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邪馬台国は畿内説だった・・・

 古代遊学会主催の、古代史市民セミナーのトップバッターは、坂本Ryuitiを思わせる講師だった。(^-^)

 今日の主役は、S字甕ですと、甕の話が始まった。S字状 口縁 台付甕 (えすじじょうこうえんだいつきがめ)は、とても高度な技術で作られた土器なのだそうで、再現しようと陶芸家に依頼したら、ろくろを使ってもかなり大変だと言われたが、弥生時代にろくろはありませんから、紐を積み上げていく方法でとお願いされたけど無理だったそうです。

 甕は魚や野菜の煮炊きをするのに使ったものだそうです。特徴は口の部分にふたが乗るようになっている。つまり、口縁部を切ると、口の形がS字上になっていて、木ブタを受ける引っかかりがある。体部は、とても薄く、1mm、薄いので軽いそうです。足が付いていて、脚部・脚台部と呼ぶそうです。

 一番面白かったのはこれ。黥面文身を好む社会だったと、この文様をドラえもんでも描くようにすらすらと描いていかれた。少数民族の顔に描く化粧みたい。Dsc05024_3

 S字甕に見られる砂粒。これが重要なんだそうです。出雲川にあるザクロ石が混じっているのだそうです。このあたりにザクロ石の出るところは他にもあるけど、出雲川・中村川のザクロ石がS字甕に混和しているって。

 何故この出雲川までザクロ石を取りに来たのか、疑問に思われて実際に歩かれたそうです。100キロの道のりを二日間もかけて。二日もかけて石を取りに来るには、約束事が出来ていたのではないかと。つまり、上で号令をかける人の存在があった。これこそ、狗奴国(くなこく)が東海にあったと・・・。近畿地方に邪馬台国があって、隣の一宮市あたりに中心地があったのではないかと、学問的な手順を踏んだ上で狗奴國を東海地域に求めたいと考えています・・・と。

 邪馬台国南九州説の大きな証拠が発見されるのを期待しているんだが・・・。最近不利だな。 

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