« 落ち葉 | トップページ | 早稲田は強かった! »

歴史ブログ

  “膏肓記”が閲覧できるようになっていた。新しい情報はまだなかった。
やっと見れるようになってよかった。薩摩藩や西郷など薩摩藩士にも詳しい。

 宮崎と鹿児島はお隣同志です。西南の役などかかわった人物の墓などもたくさん宮崎の日向市にはあるようです。

 最近気になっているのは、「黒田の家臣」と呼ばれる墓のこと。1862年(文久2年)の寺田屋事件で、捕えられ、薩摩に護送される途中で、細島港外の高島で惨殺された海部宮門・千葉郁太郎・中村主計の三人。

 何故・誰に惨殺されたんだろうか?“膏盲記”に情報があると嬉しいが・・・。

参考資料 宮崎県の歴史散歩 宮崎県高等学校社会科研究会歴史部会 山川出版社

« 落ち葉 | トップページ | 早稲田は強かった! »

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

歴史 」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。

昨年のエントリーにコメントして申しわけありません。
私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

細島港で殺害された3人ですが、いずれも田中河内介(公家の中山家家来、但馬出身)の関係者です。寺田屋事件で説諭に応じた関係者は船で薩摩に護送されることになりましたが、浪士の首謀者と目された田中は船中で殺害され、遺骸は海に投げ捨てられ、たしか小豆島あたりに漂着したと思います。

その3人は細島に着いてから殺害されました。
殺害を直接命じたのは島津久光の側近の中山中左衛門だといわれていますが、最高命令を出したのは久光その人で、「船中ならどのようにでも取り計らえ」という指示を出しています。中山はこの久光の命によって実行させたわけですね。

この件は私も個人的に興味あり、南日本新聞の連載コラムは写真が必要なもので、細島の三人の墓の写真をもっていないため、なかなか書けそうもありません。

よかったら、私の連載もご覧下さい。

http://373news.com/_bunka/jikokushi/index.php

桐野作人様
はじめまして!

コメントをいただき、とっても驚きました。
何度も読み直しました。
尊敬する若き歴史研究者のお一人にコメントをいただけるとは思ってもみませんでした。
ありがとうございます。

高鍋町で保存されている黒水家住宅で、西南戦争の資料の中に桐野利秋の名前を見た時くらい驚きました。

コメントをいただき真実は分かりましたが、何故、久光はそのようなことを言ったのか、疑問が増えました。困りますね・・・歴史の真実は奥が深くて・・・芋づる式に疑問が疑問を生むのですね。

寺田屋の見学会に参加した時、大黒寺に寺田屋事件で亡くなった薩摩藩士のお墓を見に行き、西郷隆盛が名前を書いているのに感動しました。西郷にとっては大事な藩士なのに、何故、藩主にとっては厄介者になってしまうのでしょうか?
????(@_@;)

薩摩人国記ももちろん読んでおります。姶良町歴史民俗資料館発刊のの島津義弘の本も取り寄せました。情報ありがとうございました。

桐野さんのこれからのご活躍楽しみにしております。

管理人さん、こんばんは。

久光は尊攘派、とくに浪士の藩の枠を超えた活動が大嫌いでした。しかも、感情的な問題だけでなく、薩摩藩の政治活動の阻害物だという認識でした。
だから、捕縛した浪士は処分してしまえとなったのでしょうね。これがまだ所属のはっきりしている他藩士だったら、そうはならなかったと思いますが。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 落ち葉 | トップページ | 早稲田は強かった! »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

ブログパーツ,com

鉄道写真館

  • 0604081
    撮り鉄と乗り鉄の写真館へようこそ!
無料ブログはココログ

掛川花鳥園

  • 2
    掛川花鳥園 2006年4月4日快晴