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講演と佐和山城下町散策

昨日の講演と散策は太田浩司氏の『近江が生んだ知将 石田三成』の出版を記念したものだった。Dsc08574

話したいこともたくさんあるし、散策したい場所も多すぎて、講演と散策が終わりになるのは午後4時終了の予定が5時半になるかもしれないと時間を気にして話された。途中熱が入って詳しく話しそうになっては時間を気にされて軌道修正されること度々。

石田三成と佐和山城下町

はじめに

1 石田三成の生涯

2 佐和山城の歴史

3 佐和山城と城下町についての文献

4 佐和山城下町復元
  ① 城下町 街佐和山東麓説と西麓説
  ② 古地図・地籍図を使った復元

5 スライドショー
  ①佐和山城郭城部分
  ②佐和山城下町部分

主なのは、三成年表と佐和山城をめぐる攻防

  ①佐和山城郭

  ②佐和山城下町部分

避けて通れないのが、佐和山城の歴史と 佐和山城の攻防。

佐和山城に三成が城主としていたのは、天正19年4月豊臣直轄領代官として佐和山城主となる。この時三成32歳。

慶長5年9月15日、西軍を率い、関ヶ原で徳川家康が率いる東軍と戦うが敗戦。三成は伊吹山中に逃走する。

9月17日佐和山城が落ち、父・正継や兄・正澄ら一族自刃する。

9月2日、近江国伊香郡古橋村にて、田中吉政の手で捕らえられる。

10月1日、小西行長・安国寺恵瓊と共に、京六条河原で処刑される。

三成は、西暦1600年、41歳で処刑される。この間が約10年。

佐和山城攻防の中で、信長の城になったことは興味深い。岐阜公園で発掘中の信長居館跡の調査はゆっくり進んでいるようだ。が、居館に住んでいる間に、元亀4年には、犬上山中の材木を佐和山城山麓の松原に運ばせ、大船を建造させたりと、安土城が出来る天正4年までに信長が佐和山城に宿泊すること10回。そうかそうか、信長は佐和山に来たのか。(^^♪

太田氏は城の役割が変わったことも話された。
 1は大名の居城・・・ 2は城付き大名の居場所に。3は政調の場になってい行くと・・。なるほど、城の立場がだんだんと重要になっていくのかと面白い。

関ヶ原で東軍に寝返った、小早川秀秋。三成を捉えた田中吉政が、佐和山城を攻め上がった場所など明日報告します。090321oota1  

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