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故郷の風景

昨日 ど真ん中祭りの鳴海会場から帰って(帰りは一時間に一本しかないバスで・・・それも10分以上遅れてた)、あーぁ 暑かったなぁと思っている頃にメールが届いた。

めろんさんから どーこだ! という写メールでした。

それはこの写真。わかりますか?

Photo
高校の同窓の人ならわかるかもですね。

石河内を見下ろす展望台から見た、武者小路実篤が妻房子と作った理想郷、日向新しき村です。

日向新しき村のことを武者小路実篤は『土地』に書いています。

後ろの山が霞んでいい感じです。

☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

武者小路に新しき村を案内したのが、津江市作氏です。当時の村長だったかな。101歳?まで生きた津江市作氏は村葬になりました。当時は小・中学校の間に講堂がありそこでの葬儀だったと思います。学校に行く時に横を通った記憶がありますから。

津江市作氏の思い出を彫刻家の田中等氏がこちらに書いています。こんなこともあったかもしれませんね。土葬だった昔は、新しく墓穴を掘ったら、遺骨が出たという話はよくありました。

取りとめが無くなってきましたが、土葬だったころは、埋葬した後に棺桶が腐って地面が落ち込むのですぐに墓石を建てることはなく、木でつくった祠のようなものを作って置いてあった。中には金銀の色紙などきれいだった。

今では火葬になったので、墓石も一家で一個になって骨を納めるようになったようだ。先年亡くなった父親は、墓石もなくお寺に収められている。今は直接お寺で供養するようになって来ているらしく、父親と同じ時期に亡くなった、従兄もお寺で眠っている。

☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

めろんさんには、西都原古墳群の写真をお願いしてあるんですが、趣味でないのか中々届きません。(笑)

めろんさん、ふるさと情報ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

PS 日向人さんはまだ行ったことがないそうですが、現国のsasayama先生がいっつも言ってたね。 あー たまらんあなぁ と!その石碑をメロンさんが送ってくれました。

また こっぱずかしいと言うかな、メロンさん!

Image1036

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故郷」カテゴリの記事

コメント

おとといの写真が全国版に載っている。こっぱずかしい。・・・ 
暇だよな メロンも 田中先生が日向にガラス作家がいるよって いうからネットで探しあてた金ケ浜の製作工房にいったら、「昔そんな人いたなー」
なんて  切り替えが早いのはメロンの特技 退職後の川のせせらぎが聞こえる別荘兼工房用のただの? 土地を物色しようと石河内にまわっったが、深い渓谷で むづかしい 待てよ 水墨画的生き方なら それもアリか。
写真の真ん中の突き出たところは日向四十八城の一つ石城と言うそうな。知らなかった。行ってよかった。

展望台は高校生のころバイクで来た記憶があるから、かれこれ40年まえか。 そういえば記憶の中の九十九折の山道はずっと展望がよく あかるかった。 そうか40年か(*^-^)

南国の8月に秋の気配がアルカ^
西都原は妻が邪馬台国であることが確定したとき 記念写真を送ります。

退職後の川のせせらぎが聞こえる別荘兼工房って何!優雅だわね。メロンさんはご自分では何か制作されるんですか?

石城も難攻不落だったような気がする。実篤の『土地』の中にも書いてあったかな。遠い昔の記憶をたどるのは大変!

残念ながらまだ行ったことが無いのです。
高校の時現国の先生からよく話を聞きましたよね。
(山と山が賛嘆しあうように 人と人が・・・) そんな話を 
いつか行きたいと思っていましたが未だ実行していません。
すっかり時が経ってしまいました。

バイクで高校生の時・・って。40年も昔に行ったきりだったってこと。そりゃ 懐かしかったでしょうね。
でもさ・・・高鍋に在住でバイクの免許って取れたっけ。よだきぼは車の免許証を高鍋署に取りに行くのにうっかり、外出許可をもらいに行ったら 先生に怒られた・・・免許取り上げはなかったけどね。

崖から転がりそうな九十九折の山道は今は舗装してあるからよかったでしょ。

西都原は妻が邪馬台国であることが確定したとき ?? 今の考古学者は大半が畿内説だぁよ。古代遊学会の代表は九州説。だからついて行ける。

誰かはっきりした証拠を見つける日が来るかな。weep

今朝の宿題coldsweats01

若いころ司馬小説を読んでて、不思議だったこと一編 西郷どんが僧月照?と日向送りを悲観して、錦江湾に入水する。 不思議だった なんで国外追放で自殺せにゃならんのか。  

ハイ 今朝の宿題

西郷どんが日向送りで入水・・・西郷だけが命拾いしたあれですね。
西郷どんは不思議なお人ですよね。入水した相手は男でしょ!??? 
明治新政府から2千円の給料をもらって使い道がないからと、犬にウナギのかば焼きを食べさせたり・・・それも一匹でなくて何匹もいたとか・・・
司馬遼も、『竜馬がゆく』の中にも書いているけど・・小さくたたけば小さく。大きくたたけば大きく響くとかって・・

宿題の答え
日向送りは 建前で 実は 僧月照を殺すためだったとかって書いてあるものがあったけど・・さっぱりわからん!

じつはね コレ 連想ゲーム
「ここが石城のあとだったのか。」とその昔(4日前の日曜)感激することがあった。 そのついでに思い出したのが、ちょっと昔国道を南下すると野尻という町がある。 そうメロンで有名な町(めろんさんは野尻出身だからメロンではありません。誤解しないで、) 「誰が誤解するか」・・・今朝は少々精神分裂ギミ・・・  そこを走ると運転する視界の右上の山の中に 戸崎城 というでっかい立て札が見える。そういう経緯で日向四十八城に感慨を持った。なんせ伊東がなければ中世の日向史はないのだから                  続く

週中の早朝からこんなコメントを読むあなたは不幸
ところでその隣の町に高岡という町がある。ここまでが鹿児島島津領だったゲナ。 そこに去川(サルカワ)の関という遺構がある。固有名詞だけは昔から知ってたけど、それはきびしい関所だったそうな。   ということで島津のお国で【日向送り】という言葉は 罪人を国外追放する意味にとどまらず、罪人がその関を通過したところで薩摩の武士になぶり撲殺されることを意味してたんだソウナ。それを悲観したんだね二人は。
 尻滅裂でした。 ソウソウ(めろんは可愛い可愛い愛犬の名を借用してます)

今日はいろんな人に会ったり、たくさんの絵を見たので よだきぼの脳みその許容量の限界を超えてしまいました。
よって・・・歴史の問題は興味が尽きないけどまた明日。
明日はテニスの日だから、もしかしたら体が許容量をオーバーしてお疲れかも・・・
西郷はじっくり考えてみます。それにしても、龍馬暗殺の黒幕説だったら面白かったのに、どうも 黒幕ではなかったらしいし・・・。
それにしても西郷どんは男の友情だったのか、入水まで決断するとは????

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