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2008年5月11日 (日)

坂本龍馬とオランダ商人

 昨日の朝、古代遊学会の代表から電話があった。古代史市民セミナーで発表するのに、龍馬はオランダ商人に会ったことがあるか という質問だった。そんな話題は講座では聞いたことないなと思う。友達も聞いたことないと言うし・・・。

 古代史と幕末の龍馬の関係が分からないが、龍馬のことは私にと・・・思われたらしい。光栄なことだと思うべきか・・・な。

 でもなぁ…私の龍馬像は有る時から崩れだして、精彩を欠き始めている。辛いことになっている。司馬遼の『竜馬がゆく』のヒーロー竜馬に戻りたいと思っている。叶わぬが。

 資料から見えてくる龍馬は思っていたとおりではなくて、薩長同盟?の時も居合わせただけらしい。司馬遼によって、ヒーローに作られているだけで本当は悲しい、あるいは哀しい人が見えてくる。

 人間誰しも、思い通りに生きているわけではないが、一度司馬遼太郎によって光を与えられ、華々しくヒーローになった龍馬。(司馬遼は龍馬と書かずに竜馬とかき分けているらしいが・・・)だけれど、真実の龍馬像に迫る歴史学者の目は厳しい。『竜馬がゆく』が書かれた当時は分からなかったことが次第にはっきりしてきている。

 思いは複雑だが、それは置いといて、龍馬がオランダ商人にあったかどうか。調べている。

 当時有名な、死の商人と呼ばれたグラバーはイギリス人。1865年慶応元年10月18日にグラバーから汽船ユニオン号を購入し、桜島丸とする。と見つけるがこのとき龍馬は山口にある。その後もグラバーからゲーベル小銃7300挺買っているがこのときも龍馬ではなく、のちに龍馬の養子になる高松太郎が交渉しているようだ。

オランダ人ね・・・1799年から1817年まで長崎の出島のオランダ屋敷にいたオランダ人でHendrick Doeff(ヘンドリック・ドエッフ)がいるらしいがこの人は商人ではなくて、貿易官吏だという。

 東京大学維新史料編纂所にないだろうか。

慶応3年9月14日高知藩海援隊隊長坂本龍馬、長崎に於て蘭商ハットマン商社よりライフル銃千三百挺「一万八千七十五両」を購入す。尋で、其中千挺を広島藩汽船震天丸を借り、廻送して帰藩す。「十八日、長崎を発し、二十四日、高知に著す。」とあった。

 これが古代遊学会代表が知りたいことだろう。とりあえずこれでおしまい。慣れないことをするのはたいへんだ。

 今回開いた本。『坂本龍馬と明治維新』 アリマス・B・ジャンセン 平尾道雄 浜田亀吉訳 時事通信社  『坂本龍馬進化論』 菊池明著 新人物往来社刊  『検証・龍馬伝説』 松浦玲著 論創社刊  『坂本龍馬と海援隊』 坂本藤良著 講談社文庫  『坂本龍馬』 池田敬正著 中公新書刊  『龍馬の手紙』 宮地佐一郎著 講談社学術文庫刊

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コメント

こんばんは。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は確かに坂本龍馬のヒーロー的イメージを確立しましたね。
大学時代、京都国立博物館で暗殺された京都の近江屋にあった血しぶきがついた掛け軸を見た記憶があります。
龍馬の人気は、司馬遼太郎さんの作品だけではなく、乙女姉さんに残した多くの手紙や当時は貴重だった自身の写真が史料として多く残されているからだと勝手に考えています。

龍馬の血染めの屏風は、芸術品 つまり 絵画として保存されていたので中々龍馬関係の資料ではなかったと聞きました。
見つかった最初のころに展示された時は血の色が鮮明だったとも聞きます。

龍馬の資料として最も大事なものに手紙がありますね。京博の展示で龍馬の踊るような文字を見ました。感動ものです。

龍馬の人気はそうかもしれません。手紙でわかる真実は凄いものがありますね。

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