五分咲きだった。名古屋より少し気温が低いのかな。護国神社から回って彦根城へ。軍馬と軍犬と軍鳩の慰霊の像が並んでいる。軍服の人の座った像が悲しかった。戦争の犠牲者の上に私たちの歴史があることを考えさせる像だった。
国宝・彦根城築城400年祭の会場は賑わっている。玄宮園・お城・開国記念館・彦根城博物館あわせて1400円の入場券。ちょっと高い気がするが現存する4つのお城の一つだから仕様がないかと・・・。玄宮園は前回見てないので興味があった。雨が落ちてきた。
三重櫓の西の丸では特別展「ワダエミの衣装展・森羅万象in彦根城」が開催中。映画『利休』で使われた豊臣秀吉の豪華絢爛な衣装や日本でも大人気の韓国人俳優「チョン・ウソン」や「キム・テヒ」が出演する、韓国映画『中天』の衣装が公開されていた。韓国映画に興味はないが衣装は見事だった。
天守閣は一時間待ちだというが、友人は「愛・地球博」で慣れているという。急な階段を緊張しながら登る。天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根だと。見所は梁などの骨組みだという。天守が広くなくて、何もないので、「一時間も待ってこれだけ」という声が聞こえる。外見から想像出来ると思うんだが。本物は木の感触など違います。400年の歳月は感じないほどいい状態で残っていると感心する。地震にも強い建物に感心する。
彦根城博物館でひこにゃんを写す。人ごみの中でよく見えないが、腕を伸ばして、ひこにゃんを。
「最強の軍団-井伊の赤備え-」展を見た後、復元された表御殿・江戸時代の能舞台などなどいろんな展示を見る。
大垣駅でおにぎりの定食を食べたきりなのでお腹空いたねーと言いながら、開国記念館の展示をみる。『武士の一分』でキムタクが撮影に来たと書いてある。他にもいろんな映画やテレビの撮影が行われてきたようだ。
雨の中、肌寒い一日、駅前で近江名物ちゃんぽんを食べて、帰りの電車に乗る。凄く、肩が凝っているに気がつく。あの階段は緊張したもんねと話が弾む。運が良くてずっと座って来れた。名古屋駅に5時半に着いた。
行き当たりばったりのおばさん道中無事終了する。青春18きっぷ使い切る。今回特に切符が安いからか、団塊世代のお父さんが、多くなったせいか、平日に何とかしたいと思った。平日は列車の連絡が・・・なのだが。小さい子供が人ごみに埋もれて泣いていて可愛そうだった。☆衝撃的な満員電車でしたが、タイトルを超満員電車から変更しました。
信長の清洲城に行ってきました。JRの清洲駅から線路沿いに東に歩いて20分とあったがそれよりは早く行けます。いい天気なのでブルーシートがあちこちに敷いてあります。清洲城は赤い手すりが、印象的ですね。信長は赤と金が好きなんでしょうか?若い時からチャセン髷を赤い紐で束ねていたり・・・派手好きなことにしとこう。(訂正してくださる方歓迎します)
五条川の西側に清洲古城公園があり信長が祀ってあります。五条川を渡り清洲城へ入ります。入館料は300円。
-清洲城は名古屋城築城に際し、築城の材料として積極的に利用され、特に名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北櫓は清洲城天主の古材でつくられました。-(入場券より)名古屋城では4/6~8日までこの西北櫓(重文)と東南隅櫓(重文)が一般公開されています。
2階に信長公当時の居室を設けてあります。「織田信長公 桶狭間出陣」としてあり、出陣を前に 謡曲敦盛を舞うシーンです。丸根砦と鷲津砦が落ちたと聞いて、敦盛を踊るんですね。心中やいかにってところですね。信長の顔が決死の覚悟なのか緊張しています。
展望台からは五条川の桜が本当にきれいに見えます。高速道路で視界が切れますが、27キロも続いている桜のトンネルです。屋台もいっぱい並んでいますよ。
最後に清洲公園の信長像までJRの在来線と新幹線の鉄橋の下をくぐって歩きました。ピカピカの女子中学生が記念撮影をしていました。(小学校と中学校は入学式)お父さんらしき人が信長の像と並ぶように言っていましたが、彼女は桜の下に移動しました。ふふふ・・・。 桜の花びらが五条川を流れていきます。
友人が3ヶ月ぶりにテニスに復帰する。筋肉がなくなりそうだとか言っていたわりには、変わらぬ力強いストロークだった。今頃筋肉痛になっているかな。年を取ると後から症状が現れるというから・・・明日になってからだろうか?自転車で走るのもいいが、車は楽チン。
テニスは4月の1週目。今月のテーマは「フォアハンド」 同じ軌道で打つ!ゆっくり打ったり、速く打ったりと打ち分ける練習。調子の悪い時にはゆっくり軌道修正するといい。調子が悪いからと、強く打つと・・・力が入りすぎて失敗するからと・・・。力を抜いて、軌道修正することが大事とコーチが念押しされる。
テニスが終わって、ランチに行く。最近出来た喫茶店のオムライスを薦められたというの行って見る。ランチメニューは
オムライス
日替わり
ハンバーグ
の3種だった。雰囲気がタイ風な感じだったので、スパイスが効いているかも・・・。二人でオムライスを。でてきたオムライスは・・・・素敵な盛り付けがしてある。固まってしまうので早めにスプーンで切ってくださいと・・。ふんわりとろとろの半熟卵が見事にきれいだった。
味付けは、不味くはないが・・・メリハリのないもので、お子様でもOKって味だった。珈琲もちょっと飲んだことのない味だった。多分・・・・もう来ないだろう?フーン・・・残念。スパイスが効いているとまた来るんだが・・・。
横浜にトレードされた寺原投手(宮崎・日南学園高)は3日先発した。横浜の野球中継は名古屋では放送されなかった。朝のスポーツニュースで笑顔の寺原投手を見る。まずは一勝。よかった。
途中、自らのけん制悪送球でピンチにたったらしい。ホームランも打たれたが、丁寧な投球で、移籍後初登板を白星で飾ったと。
インタビューに「1球1球、丁寧に投げた。(交換トレードされた)多村さんも活躍している。活躍すれば信頼される。ほっとしている」と答えた。その後「活躍すれば信頼される。一勝一勝を積み重ねたい」とも語ったと。
目標の二桁勝利目指して、頑張ってくださいね。
3日。クーのママさん とyoshikoさんとラブラドールのクーちゃんと散歩がてら・・・花見に!先日の黄砂がすごくってお弁当を食べれないだろうと、まずはランチに行ってからね。と言っていたんですが思いがけずすっきりした青空。友達を呼びに行くと、待ちかねていたのはクーちゃんでした。甘え上手のクーちゃんを置いたまんまランチに行くことが出来ずに。あわてて、お弁当を買いに行きました。
大高緑地は梅の写真を撮ったところです。思い出せない人は こちら をクリックしてね。クーちゃんはお利口さんです。吼えることもなく靜かについてきます。
大高緑地は県営でとっても広いんです。山を二つか三つ公園にしたみたいで、坂も多いです。頂上からの景色もいいですよ。施設ごとに駐車場もたくさんあるので子供と一緒でもとても便利です。
子供たちが小さい時は夏休みに入ると、野球の中日大会の試合にきました。それからプールにも来ました。ゴーカートにも乗ったし、琵琶ヶ池ではボートにも乗ったし、モロコやイタセンパラもいたので、瓶に食パンとか入れて取ってました。この池はとても深くて大きなカラス貝がいたんですが、もぐって取った人がいると聞いたこともあります。どうするの・・・食べたの・・・と思いました。
児童遊園を通り越して、芝生の若草山に登りました。桜の花が満開です。ここでお弁当を食べました。クーちゃんはここでもおねだりなんかしません。大人しく待っています。平日でもたくさんの人がいました。食後の運動に一山越えて桜の園へ。種類が多くて満開の桜からこれから咲くもの、ソメイヨシノ・八重桜・大島桜・しだれ桜。もちろん山桜もありました。小さい写真はクリックすると大きくなります。
桜の園を見下ろす頂から、丸根砦跡の森や大高城跡も見えます。向きを変えると鳴海城跡も。こんなに見晴らしがいいのであれば、戦国時代にもっと何かあったのではと思ったり・・・。東側はJRの大高駅。西側は名鉄の左京山駅があります。
交通公園のゴーカートの親子連れを見ながら、日本庭園に向かって山を降りていくと、梅園があり小さな池があります。クーちゃんここで、ダックスを気に入ってしばし遊びました。 琵琶ヶ池を回っておしまい。
いい天気に恵まれ3時間近い、散歩になりました。勢いの良かったクーちゃんはゆっくり歩きます。帰りはゆっくり歩くよとは聞いてはいましたが、疲れて足が遅くなるんだと思っていたので、帰りたくないと知って笑ってしまいました。
ヒガシコクバル知事も元気になられたようだ!トップセールスマンは仕事がいっぱい・・・頑張ってください!知事の記者会見やってましたよ!タミフルについての釈明と謝罪と合わせてね。http://www.pref.miyazaki.lg.jp/chiji/kaiken/index.html
今日も黄砂がいっぱい降っている。車も洗濯物も大変だあ。マスクをしている人もいっぱい。
我が家には春の花がいっぱい咲きました。上から、オステオスペルマム・都忘れ・ノースポール・タツナミソウ・ラナンキュラス・金蓮花・アオスジアゲハのさなぎ。最後はどこで越冬したのか、殿様バッタ。
信長に今川義元が敗れた桶狭間の戦いに関係がある、大高城跡に花見に行ってきました。雨の予報が外れて曇りの天気。
名古屋市緑区大高町にある、大高城城跡はJRの大高駅から歩いても近い。住宅の中の狭い道を歩いていきました。目の前に見えますから、どの路地を通っても行けます。柴犬を連れた人にあいました。高札は見ておられるようでしたが、堀をそう思って見たことはなかったと。家康がここの城にいたのが不思議な気がすると言われました。
この城は、東西約百六メートル、南北三十二メートル、四方を二重の堀で巡らしていた。
永正(1504~21)のころ花井備中守が、天文・弘治(1532~58)のころには、水野忠氏父子が居城していた。永録三年(1560)桶狭間の戦いのとき、松平元康が守っていたが、義元の死後三河に帰り廃城となった。昭和十三年国の史跡に指定された。高札より
城山といっても標高数十メートルといった小さな丘の上にある大高城にはほとんど遺構らしきものは見つかりませんでした。ただ頂上にある稲荷神社まわりに少し堀跡があるくらいです。堀跡は危険だから壊したと表記されていました。残念ですね。天守跡から、鷲津砦の森も丸根砦の森も見ることが出来ました。位置関係は分かり安いと思いました。鳴海城跡は現在は見えませんが、桶狭間の戦いのころはどうっだただろうかと思いました。のろしを上げれば見えますね。
天守跡の桜は4分咲き位でしょうか。日曜日とあって家族連れが楽しそうに宴会を・・・。その昔は堀の底だっただろうところは広場になっていて子供たちがボール遊びをしていました。その横に山桜の花がきれいに咲いていました。ソメイヨシノの白い花もいいですが、山桜の赤い新芽が好きです。
ヒガシコクバル知事は、昨日フォーマ中継で宮崎からテレビに生出演されたが、痛々しかった。時々咳に悩まされていた。新そのまんま日記も、体調がよくないことを追記されていた。入院されるほどのインフルエンザ・・・簡単には開放されないかも。桜の咲くころにインフルエンザと思うが流行っているらしい。新そのまんま日記の最後には
でも、私は負けない!
とあった。
そう書きながら・・・今日も休まれてはいないだろう!宮崎の完熟マンゴーでも食べて早くよくなってください。
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