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冷たい雨・・

 一日中冷たい雨が降る。プリンターの印刷が出来ないのでクリーニングを二度やってやっと正常に印刷できた。先日からやっていたDVDの書き込みが出来る。DVDに直接印刷する。鉄チャンの旅行記1と2と、九州旅行が圧倒的に多い。次は関西かな。琵琶湖一周から大阪・彦根など。

 美容院から誕生日プレゼントとして2割引きの葉書が届いていたのでカットとカラーリングを奮発?する。あわせて一万円でお釣りが来た。ずっとお願いしてた美容師さんが病気で辞められたと聞く。店長は男なのでちょっと抵抗がないこともないんだが、今更美容院を変えるのも面倒だし・・・・。というわけで髪が短くなった。白髪が一本もないんですね。と店長に言われた。母親譲りなのでどうって事無いが、珍しいのかなと思った。まぁ苦労してないってことだわと友達には言われた。

 その友達が久しぶりにオーストラリアに娘さんが行ったからとお土産を持って来てくれた。とっても甘ーいチョコレートだった。テニスに一緒に行っていた友達。Nコーチの話しになる。彼女は今はご主人と夜、テニスに行っているので同じコーチではない。やっぱ Nコーチは教えるのが上手いと。どんなボールでもいい所に返してくれるので、ついこっちも上手になったような気になれるのがうれしいと。10月になるので、テニスを始めて5年目に入る。運動音痴の私がテニスをすると笑った連れ合いも最近は何も言わない。内心どうだって思っているが、それはNコーチを始とするコーチやフロントの梅ちゃんのお蔭。感謝・・・。いつまでも楽しんでテニスがやれるといいなぁ。

 読書会の原稿は半分書きになっている。明日は日本書紀を読む会。 たまには顔を出さないと忘れられるかもしれないので行くつもり。雨が止むといいな。雨の中の犬の散歩は犬が大変。途中で座って休憩できないし、毛は濡れるし。ゴールデンレトリーバはロン毛で防水加工?されているのでまだいいかな。合羽が嫌いな犬らしいから。1686_2

画家 岸田劉生の軌跡 展

1700   雨が今にも降りそうな土曜日。先日戴いた刈谷市美術館の鑑賞券があるので、画家 岸田劉生の軌跡 展を見に行く。怪しい人に見えたり、可愛く見えたりする 麗子像を見るために。教科書で見た麗子像は毛糸で編んだ肩掛けをかけているが、今回はその麗子像ではない。

 愛娘をモデルに描いた岸田劉生(1891年-1929年)は、近代の日本美術において最も個性的な画家の一人です。38歳という短い生涯ながら、その画業は大きな変貌を遂げました。
 岸田劉生は明治24年に東京に生まれ、黒田清輝に外光派の画風を学び、20歳の時に文芸雑誌『白樺』の同人、武者小路実篤らとの交友によって、ゴッホやセザンヌを知り影響を受けました。また、在野の小規模な美術団体「草土社」のリーダーとして活躍し、日本洋画壇に大きな業績を残しました。その後、北方ルネサンスの絵画に傾倒し、デューラーらからの「クラシックの感化」が強まり、精緻な写実を追及し、物や人物の存在を深く見つめる「内なる美」の探求へと進みました。やがて宋元画や初期肉筆浮世絵などの東洋的な美に心ひかれて、それらを自らの芸術に反映させようと試みるようになりました。
 本展覧会では、笠間日動美術館の所蔵作品に特別出品を加え、岸田劉生の初期から晩年までの軌跡をたどります。代表的な〈麗子像〉の油彩画をはじめ、麗子が随所にちりばめられた装丁画や水彩画、晩年の日本画などの130余点により、劉生芸術をご紹介します。 
当日いただいたパンフレットより。

 Reiko麗子五歳の像は目がくるくるとして 愛らしい。十六歳の着物を着た麗子像は日本髪を結っている、劉生の目に見える麗子は時として怪しい姿だったりするが、写真は実にきれいだった。(画像は購入した葉書より)

 武者小路実篤の友情を始とする本の装丁画は懐かしさを覚える。中でも麗子が随所に描かれたものは劉生の愛情の深さを感じることが出来る。ここまで麗子像を散りばめたら本望だろうなぁとも思う。タイトルも筆で書かれていて・・・いい仕事してますね。・・・と言いたくなる。タイトル文字の書体だって、今ならとても見難くいと思うが当時はこれでよかったのかと時代背景を考えてみる。

 日本画もたくさん有ったが油絵の魅力が勝っていると感じる。自画像や友達の肖像画を描いた作品は、肌の描き様が年齢差を際立たせている。力強さはなんともいえない。

 武者小路実篤と劉生は親しかったのかと、装丁画を見ながら思う。邪推かもしれないが、実篤が仲良きことは美しき哉 と果物など描いたのは劉生の影響かなと。先日武者小路の歌碑が日向新しき村のある木城町に新しく建てられた。宮日webニュースはこちら

 岸田劉生と愛美社の画家たち も同時開催されていた。自画像や肖像画がよかった。詳しくは刈谷市美術館のHPからどうぞ。

見終わって外に出たらかなりの雨が降っていた。気温もどんどん下がってきた。もうじき10月秋本番!!

戦国時代の高城の合戦 4

 天正15(1587)年3月1日に秀吉は大阪を出陣します。たかが九州の南の日向に向かって秀吉が出発するんですね。そんな大事な歴史が隠れていたとは・・・・。それも12万の総軍勢で向かうとは。

 島津軍は豊臣の大軍を迎え撃つために豊後国から日向国に後退し体勢を立て直すことにしました。これを見た秀吉は弟・豊臣秀長に8万の軍勢の総大将を命じ、軍監に尾藤知定をつけて島津軍を追撃させます。

 4月6日ついに決戦を迎えます。秀長は高城を取り囲み攻めます。このときの豊臣軍の布陣は凄い人数で、こんなに大げさな合戦だったのかと驚きの連続です。高城の東に秀長部隊1万5千大友義統部隊1万5千・西に吉川元長と広家1万・北に毛利輝元と小早川隆景2万5千・そして南に宇喜多秀家1万5千。まだいるんですよ。周囲に黒田孝高蜂須賀家正がいるという圧倒的な人数です。

 顔ぶれも戦国武将がずらりと並んでいたんですね。(@_@) (@_@;) ようもこんな田舎にご苦労さんといいますか、なんといいますか。それに対する我が故郷高城の守備といえばなんと1300だったと。桁が違いすぎます。見間違いではと資料を改めて確認しました。間違いなく1300です。

 島津義久が2万の兵を率いて応援に駆けつけますが、根白坂に砦を構える宮部継潤に進路をふさがれてしまいます。宮部の兵は3万とも言われています。深さ約3m幅5mほどの空堀を掘り、柵をつくり背後に鉄砲隊を備えます。これって、まさに長篠の合戦じゃありませんか。

 困りましたね、島津軍は高城の救援どころではありません。島津義弘は1万6千の薩摩の精鋭部隊でこの白根坂の陣を突破しようと夜襲をかけます。打たれても打たれても柵を目指して肉弾戦を展開します。一方継潤は鉄砲部隊を駆使して必死に持ちこたえます。必死に持ちこたえるのが鉄砲を持っている継潤って書いてありますが、攻撃を受けているんだからそうか・・・。武器だけを見るとそうではないような気がするが・・・。続きます。

参考HP佐土原城遠侍間高城の合戦 
参考資料 『戦国武将島津義弘』 姶良町歴史民族資料館

秋の花 フジバカマ03640 

戦国時代の高城の合戦 3

 高城合戦の時の地図を見ると、山城である高城の南側、小丸川に沿って、平城が現在の喫茶店と木城クリニックのあたりに描いてある。平城の話は聞いたことが無かったので興味が深まる。木城町の広報きじょうに面白いことがかいてある。

 高城合戦は城だけでは戦いきることは出来ないので、島津氏は山城の麓から平城までを合理的に利用していたと考えられるそうです。

 現在の木城町在地区には「立小路」「横小路」という地名が残っていますが、ここには当時武家屋敷が並んでいたと考えられ、現在も続く家の立ち並び方は当時とほとんど変わらないとあります。ウッソー・・・。そうか、そうなんだと目からうろこ。狭い道が迷路のようだった様な気がするし、子供の頃のあの当たりの雰囲気はちょっと違っていたように思う。
 
 わが故郷の歴史、中々のもんじゃん?と嬉しくなる。どうもそれだけではなくて、高城は1000年以上も前の律令の頃に日向国府(現西都市)から大宰府(現福岡県)に通ずる官道の要となる道が通っていて、駅(うまや)というのが現在の役場周辺に置かれていたようです。

 この官道は高城合戦の時には薩摩往還と呼ばれるメインストリートだったんですね。当時日向から薩摩国(鹿児島県)や豊後国(大分県)に行くには避けて通れない道です。想像すると、そんな重要な道に睨みを聞かせるようにそびえ立つ高城の天主・櫓・・・。青空をバックにいい風景!!復元されるといいのに財政的に無理かな。

 重要な城主を託された山田新助は島津家久の高い評価を受けていたんですね。まだまだ活躍は続きます。

 平城は日常の政務を行っていたようです。土塁で囲まれ、さらに外側は空堀で厳重に守られたつくりになっていました。土塁は現在も一部が確認されています。って。あの当たりも学校の帰りに時々通っていたがそういえば土塁によじ登ったかな。

 高城の麓の平城で生活していた武士団は、戦いが始まると、高城に入り、敵方の攻めに備えたと考えられますが、高城の登城口は確認されていないようです。 じゃ・・現在もある、桜まつりの時に登ったあのくねくね曲がった階段はなぁに。よく考えるとあの階段を登ってたら時間はかかるし大変かも。非常時の登り口は必要だろう。見つからないと益々歴史ロマンは広がって嬉しいが。現在の高城辺り クリックすると大きくなります。GoogleMAPよりTakajyoumap
 
参考資料広報きじょう シリーズ文化財よもやま話 26 

戦国時代の高城の合戦 2

 1577年島津軍の歴史的勝利で終わった高城の合戦。何故、籠城していた家久・山田らの奇襲が成功し島津軍の歴史的勝利になったのか、奇跡だという研究者もあるようです。このときの島津側の死者は千人以上、一方の大友軍は4~5千人だったとも言われています。務志賀(のべおか)で高城・耳川の敗戦を聞いた宗麟はほうほうのていで豊後国に逃げ帰ったんです。

 大友勢を破った島津氏は北へ進出していきます。龍造寺家を倒した島津軍は九州での敵は、大友氏を残すのみになります。その前1585年に関白になった秀吉も九州出兵したい思っています。賢いのか秀吉は島津に大友との和平を勧告しますが。島津軍は応じません。1586年島津義久はついに大友領内に侵攻します。

 大友宗麟も黙っていません。宗麟は熟慮の末に決断し、行動を起こします。大阪城に秀吉を訪ね、来援を陳情するのです。秀吉は宗麟が九州という遠くから来たことに感激したんですよ。毛利軍や長曾我部元親ら四国勢を豊後に出陣させるんですね。12月に入って四国勢は長曾我部元親が敗死し、仙石秀久は敗走しました。コミック『センゴク』の仙石秀久はこんなところに登場するんですか。仙石の性格はどうだったんでしょうね。

 1586年正月秀吉は九州平定の遠征軍を編成します。
 総動員数25万人・35万人分の兵糧・馬二万頭と飼料一年分を用意し、先陣に宇喜多秀家・羽柴秀長などを日向に派遣するんですね。

 いよいよ2回目の高城合戦。落ちない城伝説はここらから始まります。ほんとに難しい合戦記事・・・明日に続きます。

アートヒル三好ヶ丘の彫刻

 連休中少しだけ涼しくなったので、愛知県三好町に彫刻を見に行ってきました。市営地下鉄に名鉄電車が乗り入れています。地下鉄鶴舞線が、途中からは名鉄豊田線になります。名鉄三好ヶ丘駅から彫刻は設置されていました。が、地図がないんです。以前見たことがあったので出かける前日にネット上に捜したけど見つからなかったので記憶を頼りに・・・。これが全然当てにならなくって困りました。交番で聞いてもたいしたことは教えてくれなくって・・・。

 1575 Dsc01582 駅前ロータリーに2基ありましたのでそれを写して、歩いていくと馬が、鉄の馬がありました。まるで暴れ馬!!駅から続いている高架になった道路を歩いていきました。左手に見たことのある懐かしい像があります。

 尾崎慎さんの作品です。夏に見て以来の尾崎作品。『展望』と題してあり、製作意図まで表示してありました。人が生きていく為には、一人で生きていくことはできませ ん。たがいによりそい、そして前向きに、常に遠くに目標を持ちながら、また、助け合いながら生きていく姿を表現してみました。この作品がこれから少しでも多くの人々の目にふれ、人と人との和の中で生まれる夢と希望を感じていただければと願っています。 と1990年の作品。台に乗って作品の顔をじっくり眺め、触って感触を楽しんで・・・。16011598 

 暫く歩いていくと子供が石彫に乗って遊んでいました。こんな風景が夢だったなんて彫刻家さんは思うんじゃないだろうかと。彫刻好き?と聞いてみると大好きという答。おばさんも好きなのって言うと子供ら二人が案内してくれるっていうのでお願いしました。Kaze_hikarioto2

 子供らが最初に見せてくれたのが黒御影石の『育む』 伏石シズヱ 1人が家に帰ってプリントした彫刻を持ってきました。家の近くに彫刻はあるんです。これが実際に見て触れることが彫刻好きを作ることになるんですね。大きい二つの石の間に小さな石が三つ・・・これが子供だよって教えてくれます。1606_2 

 こどもらは全部で5個の彫刻を案内してくれました。三好町の彫刻は自転車で走り回るほどの広い範囲に設置してあるんですね。よその学校の子供とけんかになったとか言うので遠くまで連れて行くのが心配になり途中で分かれましたが、かわいい子供たちでした。Ryou君とKouta君ありがとう!!彼らが案内してくれた作品です。1617 1608 1609 1613

 子供らと別れてRyou君のプリントした地図を参考に歩いていくとアートの小径に出ました。それから4作品を見つけました。

 蛭川や刈谷でお会いした、竹内淑浩さんの『飛びたつもの』。製作意図 大空を自由に飛び回ってみたいという空への憧れの想い は、誰しも心のどこかに持っている様に思います。空に向かって飛び立とうとするエネルギーを石という素材を用いて表現してみました。重い石が飛び立とうとするとき、それ自体の重さは一瞬無の状態になり、軽やかさへと変化していく様に思います。重さと軽さ、相反するものを同時に存在させてみようと思いました。1637_2 1626  1640

2時間以上歩いたので今日はおしまい。とてもとても一回や二回で見れる数ではありません。ブロンズや金属など素材は多彩でした。それでもねやっぱ 石彫 が好きかもでした。

 家に帰ってRyou君の持っていた彫刻MAPをネットに見つけました。しまった・・・関ヶ原でお会いした近持イオリさんの作品が少し先にあったみたい・・。残念です。三好町に設置してある彫刻の数は70点もあるんですね。

 レンタサイクルでも借りないことには・・・。帰りに寄った鶴舞公園の緑化センターに彼岸花が咲いていました。1654 1648

戦国時代の高城の合戦 1

 まだ子供の頃、毎年桜祭りが、城山(じょんやま)で開かれていた。長い石段を登りながら、母だったか、祖母だったかがいつも話してくれた。戦国時代にこの城は中々落ちなかったそうだ。中でかぼちゃとか作っていたんで兵糧攻めにしても負けなかったと。覚えているのはそんな事くらいだがもっと話を聞いていたのかもしれない。

 城山には二通りの行き方があった。バスに乗って高城のバス停で降りて、城に向かって引き返して南側の階段を登る時と、歩いていって西側から城に向かっていく方法と。階段はくねくねと曲がっていた、途中に芋飴やべっ甲飴を売っていた。

 Takajyouezu12 高城の絵図(日南市教育委員会所蔵・以前に広報きじょうで紹介されたもの)を見るとその二通りの道がよく分かる。曲輪(くるわ)も何段にも作られている。西側以外は、崖になっていてなるほど要塞だ。

 1577年当時、大友氏・竜造寺氏・島津氏の戦国大名が領国を拡大し、互いに直接対決によって支配権を争うことになった。大友軍は南下し、日向に入ってきた。そして1578年11月に日向高城周辺(宮崎県木城町)で両軍が激突した。Takajyouezu2

 高城は西側以外の三方に崖が続いている天然の要害の地でありました。東側に南北に走る薩摩往還が通っています。写真はクリックすると大きくなります。

 高城に籠城していたのは守将の島津家久と城主の山田新助有信の500騎でした。大友宗麟は務志賀(のべおか)に本営を置き、田原紹忍を総指揮官に4万の大友軍が耳川を渡って、高城の北側に布陣したのです。このとき大友軍は、途中の神社仏閣を焼き払ったんですね。大友宗麟はキリシタンですから。神社仏閣を焼き払うことに抵抗はなかったんでしょうか。これはどうやら失敗だったようです。住民らの怒りをかったんです。それに、兵士は仏罰を恐れたとも言われているようです。

 11月12日未明、大友軍は小丸川を渡河しますが、島津軍の攻勢に押され、籠城していた家久・山田らの奇襲も成功し、島津軍の歴史的勝利になったのです。

 参考資料 『戦国武将島津義弘』 姶良町歴史民族資料館 開館20周年記念特別展図録 姶良町歴史民族資料館発行

歴史ランキング・・

 リンクして下さっているBlog お寺さんぽ ver,2 が歴史ブログランキングで 12位になっている。凄ーい・・・。(9月22日午後9時現在)もう少しでベスト10入りする。

 リンクしてくださるきっかけは、 旧ブログお寺さんぽ (今は お寺さんぽ跡地)のわがふるさとの戦国時代の有名な?大友宗麟と島津軍の戦い 耳川合戦の記事にコメントしたことです。こちらをどうぞ。耳川合戦は前後がありますので興味のある方は お寺さんぽ跡地の耳川合戦のページをどうぞ。

 ブログを書いている あおぶひでる さんの正体は不明。プロフィールを見ると 秘密になっているが多分男性。まんがにも造詣が深くて まんがさんぽ というブログもありなんですね。そんな ひでるさんのブログにリンクしていただいて 感謝しています。(よだきぼは歴史ブログランキングには参加していません。念のため (^^♪)

 その耳川合戦 (薩摩藩の記録には高城合戦とある) そんなこんなで面白いので 明日から書こうと思います。資料は鹿児島県姶良町歴史民族資料館から取り寄せました。

 この頃の高城の様子を書いた 「高城陣構図」は宮崎県木城町の広報きじょう でも紹介されましたが、今回はカラーです。

リンク貼りまくりの記事になってしまいましたが、明日もよろしくお願いします。

読書と仔猫と

 読書会の原稿を書かなければ遅くなってしまうと、本を読み始める。なんでこんなに分厚いの・・・書いている側はどう思って書いているんだろうか。きっともっと書きたいことがあったのにここまで絞ったんだろうなぁ。内容を深く読みたいと思うが、なんか異次元のような世界が広がる。阿部和重著『ミステリィアスセッティング』

 近所の彼岸花はまだ咲いていなかった。例年彼岸には咲いているのに今年の暑さはやっぱり異常だったかな。デジカメ持って待っているのに。

 先日ノラの仔猫をもらっていただいた人にバッタリ出会う。持て余しているようだ。とにかくやんちゃで活動量が想像してみえたのとは違っていたと。カーテンは登るし、箪笥に飛び乗るわ・・・・って。思い起こせば我が家の猫だってそんな日があったなぁと。カーテンを登ってカーテンレールを走ってエアコンの上でお昼寝の日々が。

 家の中だけで飼えれば、予防注射でも3種混合で済んだり、避妊手術もあわててすることも無いんだが、外に出て行く猫になってしまったようだ。動物にかかる費用・・・高いか安いかは飼い主の気持ち次第だろう。猫の避妊手術は市の助成金があるようなので保健所に聞いてみるといいかも。グレは、2万円くらだったと思うが、名和どうぶつ病院は安いらしい。9974_2 写真はもらわれて行った仔猫。このころはこはると呼んでいたが、今はみ-ちゃん。9977  

テニスの練習日

 彼岸の入りだというのに今日の予想最高気温は33度。暑さ・寒さも彼岸までと昔は言ったんだよと話す日が来るのかもしれない。

犬を迎えに行ったら、ご主人が休みで散歩に行かれた後だった。程なく帰って見えたので奥さんの様子をお聞きした。家族に病人が出るとほんとに大変だ。犬の散歩はしばらく続きそうだ。

 11時からのテニスに出かける。コーチが少し変だった。9月の第3週というべきところ、言葉につまった。8月の・・・と言おうとしたとか。もうひとつ変だと思ったことがあったが忘れた、珍プレーだったかな。

 ウォーミングアップの時、コーチに飛んで行く球が多かった。先週は全然コーチには飛ばなかったのに。こういうことは連鎖するらしい。冷や汗が出たといって汗を拭いているコーチ。気の毒なほどコーチに向かってよーく飛んだ。今日は私にも飛んできた。サーブを取り入れた練習試合のとき、返球された球が顔面に向かって飛んできた、あわててラケットを構えた。アウトになったが、痛い思いをしなかったのでよかった。もう一度ボディに向かってきたが何とか避けた。

 以前このクラスだった人が振り返られたからか、今日はサーブのチェックがあった。まず、トスを上げる高さを確認してと。ラケットを上げてみて位置確認をするという指導の後で個別チェック・・・トスの高さ、ボールに当たる位置はOKだった。ラケットが遠くを通るように大きく振るように言われる。素直に打つとなるほど中々のサーブが打てた。他の人もいい感じ。いいサーブはとってもいいんだが、男の人の弾丸サーブは、止めるのが精一杯で悔しい。\(◎o◎)/!相手コートに返したい。それにしてもNコーチは教えるのが上手い。

 

牧水の酒の歌

   先日の お酒が好きだった牧水の命日 にぼんやりっこさんからコメントをいただきました。

 >酒、好きだったのかな?もしかしたら、飲まずにはいられなかっただけで、そんなに好きではなかったのかもしれませんよ。・・・と。

そうかもしれない。牧水は酒の歌をたくさん残している。飲まずにいられないほど辛い事もあっただろう。でも、キッチンドリンカーみたいなこんな歌もある。

足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる

旅は牧水にとってその生涯をかけるようなものだったとすれば、旅先で出会う酒は・・・欠かせないものだったんだろう。牧水は酒を愛したと思う。牧水のことを酒仙・酒聖と呼ぶ人もあるんだから。

 若山家には酒好きの血統があるらしい。牧水の祖父は一滴もたしなまなかったらしいが、祖母は祖父から「酒だると一緒にいるようなものだから外に出て行け」と締め出されるような酒豪だったとも。また、父も毎夜一升を必要とするほどの酒豪だった。母は士族の娘で乱れることはなかったがひそかに一生酒の異名をとっていたとも。牧水はこの血を受け継いだようだ。

 それでもここまで飲むのかというものもあって面白い。

おひおひに酒を止むべきからだともわれのなりしか飲みつ思ふ

ほほとのみ笑ひ向はむ酒なしの膳のうへにぞ涙こぼるる

癖にこそ酒は飲むなれこの癖とやめむやすし妻宣(の)らすなり

寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに

暁と鶏なく時しとりいでて飲む酒のうまし夜為事のあとに

妻が目を盗みて飲める酒なれば惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ

 まったくどうしようもない呑んべえなのである。病気になっても仕方ないだろう。恋に行き詰まり・・・生活を苦にしても・・・きっとうれしいときも・・・何につけても酒を手放すことが出来なかった。ここまでの呑んべいなら・・・どうもこうも・・・乾杯するしかないだろう。

このブログを読みながらにんまりしている呑んべえさん・・体も大事にしてくださいね。

参考書籍 『若山牧水』宮崎日日新聞社編 鉱脈社

朝からバタバタ・・・

  昨日の夜が暑くて寝苦しかったのでついつい夜更かし・・・。そのせいで寝坊。起きてびっくり5時をまわっていた。弁当2個と朝食を急いで作った。あせって作ると疲れる。横でYukiにゃんが散歩まぁだと寄り付いてくるし・・・。

 つれあいが6時20分・息子が7時すぎに仕事に出かけた。長い休みだった。片付けて、犬の散歩、9時までには帰る予定にしていた。順調に歩くかと思えば、彼女?んちの前で一休み。そのあとおもむろに公園に歩いていく。公園を2週するがウンチなし。帰りに大好きな居酒屋さんのママさんにあったのでおねだり・・・。困ったもんだ。朝から蒸し暑いせいか帰り道は遠かった。お隣の庭に座りこんで・・・挙句には横になってしまって帰ろうとしない。はぁー・・・私のことがわかってきて少々のわがままは聞いてもらえると感じたのか・・・。まだこの散歩は続きそうなのに今からなめられては大変。

 家に帰ったら9時20分だった。園芸友の会の役員会は10時から。会場の区役所まで20分でいけるか。汗だらだらだったのでシャワーを使って大急ぎで駆けつける。ちょっと遅刻した。散歩ってほんとに大変・・。犬は飼えないなぁと実感する。(苦笑) 今日のゴールド。1519久しぶりに花。今年二度目のサボテンの花とスタンダードに作りたい ランタナ。15171529_2

お酒が好きだった牧水の命日

 昭和3年9月17日に宮崎生まれの愛郷の歌人・若山牧水は沼津市の自宅で亡くなった。

 お酒が好きだったことは酒を歌ったものが多いことでも有名だ。桜の時期と九月になると、毎年牧水を思い出す。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

 酒を飲まない私でも秋の夜長に飲んでみたくなるような歌だが、牧水は失恋から立ち直れずにいた。苦しさのあまり酒にたよるしかなかったという。「白玉の・・・・」は、世上言われる酒に親しむのどかな歌ではなく、耐え切れぬ孤独をかみしめる青年が、酒を唯一の慰めの友として手にし得た姿だったのではないか。「酒は1人に限る」という寂寥はあまりにふかいのである。と山口俊郎(宮日記者)は書いている。 (『若山牧水』宮崎日日新聞社編より)

 「色々の境遇上から今年は秋が来たといふ事が今迄にない恐怖を私に感ぜしむる。この恐ろしい秋に際して私は暫く旅に出てゐたいと思ひたった -後略」(創作九月号「樅の木陰より」)と書き残している。

 恐ろしい秋とは 小枝子への思いである。友人の医者からうんとしかられて、謹慎中であるにもかかわらず こっそり呑んでいたようである。牧水はいつから飲み始めたのか知らないが、亡くなるまで呑み続けた。

 永年親しんできた酒が牧水の命を縮めることになる。山口(宮日記者)は言う。牧水の酒とその歌に漂っているのは酒による無理をさらに酒の力を借りて覆い隠そうとする痛々しいまでの韜晦(とうかい)の響きだろう。-後略-と。

 健康が快復しないまま、昭和3年9月17日に亡くなる。このとき牧水は食べることもままならず、トマトや胡瓜を食べていたらしい、まるでキリギリスのようだと読んだことがある。口内炎が出来てからはトマトも食べれなかっただろう。まだ働き盛りの43歳だった。

 九月に亡くなったがアルコール漬けになった牧水の体からは死臭もしなかったともあった。それほど酒が好きだったのかと呆れもしたが、変に感激もした。

 牧水は歌人としての位置が低いように感じられるが、「白玉の・・・」の歌のように私らの知らない牧水の心が分かってくるとき歌人若山牧水の真骨頂は見えてくるのだろう。

 牧水の歌はどれもこれも好きだが失恋をなんとか忘れようとする痛々しいまでの決心がみえるこれが特に好き。
 少年のゆめの衣はぬがれたりまこと男のかなしみに入る
 
 
酒飲みのわが亭主もこの口か・・・私も問いかけたことがある・・・
 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
 それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味

 参考にした本
 『若山牧水』 行きてまだ見ぬ 伊藤一彦  恋と旅と酒と 山口俊郎 宮崎日日新聞社編

雨?の日曜日

 台風の余波なのか雨が突然降り出したり、日が射したりしている。蒸し暑い一日。

 今日は犬の散歩がないのでゆっくりしている。ねこはと言えば、5種混合の予防接種はかなりのものらしく、全然元気がない。二匹とも元気がない。熱はないが、だらんとした様子。食欲はまぁまぁあるので心配はしていない。

 各地のパンフが集まったので整理した。いっぱいになったファイルが3冊できた。パソコンデータもDVDに整理するといいんだが、息子が設定したメディアプレーヤーが邪魔して思うようにいかない。私には何が悪いかも分かってないのかもしれない。

 鉄チャン息子は、ラジコンカーを持って出かけた。今日の車はオンロードかな。豊川の方に行ったはずだが、あちらは大雨らしい。

  ハマの寺原 工藤や三浦が先発から離れても、ずっと先発で頑張ってきた。勝つのは難しいと実感しているようだ。監督にも財産になっただろう見たいな事を言われていた。まだ、残り試合は少なくないので一つでも勝ち星を増やして欲しいもんだ。

 大好きなラグビーシーズンに入った。W杯の対フィージー戦は惜しかった。東国原知事とラグビー日本代表の接点を知った。PR西浦達吉(31)は東国原知事の高校・中学の同窓らしい。なんでも かんでも 知事頼み はないだろうに・・・。Tonbo

ハマの寺原 やったね!

 横浜に移籍してから、登板数は多くなり二桁勝利は間違いないと応援してきてよかった。ついについに今日 ヤクルトを相手に10勝を決めました。長かった。
 寺原が自身初の10勝目 対ヤクルト5:3

 横浜は1回に村田の二塁打と佐伯の14号3ランで4点を先行。4-2の6回に吉村の三塁打で加点した。寺原は8回5安打2失点、無四球で初の10勝目。9回はクルーンがしのいだ。ヤクルトは連勝が3で止まり、川島は今季初黒星。

[ 共同通信社 2007年9月15日 17:05 ]

今日のスポーツニュースと明日のスポーツ新聞は楽しみだ!

犬と猫と

 友達の犬の散歩、 大丈夫そうだからと「しばらく頼むわぁ」ということになった。友達は入院してしまったので引き受けざるを得ない。今一番大変なことになりそうなのでシリーズ化するかも。

 迎えに行き、呼びかけると返事して待っている。すなおにリードもつけてお出かけ・・・。ところが 行き先が違っている。いつも朝は近くの公園と決まっていた。公園を何度か回るだけだった。話が違うじゃんと、犬に声をかけても、ズンズン歩いていく。行ったかと思うと止まる。これの繰り返し。家にも帰りたがらない。飼い主さんのやっているように散歩すると思っていたのに・・・。

 家にやっとつれて帰る。帰れば顔を拭いて、手も足も拭いてといい子にしている。が・・・またしても・・・素直でない。家の中に入らない。誰もいない家は寂しいのかな。それで、クリームパンを中に置いて無理やり家の中に押し込む。一見落着。ふぅ、とりあえず朝の散歩は終わった。次は我が家の猫。

 我が家の猫は、予防注射の日。二匹の猫を息子の車に乗せるところから大変。どこに行くのか分かっているのだろう。グレが脱走!!そこにいるのに戻らない。ねこジャーキーで呼び寄せるのに5分はかかったかも。

 車に乗ってからがまた大変。大きな声で鳴くYukiにゃん。ひたすら小さくなっているぐれにゃん。手にも足にも汗をかいている。獣医さんまで15分。ねこは車の中に置いといて受け付けを済ませる。シーズーが先客、老犬で心臓が悪いらしい。診察室に入られたので猫を連れて待合で待つ。

 今日は先生一人。いつもは奥さんが見えるんだが、早い時間は先生だけなのかしらん。会計が済むまで待って中に入る。息子にYukiにゃんを預けてグレから診てもらう。体重増加、体温38.2度、他は変わりなし。注射されても大人しい。1匹終わり。Yukiにゃんは大変、色々痛い治療を受けているので怖いかな。体重増加。目のところに何か出来たので見てもらう。痛いんだろうか、先生に噛みつきそうになる。終わって注射をしてもらう。

 老猫にしては元気だと思う。去年はまだまだ大丈夫とお墨付きをもらったが、今年は聞くのを忘れた。待合はいっぱいになっていた。猫は車に戻して会計を。

 再診料 300円×2 予防注射(5種混合) 8000円×2 点眼 1200円 フロントラインスポット6P 6360円(だいたい1年分) 消費税 1200円 合計 25.360円 高いなぁ と思いつつ、外に出かけては喧嘩をしてくるYukiはばい菌を拾いやすいから仕様がないかと。化膿して先生のお世話になったことは一回ではないし。猫の苦痛も人間の心労?も大変だから。 一年に一度の最大の猫行事おしまい。息子にいくらいくら払ったと言ったら、みんな 一万円札をぽんぽん払っているが、うちも万札で払うんだ だって。

 お気に入りの名和どうぶつ病院の先生、おっしゃることは厳しいがとても優しい、動物が好きな先生の素敵な笑顔にいつも、自分も笑顔でいなくってはと思う。 (=^・^=) 

 家に帰って、10時35分。図書館まつりの打ち合わせの時間は11時・・急いで自転車に乗る。図書館まで25分はかかる・・・。

今日のゴールド 家にも入らずに玄関でつまらなそうに寝ている。
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シラタマホシクサが満開に!

 テニスの帰りに大高緑地の 湿原 を復元しているところに出かける。朝のニュースで葦毛湿原のシラタマホシクサを放送していたから、どうしても見たくなった。8月の葦毛湿原はまだ蕾だったなぁと思い出しながら。

 目を見張るってこんな時のことかしら。少し形ばかりしかないと思っていたんだが、増えている。すっかり嬉しくなった。歩道が株の中まで通っている。さわっていいよ・・・って感じかな。摘み取るのはルール違反だろうが触ってみた。たくさんの花が集まって一つの花に見えるとか。ここには 小さいモウセンゴケもあったし、トラノオも有ったんだが、日本庭園に変わってしまった。湿原にはなかった。

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ほかにも秋の花を見つける。葛の花ってこんなにきれいだったかな。ツリガネニンジンも可憐な花をつけていた。1471 1478

こちらはタデとエノコログサとセンニンソウ。1442   1487 1480_2

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テニスはサーブではじまる

 朝方は涼しかったが、最高気温29度の予報が出ている・・・テニスの日。

 今月のテーマは サーブ です。コーチは効果的な練習法をいろいろ考えていますが、今日は 高いネットをサービスラインの近くに置いて、ボールを手で投げる。テニスボールはとても軽いので中々飛びません。ほんと飛んでくれないんですよ。それを手前のネットを越してセンターのネットを越さなきゃいけません。なんとか飛ぶようになった頃には腕が痛い。生活していてこんなに腕を伸ばすことはありませんから・・・。明日頃は筋肉痛になるかな・・・ちょっと不安!!

 次はラケットでボールを同じように打ちます。これは ミスると大変です。ネットで跳ね返って自分に当たるか、横の人に当たるかしますから・・・。

 サーブを打って始まるゲーム形式の練習では、緊張するんでしょうね・・・。サーブが入らないんですよ。ダブルフォルトはなんとか免れましたが一発目が入らないと緊張は高まります。

 今日の練習は暑かったですが今までに比べるとずいぶんと楽になりました。顔は舐めるとしょっぱかったけど・・・。

*********************

 夕方、ご近所さんが用があるというので、ワンコの散歩に行きます。10歳になるゴールデンレトリバー ゴールド は私と二人だけの散歩はしたことがありません。行こうって誘っても飼い主さんが見えるとついて来ないのです。まったくねー・・・といつも言われています。

 ところが誰もいないとついて来るんですよ。チョー感激!!体重が40キロを越えている大きな犬飼ってみたかったんです。ご老体ですから、少し行っては休憩のはずがけっこうしっかり歩きました。一回だけ道路の真ん中で休憩しました。ご近所の子供たちの人気者ものです。家に帰っても足と手を拭くまでじっと待っていました。とてもいい子でした。Dsc09505  

のんびりした一日

 昨日までの忙しさがウソのような日だった。最低気温が21度と過ごしやすくなった。日中は暑くて30度を越す予報が出ている。

 読書会は志をりの原稿を10月2日までに3つ書かなければならない。本を再読しようと、図書館の本棚を探したが見つからなかったので、予約しなければならないのかな。14日は図書館まつりの打ち合わせがあるのでその時にでも。読書感想文は月当番の時に準備すればいいのに中々出来ない。内容も確かでないので再読の必要がでて来てしまう。

 一つは歴史の勉強会を書くんだが、この一年休会だったので 現地説明会を書く予定。こんな時にはブログは便利だな。ここのどれかを整理して書こう。

 14日は猫たちの、5種混合予防注射の日である。yukiにゃんは、脱走しては喧嘩してくるので油断がならない。Momiji 5986

読書会 『おそめ』石井妙子著

 読書会の日はよく雨に降られる。今日の予報も午後から雨。雲ってはいたが日中は天気が崩れることはなかった。夕方から雨になり涼しくなった。

課題本 おそめ 石井妙子著

 はんなりとして、芯の強いひとりの京女がいた。夜の銀座をつくったおんなだった。銀座が銀座であった時代―。伝説のバーがあった。その名は「おそめ」。マダムは、元祇園の人気芸妓。各界の名士―白洲次郎、小津安二郎、川端康成、川口松太郎など―が夜な夜な集い、「夜の文壇」「夜の財界」「夜の政界」ともてはやされた。嫉妬うずまく夜の銀座で栄光を掴み、「空飛ぶマダム」とまで呼ばれたが、やがて大きな蹉跌が……。私生活では、仁侠映画で一世を風靡した映画プロデューサー・俊藤浩滋をひとりのおんなとして支え続けた恋女房だった。「夜の蝶」のモデルといわれる女(ひと)の数奇にして華麗な半生を徹底した取材で描く。  

と帯に説明がしてあるこの本、みんなはどう読んだんだろうか。

著者 石井妙子はNHKの囲碁の解説をしたこともあるそうだ。石井妙子は おそめ の話を聞いて興味をもち、おそめ本人に話を聞こうとするが、おそめは 人の悪口を言わない、口の堅い人で、取材にも中々答えてもらえなかったらしい。そこで.おそめの周りの人に話を聞いて5年もかかって本にまとめたらしい。

 私は読書会の前日からやっと読み始め、当日の朝まで斜めに読んだ。内容を把握できなかったからか、面白いとは思えなかった。次々に登場する有名人も驚くほどのことはない。有名だったり、お金があれば、高級なこんなところに出向くのは当たり前の話ではと思う。悪人が登場しないのも、つまらないかな。 まるで 私のこのブログみたいではないか。(笑)ある作家が有名になり、やっと おそめに通えるようになったのを喜んだとあり、自分のお金で遊んだとある。これなどは納得出来る話である。

 ★おそめが無口だったのは、自分の存在を肯定されている人なので自分を語る必要がなかったのでは。
★自分のしてきたことに責任の取れる人。
★おそめの母親の生き方が参考になった。
★弱々しいように見えて芯がしっかりしている。
★全体に優しく書かれていて読みやすかった。
★文人・芸人の裏側を見てがっかりもした。
★芸者というのはしみったれないようにお金の価値をわからないようにした。
★おそめは俊藤のどこに惹かれたのだろう。 などなど 盛り上がった。

三井寺と三尾神社と・・・

 琵琶湖疎水を登って行くと、卯年の人の三尾神社がありました。

三尾神社とうさぎの由来
三尾神社が太古卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方より出現されたという言い伝えにより昔からうさぎが神様のお使いとされている。それ故神文は「真向きのうさぎ」とされており卯年生れの方の守り神としてあがめられている。
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 長男が卯年生まれなので、お賽銭をちょっと奮発してお参りしてきました。兎が好きな人は一見の価値ありですよ。

 三尾神社を左に行くと、三井寺の観音堂にあがる階段があります。入館料は500円。かわいいちびっ子が階段の数を数えている。全部で144段だったかな?

境内の広いこと広いこと。琵琶湖きれいに見える売店で、力餅をいただきました。甘い餅はおいしかったですよ。1338_3 1329

 重文に指定されている場所がたくさんあります。月見堂・毘沙門堂・四脚門・三重塔など。面白かったのが、弁慶の引き摺り鐘ですね。そばには大きな弁慶の鍋もありました。こんなに食べたのかな。弁慶は人間でしょう・・・なんて思えるほど大きな鍋です。1348_2

 金堂は工事中でした。中にボコッボコッと音がしていました。何の音かわからないのでじっくり観察しました。水の湧き出ている音でした。1342_3

 近くには、大津絵美術館・歴史博物館などあります。木の繁った境内の中はとても涼しかったです。ツクツクボウシが鳴いていました。夏も終わりですね。1360

琵琶湖一周

 8日快晴・名古屋は暑くなる予報。8時50分大高駅発の電車に乗り滋賀県大津市へ行く。

大高駅 8:50発 → 名古屋駅 9:05着 9:10発に乗換 → 米原駅 10:16着 10:23に乗換 → 大津駅 11:04着 (乗車時間122分 走行距離150km 料金2520円 駅から時刻表より)

 大津市は初めてなので、観光案内所で地図をもらって歩きます。わかり易い、こじんまりした町のようです。目的地 琵琶湖疎水は町の西側、三井寺もその続きみたいです。駅前に彫刻発見。いい出足です。1309 

 西に歩いて大きな通りに出たので北に曲がります。つまり琵琶湖に向かって歩いていくと路面電車が行きます。京阪電車です。路面電車の通りに歩いて行くと、T路になっているので西に曲がってしばらく行くと京阪電車三井寺駅に着きます。その向うに琵琶湖の取水口がありました。1367

 琵琶湖疎水に沿って歩いていくと三井寺に自然にたどり着きます。大きな寺です。入館料500円。ここはまた明日にまわすことにして琵琶湖一周しましょう。

 大津駅に戻って、山科駅まで(長浜駅から米原を通って京都までが琵琶湖線という愛称で呼ばれている?)乗り継いで、そこから湖西線に乗ります。電車の本数が少ないので、次に来る 14:17発 近江今津駅ゆきに乗ります。近江塩津駅で北陸線に乗り換えて米原に戻るんですが、きっと連絡しとるだろうと乗り込みます。

 窓に広がるのは琵琶湖です。どこまで行っても琵琶湖、日本一の琵琶湖。童心に帰って美しい琵琶湖に感動しました。一時間後に近江今津駅に着きました。なんせ普通電車ですから時間がかかるんですね。その分楽しめますから嬉しい限りでした。1425 1404_2 1415

 すぐに連絡していると思ったのに、30分後の快速しかありません。どうしましょうか。美しい琵琶湖・水際まで行ってみました。琵琶湖周航の歌関連の建物があります。いつの間にか加藤登紀子を思い出し、琵琶湖周航の歌を口ずさんでいました。

 近江今津駅に戻って、快速に乗ります。4つ目の駅が近江塩津駅になります。近江今津駅発 15:46 → 近江塩津駅着 16:05 その間も琵琶湖はきれいでした。近江塩津駅では快速電車がすでに待っていました。1421_2

 近江塩津駅発 16:08 余呉・木ノ本・高月・河毛・姫虎・長浜と走って行きます。琵琶湖はそこにあるんですがあまり見えません。長浜城・長浜鉄道スクエアの横を通り米原へ向かいます。夕陽が湖に反射してきれいでした。」16時47分米原到着。琵琶湖一周は終わりです。山科を立って2時間半・・・もう少し短時間で回れると思っていました。でも、琵琶湖が美しかったので良しとします。 

母からの電話

 母親から久しぶりに電話があった。5日がよだきぼの誕生日だったからです。母の電話は近況報告から始まります。

「○○さんとこのAちゃんにおとこんこがうまれたよ。おおきなこじゃったわ」母

「そうね そりゃいかったね」 私

「どこどこのなにさんが、しにゃったよ」母

「あのおじさんは年はいくつじゃったつね」私

こんなことから始まります。亡くなったというのはちょっと寂しいですね。母にとっては一大事なことなのでしょう。ふるさとを長く離れていると、時々話が見えないときもあります。

 先日は、足の不自由な人のための靴屋さんの話でした。NHKのテレビで放送された、神戸市の靴のマイスター、中井松幸さん テレビを見てすぐに予約の電話したようです。一足30万円もするんですが、取り掛かってもらえるのが一年先になるそうです。

 誰の靴かというと、弟の靴です。弟は歩き始めた一歳すぎに突然小児マヒで歩けなくなったのです。それからの母は、弟のためにいろんなことをしました。宮崎県立病院で手術を繰り返し受けさせました。整肢学園で装具をつけて歩く練習をさせました。弟だけは家に帰ってこなかったので入院してのリハビリだったのでしょうか。

 そんなにして治療できることは何でもしてきたのです。左足は細くって完全ではありませんが、普通の車の免許も取れたし、自分の足で歩いているし、会社員で仕事もしていますから、弟も不満はないと思います。いまさらどうするのって思いました。悪いなりに筋肉や骨など固まっているだろうから・・・・。真っ直ぐに立てたとしても大変な苦労が待っているんじゃないかと心配です。

 母は違っていました。足に合ったその靴を履いて 弟が走るのが見たいんだ そうです。

ハワイからの写真!!

 7月から8月の始め頃にコメントをいただいた、from hawaii kainalu さんからハワイの写真が届きました。47204692

 

部屋の中に自転車が入るほど大きいんですね。これがアメリカなんでしょうか。日本から一歩も外に出たことがないのでわかりませんが・・・。4665 4804

旧開智学校 (松本)

 松本城で雨宿りを楽しんだ後は、博物館へ行きます・・・が雨宿りで思わぬ時間が取られたので、見るのもそこそこに次の旧開智学校へ向かいます。お城を左周りに行くことを教えられた私たちは、平成11年に復元された太鼓門へ。その手前に、明治13年(1880)6月、明治天皇が松本地方へご巡幸されたという記念碑?がありました。

 途中、松本神社を通りましたが、道路を分ける巨樹が歴史の古さを伝えていました。この巨樹は切る人もなくずっとここに残るんだろうなぁと思いました。祟りは恐ろしいでしょうから。神社の周りには大きな木がたくさんありました。

 1253 神社を北に曲がっていくと現在の開智小学校が見えてきました。なんとなんと素敵な学校でしょう。子供らが羨ましくなりました。小学校を回って行った所が、重要文化財の旧開智学校です。詳しい説明はこちらから。1263

 建物の美しさに圧倒されます。東京の明治の建築などを熱心に研究した、建築家のことが詳しく表示してありました。凄い人はいるものですね。

 中でも感動したのは最初に入った教室です。タイムスリップするような感覚。着物姿の子供らが見えそうでした。1264

 ここには明治天皇が休憩された部屋がありました。(宮崎は高鍋秋月藩主の弟の秋月種樹が明治天皇の家庭教師だったと分かってから、明治天皇に親しみを持っています。)明治天皇は皇后と狭いこの部屋で休まれたのかと思うと、ちょっと気の毒なような気がしました。皆に見られていては欠伸も出来なかっただろうと思ってしまいました。(笑)1266

 明治村のようにボランティアさんが説明してくれるともっと感慨深くなるだろうにと思いました。1259

 松本城を通って駅に向かいます。道路沿いの道祖神らしきものが、心豊かにしてくれます。お土産を買っている間も無いほど、時間を有効に使い、中津川行き普通電車に乗りました。1283

 実に楽しかったです。友達はどこを見て、俳句をひねったんだろうか。友達の趣味が羨ましくなる旅でした。

国宝 松本城!

 5日朝、最寄の笠寺駅を8時32分発の電車が遅れている。接続が心配、松本に日帰りするのには、この電車で接続するしかないのです、金山駅に5分遅れで到着する。金山駅で快速中津川行きに乗ることが出来ました。ホッ・・・。金山の次は、岐阜県中津川駅で普通列車に乗り換えれば松本が終点駅になります。

 笠寺駅で乗車して松本駅までの所要時間は3時間57分(実際に乗っている時間は210分)、移動距離は190.7km(駅から時刻表による)料金は3.260円。お得な青春18きっぷは運賃3260円×2を → 2300円で行けるのです。

 乗車時間が気になると乗れませんが、鉄子?は大丈夫です、レールの音・車内放送・車窓を流れる景色などなど楽しみはたくさんあります。

 松本城にたどり着いたところで雨に降られる。急いで入城する。観覧料は博物館込みで600円。1200

  松本城は全体が黒いので、別名カラス城とも呼ばれています。姫路城は白くて美しいので白鷺城と呼ばれていますが、対照的でしたね。雨が予定より早く降りだしたので、係りの人も慌ててテントを張っていました。乾(いぬい)小天守から入って、天守まで登ります。太ーい柱がたくさん有ったので地震に強かったんだなぁと思いました。松本城は築412年になるそうです。1210 

 最大の難所は4階から5階に登る階段です。現存する城の階段はどこも急ですが、傾斜が61度もあり、段差は一番低くて33cm、他35cmなど幅を変えてあるそうで、登るのも降りるの怖いです。雨の中手すりが一部濡れていて、持つ手が滑りそうで怖かったです。

 天守には天井中央に、二十六夜神という松本城を守る神様が祀ってあります。1209_2 姫路もそうでした。素朴でいいですね。天守にはたくさんの人が雨宿り?してました。外人さんを案内していた人が、晴れた日の城から見えるアルプスの写真を提示しておられたので話を聞きました。名古屋からご主人の転勤で松本へ、外人さん向けのボランティアをされているそうです。常念岳やアルプス山脈の写真は美しかったですよ。

 雨が小降りになったので階段を下りるのですがこれは怖かったですね。窓から濠に浮かぶ二羽の白鳥は、彦根城から来た、ひこちゃんだそうです。どっちがひこちゃん?松本城400年祭のマスコットは 夢丸だそうです。1274 1240 1242 1227

 感激した時のブログは長ーくなります。(笑)次回は明治の洋風建築 重文になっている、旧開智学校です。

国宝松本城で雨宿り・・・

 JRの青春18きっぷで、長野県は国宝松本城に行ってきました。これで、現存するお城を制覇。姫路・彦根・犬山そして松本と。感慨深いです。

 松本市に着くまでは、西はいい天気だったのに、いざ松本城に入る頃には大雨が振り出す。なんとも贅沢に、松本城の天守閣で雨宿りでした。

お疲れで、眠いので続きは明日にしてもいいですか・・・?

申しわけありません。(-_-)zzz モウダメーーー おやすみなさい!!

石彫展 鈴木登三信・力弥

 暑さがぶり返した暑い一日、気温は33度の予報。新聞で案内を見た 石彫展 鈴木登三信・力弥 に出かける。市バス一本で行く栄は、丸善名古屋栄店。

 4階がギャラリーです。道ばたのお地蔵さんのような色合いで何とも懐かしい感じがします。親子で創作されているそうです。お父さんが出かけると息子さんの力弥氏が制作されるとか。息子さんは背の高い好青年でしたよ。今回若い人だから声をかけたわけではありません。(念のため・・・若い人は好きですけどね・・・(笑))登三信氏は奥の方で商談中のようでした。

 Kaki一目で癒されます。ねこ・ラッコ・たぬき・河童・ふくろうなど。ちょっとおしゃれな燈籠も。力弥氏は私ともう1人に説明してくれました。二人で質問攻めにしましたが丁寧に答えてくださいましたよ。2ヶ月かかって彫ったという大作もありました。岡崎市在住の彫刻家さんでした。ご家族が皆、石彫をして見えるそうです。おじいさんも・・・・。路傍のお地蔵さんみたいな色合いをだすのも時間がかかるそうです。

 案内の葉書は、象形文字の鳥が二つ並んでいます。花器といってもいいのかな。上には三角に水が張ってあり、野バラが挿してあります。会場は照明の関係でこんな色ではなかったですがいい物を拝見しました。これまで見てきた作家さんの作品とは一味違っていました。

 写真撮影は許していただきましたが、個人で楽しんでくださいということだったんですよ。どうしよう!!どれほど癒されたか・・・内緒で一枚だけ・・・。宣伝になるとうれしいなぁと思いつつ・・・。1140

会期は明日、9月5日午後4時まで。丸善名古屋栄店です。

 ほとんどの作品が、お米10キロより少し思いだけですよと。猫を抱かせてもらいました。ずっしり来ますが、持てないことはなかったです。石彫は撫でたり出来るのがいいなぁと、また思いました。

鉄チャン息子のお土産写真!松本城

 撮るのも、乗るのも大好きな鉄チャン息子は8月31日から昨日まで 青春18きっぷ プラスの旅に行っていました。一日目は松本から新潟。お土産写真は 国宝松本城。9022 9033

宮崎でしか買えない そのまんまきっぷ

 宮崎でしか買えないJR「そのまんまきっぷ」 (2007年08月24日19時26分 asahi.comより)

 東国原知事にあやかった、名前もそのまんまきっぷ が発売されたらしい。郵送でと思ってもしてくれないんだとか。宮崎の駅に来てよってことらしい。発売されるのは、

宮崎、延岡、日向市、都城、日南の各駅発で160~220円の乗車券。神楽の衣装やアロハシャツ姿の知事のイラスト、観光地の紹介などをあしらった。 中略 5駅に南宮崎、宮崎空港を加えた7駅のみで扱う。

 特急電車が止まるのに高鍋駅は発売しないんだ。宮崎県三番目の美術館のある高鍋町なのに・・・。観光宮崎のPR作戦のひとつかな。でも、1000組だけじゃ足りないんじゃないのかな。ネーミングはよく分かるが・・・知事におんぶにだっこ。知事が望んでいることだからいいけどね。宮崎県では、経済連と共同で 宮崎のCMを作ったらしい。新そのまんま日記から どんなんかな?美味しい野菜の詰まった宮崎JAのCMなら見たけどね。

この記事は公開日時を指定してみました。試しに夜中の設定になっていますが、起きてはいませんので悪しからず・・・。(-_-)zzz

猫の友達は・・・犬?

 今日から9月。心なし青空が高くなったような。月が青空にくっきりきれいだった。一日中パソコンの前。もう少しというところまでCAD図面が出来る。慣れないことってとても疲れる。

 撮鉄息子は昨日からお出かけ中。今日は新潟から長野へ向かったはず。メールも来ないがもう時期帰るだろう。雨に降られたかも。名古屋は久しぶりのいい天気。気温も30度を超えただろう。直射日光は暑かった。写真は猫と犬。  ご近所の犬マシューは猫のYukiが好きらしい?犬に好かれてもね・・・ 8820

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