薔薇の手入れと「篤姫」
昨日の昼間は日差しがあって過ごしやすかったので、薔薇の植え換えと剪定をした。銀世界とミニバラと、古い枝や小さい枝はカットし、3分の1くらいに切り詰めた。根元には完熟した牛フンをたっぷりと入れた。
新参者の、のら猫も昼寝をしていた。といっても、サビ色猫は鈴をつけている。家に帰ったらと言ってみるが朝にはまた来てる。もう一匹は真っ黒でどちらも人によーく慣れている。きっと飼い猫だろうに・・・。おうちを忘れたの・・・。
今日は昨日と違って寒い。夕方になって益々冷えてきた。明日は小雪がちらつく・・・と天気予報で言っている。…llllll(-_-;)llllllォ-寒~
先週は「篤姫」を見逃したので、再放送を見た。面白いが現代風な幕末になっている。物をはっきり言う女性がいる。これは.ドラマと割り切って見ることにしようか。財政ピンチの薩摩藩・・・。この時代は江戸への参勤交代や請負事業などでお金が必要で、どこの藩も貧乏・・・。それが徳川幕府の政策。
薩摩藩は、東海地方にも縁が深い。宝暦治水が薩摩藩が行った難工事。
江戸時代の宝暦年間(1754年(宝暦4年)2月から1755年(宝暦5年)5月)、幕命により薩摩藩が行った治水工事。濃尾平野の治水対策で、木曽川、長良川、揖斐川の分流工事。三川分流治水ともいう。
木曽川・長良川・揖斐川の3河川は濃尾平野を貫流し、下流の川底が高いことに加え、三川が複雑に合流・分流を繰り返す地形であることからしばしば洪水を引き起こしていた。
1753年(宝暦3年)12月28日、正式に第九代将軍徳川家重は薩摩藩主島津重年に御手伝請負という形で川普請工事を命じ、翌年1754年(宝暦4年)1月16日薩摩藩は家老の平田靭負に総奉行、大目付伊集院十蔵を副奉行に任命し、藩士を現地に派遣して工事にあたらせた。 幕府が工事を命じた背景には、薩摩藩の財政弱体化を目的としたものであった。
徳川幕府の政策は、武士も農民も苦しめた。上杉鷹山を読んだので、ついこんなことを考えてしまう。
明日の「篤姫」も楽しみ・・・。先日コメントをいただいた桐野作人氏のブログを読むと余計に面白い。
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今回の篤姫は欠かさずにたのしんでいます
薩摩藩の財源は琉球の搾取と密貿易であった
様ですが 幕府の政策による宝暦宝暦治水
も資金と人をつぎ込まないと完成しなかった
難工事だった 天璋院と治水工事はそのとき
歴史は動いた で見ましたので余計にドラマの
展開がたのしみです
投稿: あきみず | 2008年2月 3日 (日) 11時05分
篤姫今日も、もうすぐ始まりますね。
薩摩藩の宝暦治水工事は難工事で、自殺する人がたくさんあったそうです。
平田靭負は責任を取って自殺しようにも、お家断絶を恐れてそれも出来なかったと・・・。
「その時歴史は動いた」 でも 放送されましたね。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2005_06.html#01
家康も非情な人だと思いますが、「その時歴史が動いた」が、事実なら徳川幕府も何を考えているのか・・・人を人とも思わないんですね。
投稿: あきみずさんへ | 2008年2月 3日 (日) 19時46分