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彦根城下 発掘調査現地報告会

  あまりの暑さに買いそびれていた青春18きっぷをようやっと手に入れて、彦根・関ヶ原と出かけてきました。関ヶ原は昨日アップしましたが。881彦根城は春の青春18きっぷでも行きました。駅前に874、彦根35万石初代藩主 井伊直正公の銅像がありました。歴史上では桜田門外の変の井伊直弼が有名ですが・・・。

  現地調査報告会というのに憧れていました。なんだか学者さんみたいでしょ???岐阜公園の信長居館あとは、時間を決めての説明ではなく臨機応変に対応してくださるものでした。今回は京都新聞や滋賀新聞?、もっとテレビでも放映されたらしいです。11時からの報告会に暑い中100人以上の方が見えていました。

 中に戸塚家のご子孫のご婦人が、テレビで見たからと来ておられました。少しお話を聞くことが出来ました。

 特別史跡 彦根城跡 重臣 戸塚家屋敷跡 発掘調査現地説明会です。配られた説明書きをまとめて一部だけ紹介します。

はじめに
 今回、校舎の耐震工事等に伴い江戸時代における遺構の状況を事前に確認するために、発掘調査を実施しました。
 調査の結果、彦根藩重臣の屋敷の一部や、それに伴う雨落ち溝・漆喰製枡などの遺構が明確に残存していることが判明しました。902

今回の調査は、県立彦根東高校グランドに位置し、彦根城跡の中濠(堀)と内濠(堀)に挟まれた重臣の屋敷跡の一角にあたります。

絵図や文献などから分かっていた調査地の性格
 「御城下惣絵図(ごじょうかそうえず)」(1836年作成 )には、戸塚家(中略)の邸宅として描かれています。
 明治22年に彦根東高校の前進-滋賀県尋常中学校が移転してきて、以降は学校用地として使用され現在に至っています。

 現地に立つと、三段階に掘られていて、一番深いところが江戸時代前半期、次が江戸時代後期、坂本龍馬や井伊直弼の時代ですねっと。一番浅く掘ってあるところが明治時代。889 

 城から一番遠い場所に台所から出たゴミを埋めていた穴が見つかり、貝殻などが見つかったと。牛骨の話はなかったので見つからなかったんだろう。牛肉を食べたとしても、骨付き肉ではなかったのかな?903

まとめ
 「御城下惣絵図」によれば、今回の調査区のさらに西側には11代藩主直中の庶子-通称「筑後様」の屋敷が存在し、北側のグランド一帯も重臣の屋敷が軒を並べていたと考えられます。
 調査の結果、絵図から推定されていたとおり、調査区には彦根藩重臣の邸宅が残っていたことが判明しました。彦根東高校では今回とあわせて3回の調査を実施しましたが、いずれも江戸時代の遺構が発見されており、彦根東高校の地下には、彦根藩300年を支えた重臣たちの屋敷が立ち並び、今でも良好な状態で遺存していることが出来ました。

 見つかった食器は肥前の有田焼・美濃の瀬戸焼など大量に流通しているものと。井伊直弼が特に力を入れて作らせていた磁器で、鮮やかな色と細かな筆致の湖東焼だそうです。湖東焼の発色を出す為には、中国からコバルトを輸入していたとか。地場産業を盛んにするためのこだわりが凄いですね。898

 長くなってしまいました。最後にお知らせをコピーします。

企画展 「城と城下町」
 場所 滋賀県安土城考古博物館
 内容 彦根藩の膳所藩の城と城下町の成り立ち、歩み、城下に住む人々の暮らしをご紹介

 会期は9月9日まで

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