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白亜三層の天守

 伊賀上野城は白亜三層で白鳳城とも呼ばれ、端麗な姿を見せている。天正13(1585)年伊賀の国を領した筒井定次が三層の天守を築き、北に表門を構えた。豊臣秀吉の没後、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち、豊臣政権の継承者としての地位を確立するに及んで慶長13(1608)年、定次を失政を理由に改易、藤堂高虎が伊賀・伊勢の城主として伊予今治から移り、自ら縄張りを指図、本丸を30mの高石垣で囲み、筒井古城を大拡張した、しかし竣工直前の五層大天守は、慶長17(1612)年9月2日の暴風雨で倒壊、そのうち大坂夏の陣で豊臣方が滅亡したので城請負は中止され、城大家老が執政することになった。 (伊賀上野城のパンフより)

 お花見をしている皆の間を抜けて、500円の入場料を払ってお城に登ります。木造の急な階段が復元されたものであるのを忘れさせます。基礎知識として復元されたものだと知っていたのですが、本物だったっけと思いました。

 伊賀上野城のパンフには

川崎克氏は、天守復興を計画、鉄筋コンクリート様式でと進言する者があったが、城は桃山形式の木造建築とし、昭和7年10月14日に地鎮祭を執行して復興工事に着手した。とありました。ー 中略 ー 昭和10年10月8日に完成した。

 素晴らしい人はいるものです。それに戦災の被害も受けずによく残っていると思いました。復元された天守の三階の天井の絵が見事です。天守閣の完成を祝って有名人の大色紙だそうです。横山大観の月の絵や川合玉堂の棕櫚の木?などたくさんの絵があります。Dsc04431

 天守から見える景色はそれなりに楽しめますが、絶景とは言えないと思いましたが・・・。天守から高石垣は見えませんからね。ボランティアガイドさんがみえるといいのですが・・・。忍者がいっぱいいました。忍者フェスタは5月6日まで。

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コメント

 もう、何年前になるでしょうか、やはり桜の頃に行きました。近くのディサービスのお年寄りだったのでしょうか、お花見をされてました。そういえば、復元だったのですね。木造の階段が急だったから、すっかり本物と思ってました。あの頃はボランティアガイドさん、みえたような気がしますが・・・。記憶違いかな?近くに茶店みたいのがあって、忍者うどんというのがありました。普通、うどんの上に具がのってますよね。それが反対になってるんです。つまり、具の上にうどんがのっていて、隠れているというわけで・・・。忍者屋敷もありますよね。いろいろおもしろい仕掛けがありました。その一つ、床に刀が隠してあり、どこかを叩くと、刀が出てくるというものでした。その仕掛けを姪に話したところ、「そんなの、危ないじゃん」と言うので、???と思っていたら、姪はすぐ使えるよう、抜き身で隠してあると思ったそうで・・・。説明が悪いのか、ちゃんと聞いてないのか・・・。その頃、姪は小学6年生でした。大笑いしましたっけ。

木造の天守・・本物みたいでした。降りるとき階段が怖いくらいでした。
忍者うどん食べたいです。忍者屋敷も芭蕉も見てないので伊賀上野に宿題をいっぱい残してきた感じです。〔笑)また行きたいなあ。

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