« 小谷城実地踏査編 滋賀県湖北町 | トップページ | 寺原(横浜)3勝目 »

小谷城実地踏査編 つづき

 8日に熊が出たと言うので鈴を鳴らしながら、山登りは続きます。前を見ると急な登りが辛いので、足元だけを見ながら、足手まといにはなりたくないと、ひたすら登ります。

 金吾丸から少し行くと番所があり、まだまだ登ると、御茶屋跡・御馬屋跡と現れます。お茶屋跡からが城の主要部になります。

 ここはと言うところで解説があります。小谷城は本丸と中丸の間に大きな堀切があり、ここで城の後ろと前に分かれると。前と後で違うのは、前の城は曲輪の右を道が上がるんだそうです。後はそうではなくて、道は真ん中を通ると。お馬屋敷と馬洗い池で説明があり、池で馬を洗ったかどうかは疑問が・・。横矢掛りがあるので、断崖を守る為の堀だったのではと言われる。

 首据え石を通り、桜馬場の手前で赤尾屋敷跡へ。 7104浅井長政が自刃之地の石碑があります。戻って桜馬場に。 小谷城築城400年の供養塔や、徳川家16代が題字を書いたという石碑などがあります。曲輪(くるわ)は2段になっています。いろんな形の曲輪が楽しめます。石垣7112を積む技術が発達していなくて、高く積めないので、石段を積んでは平らにして次の石段を積んでいったそうです。平たくしては曲輪を作ったんでしょうか。

 黒金門を登ると公園のような広場があり、ここになんらかのご殿が有った可能性は高いと。石垣も井戸も残っています。また、風が強くなってきました。中丸・刀洗い池が続きます。刀を洗ったかどうかわかりませんとも。

 京極丸・小丸・山王丸と登って行きます。7149 山王丸東南の遺構大石垣は野面積みと言うそうでつつじが石垣に咲いていて歴史の長さを感じます。戻って、壊れた石垣があります。秀吉は長浜城に移るまではここに住んでいて、城を出るときに城を使えなくしていくんですね。そりゃそうだ。誰かに城を渡して攻撃されたんじゃ困りますからね。効果的に城を壊すと言うのは入り口を壊すのが手っ取り早いんだそうです。7146 秀吉が虎口を周りの石垣を使って封鎖した状態がよく残っていて、よく分かります。他にはないですからと・・・。私の言うことは話半分に聞くようにと言われてみんなで笑ってしまいました。断言するほどの資料はほんとに残ってないんですね。

 7151 ここで昼食。風が冷たくなってきて寒いくらいです。72歳という女性が見えたがたいしたもんです。山登りは結構大変でしたよ。後半にもう一箇所険しい登りがあるので、体力快復させなきゃ・・・。寒いんで早く動いた方がいいかも。雨は落ちてはいないが、山の天気は変わりやすいんかなと・・・。

追記
 Kyougutimarukoguti 京極丸で大事なことを、信長好きには避けて通れないことを忘れていました。情けないことでした。
 京極丸虎口を秀吉は突破したんです。秀吉と信長は小谷城の正面の虎御前山に陣を構えていました。( 江戸時代の絵図に書いてあるそうです)虎御前山を真っ直ぐに下って来た秀吉は清水谷を駆け、水の手から京極丸に攻めあがって行くんです。Koguti_1 京極丸の虎口に立って見ました。400年以上昔に秀吉が、多分信長もここを通ったんですよ。感慨深いものがありました。

 

地獄の山登りはまた・・Kamomiru

カモミール キク科 薬用植物として有名で、ヨーロッパでは広く自生しています。我が家でも、一本の苗からこぼれ種で増え続けています。

« 小谷城実地踏査編 滋賀県湖北町 | トップページ | 寺原(横浜)3勝目 »

歴史 」カテゴリの記事

コメント

歴史に登場して、又現地を見て歩いた様な記事で大変楽しく、興味を覚えました。
是非是非、歴史散策続けて、投稿お願いします。

一日かけて歩いたところをまとめるのはけっこう大変です。今日は時間がないので、また明日・・・楽しみに待っていてください。明日こそは大獄(おおづく)への地獄の山登りです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 小谷城実地踏査編 滋賀県湖北町 | トップページ | 寺原(横浜)3勝目 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

ブログパーツ,com

鉄道写真館

  • 0604081
    撮り鉄と乗り鉄の写真館へようこそ!
無料ブログはココログ

掛川花鳥園

  • 2
    掛川花鳥園 2006年4月4日快晴