歴史散歩

戦国時代の犬山城

犬山城です。つい先ごろまで、成瀬家の個人所有の珍しいお城でした。今は犬山市が管理しているはずです。

七五三の人やお天気に誘われたのか若い人も多かったですね。駐車場も満杯で犬山ホテルの駐車場に車を止めて歩きました。上り坂です。ふーっ・・

入場料は500円ですが、入口のところで貰った地図を提示すると100円引きになりました。犬山城で最初に驚いたのが 飫肥杉のベンチです。日南市のプレートつきでした。きっと姉妹都市なのでしょう・・・

犬山城は戦国時代の城だというのを実感する山城です。上りがきつい!階段は真上に伸びるような45度の急な角度です。上れるかかなと心配になるほどで怖かったです。階段の写真を撮りたかったけど人が多くて断念。若い歴女・歴男が多かったです。

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Dsc00880Dsc00884 天守閣の眺めがいいですね。自然の堀の木曽川。眼下に広がる街並み。天主の欄干はさわると危険のようです。廊下が外に向かって下がっているので怖かったです。

お城を下りて紅葉と野面積みの石垣鑑賞。石垣が二段になっていて下のほうは苔むしていましたが城を直接支える石垣は400年もたっているとは思えませんでしたね。石の色が時の流れを感じさせません。教頭先生も感心しきり・・・教頭先生は親しみやすい、話しやすいお方でした。生徒たちの前でもこんなんかしら・・・。

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お抹茶をいただきながら栗崎会長とお話しました。時間はあっという間に過ぎました。急いで車に戻りました。もっと ゆっくり来たいなぁと思いました。

車が渋滞する中犬山駅に向かいました。高校が同じというだけでこんなに心が開けるのですから最高の仲間です。今度は花園の高校ラグビー大会でお会いできると嬉しいです。

会を支える先輩の皆様方有難うございました。

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信長の城 岐阜城へ

同窓会2日目。岐阜駅に行くと朝日を浴びた信長像がまぶしかったです。そのせいでもありませんがピントが合っていませんね。

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15名でまずは岐阜市は金華山の頂上に建つ岐阜城から。幹事長は自分の足で登ることもあるとか。凄い!ケーブルカーに乗って行きます。往復1050円だったような。乗る時も降りる時もゴンドラが揺れていて気持ち悪・・・

ゴンドラを降りると坂道を登って天守閣へ。本当に信長はここに来たんだろうか?来たとしてもいったい何回上ったことがあるのかなと思えるほど急な坂です。途中にお城がよく見える場所があります。

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山の上から望む長良川に鵜飼観光の船がつないであります。今年の鵜飼観光は終わりました。特に見える景色も・・・岐阜市をはじめ名古屋駅のツインタワーなども見えます。よく覚えていないけど見えたはず。前日の岐阜駅の岐阜シティ・タワー43の展望台からも見えた名古屋駅です。

石の好きなよだきぼママは野面積みの石垣にうっとり!石の並び方が好き!午後に行った犬山城の石垣も野面積みです。

岐阜城は2回目です。以前に来た時の様子はこちら

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この観光は次が 鮎の庵 鵜 での昼食です。ゆっくり出来ません。(笑)急いで山を下りてケーブルカーへ。気候がいいからかお客さんが多いです。ここでは信長の居館跡が発掘中です。詳しくはこちら

昼食は前日お話してくださった鵜庄 山下さんのお店です。庭には24羽の鵜がいました。石の上で日向ぼっこをする者などカメラ目線でした。屋根の上に猫がいたのでびっくり!猫は鵜を襲ったりしないのか心配になり聞いてみると、誰が稼いでいるか知っているから猫は小さくなっているとの話。庭にいる鵜は放し飼いになっているのですが、その横を猫は逃げるように走って行ってしまいました。へー・・・おもしろー!

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質素だけど贅沢な食事かも・・鮎の甘露煮と長良川で撮れた雑魚のから揚げ3尾と鮎雑炊。

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鵜庄さんは面白い話をしてくれたけど、うまく文字にできません。養殖でなく自然の中で育った鮎や魚を食べると健康になる。これがいいんだ!今から先は魚が一番みたいなことだったかな。

久保さんは京都に用があるというので岐阜駅でお別れです。久保さんの見識の深さに脱帽です。24日には草むしり(笑)に帰郷されるそうです。

久保さんと別れた後は国宝 犬山城へ!

長くなるのでまた明日。

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山城郷土資料館と椿井大塚山古墳

押熊八幡社の後はバスで京都府に入ります。京都府木津川市山城上狛千両岩にある山城郷土資料館です。山の途中にあり、見上げる凄い場所に有ります。。Dsc09872 バスを降りて目につくのが、石に掘られた万葉集歌 二句です。Manyousyuka

中に入って学芸員さんの説明にを聞きます。中から鐘の音が聞こえてきます。はて・・・!鐘の音ではなくて銅鐸の音でした。大阪府茨木市の東奈良遺跡で発見された銅鐸の鋳型の部分は珍しかったですね。鋳型の一部と再現された鋳型がありました。Igata

森本遺跡の人面土器は古代のウルトラマン?とも呼ばれている???でも似ているかも。Dsc09880

これから行く、椿井大塚古墳のJR奈良線ののり面の工事の時に見つかったという三角縁神獣鏡のレプリカ。大きくて22cmもあるとか。実際に鏡としては重くって使えないかな。最近復元されたという 銀色に光る三角縁神獣鏡を見せていただきました。撮影はできませんでしたが。工事の時にたくさんの鏡が出たそうです。回収できたのは33個?もっとたくさんの鏡が出土したようです。

この辺りからボランティアさんの説明が・・・学芸員さんより熱く語ってくださったのかな。本物学芸員さんはボランティアさんに説明を譲られてしまった。

彫刻が好きなよだきぼママはこれが一番気になりました。

一時間くらい見て回り、いよいよ三角縁神獣鏡の出土した椿井大塚山古墳に向かいます。が、その前に 昼食の時の余剰金でローソンで買い物です。ハハハ 何で・・・と言いながら・・・思ってみなかったお金ですからお茶やアイスを買っていましたね。男の人が甘いアイスをたくさん買っていたのには驚き。中にはカップアイスを2個も食べてしまった人もありましたね。

椿井大塚山古墳は、前方後円墳をJR奈良線が分断して通っています。Dsc09919

山城町の中央部にたたずむ椿井大塚古墳は、古墳時代前期(三世紀後半)の中でも最古に位置づけられる代表的な前方後円墳で、昭和28年、後円部を南北に走る国鉄奈良線の法面拡幅工事が行われた際に、偶然にも竪穴式石室が発見されました。その後の発掘調査で、石室内からは、邪馬台国の女王卑弥呼の鏡とも呼ばれる「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」三十数面を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬品が出土し、全国的に大きな注目を集めました。この発見から半世紀、平成12年には、日本の歴史上の重要な文化財として、「国史跡」に指定されました。 いただいた資料より

上に登れるのは嬉しい限りですね。頂上で記念撮影。生駒山が見えます。古墳の先には住宅もあります。Dsc09924

古墳に建つ家々か・・・ずっと以前から住んで見える人たちの家だそうです。とっても素敵な家ばかり。もしかして古墳に家を建てると幸が来るのかも????

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今回の見学予定はこれでおしまいです。

古墳の周りには休憩するところがありません。でね・・・どうしたか?途中で買い物したローソンによってトイレを貸してもらうことになりました。ハハハ 先ほどの買い物はこのためのもの???幹事さんお見事!帰る時にローソンのお姉さんが手を振ってくれました。今日の売上に貢献したみたい。

帰りは国道を通ったので伊賀上野城のすぐ横を通りました。懐かしかったです。伊賀上野には忍者がいっぱいいました。忍者犬ししまるもね・・・

見学が終わったのが5時すぎ。亀山の手前で乗った高速道路が少しだけ渋滞しましたが、おおむね予定通りに名古屋に戻ってきました。

皆さんお疲れ様でした。

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古墳を訪ねるバスの旅

朝から雨の降る一日になるかと思っていた昨日の話。

コースは 金山(名古屋) → 平城宮跡にバス止めて歩いて → 佐紀盾列古墳群 確認 → スーパー銭湯でご飯を食べて → 押熊八幡社 → 押熊皇子・麛坂(カゴサカ)皇子の墓 → 山城郷土資料館 → 椿井大塚古墳 確認 → 名古屋へ でした。

凄くマニアックなコースです。平城京跡も行きたいけれど・・・ (奈良は近鉄を使えば行くのは便利でしょうが、今までは、薬師寺とか、興福寺とか、法隆寺とか、東大寺とか、正倉院展とかいわゆる観光地には行きましたが、戦争の痛手も受けていないようで史跡が多いのです。)

気になる平城京跡を後にして佐紀盾列古墳群に・・・まるで天皇家のお墓参りの感も無きにしも非ず・・・

佐紀陵山古墳 日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)陵と伝えられているそうです。日葉酢媛命は垂仁天皇の妃 ふむふむ 天皇家は覚えるのが難しい・・・

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写真は前方になります。どんだけ大きい陵なのか想像もつきませんでした。

総延長255m 墳長207m 後円径131m 高約19m 頂径約35m 前方幅87m・長さ85m・高約12m くびれ幅75m 後前高差約9m と資料にはあるけど・・・

次はと言ってもすぐ横にある、佐紀石塚山古墳 成務天皇陵。何故こんなに近いのかなと皆疑問。

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ここから、佐紀瓢箪山古墳と五社神古墳 神功皇后陵の二手に分かれます。五社神古墳に行ってきました。ちょっと歩かんならんと言うので半数以下の人でした。

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とても奇麗な神功天皇陵ですが、中に入りたい衝動にかられますよ。管理人がいるわけではありませんから。でも、そんなことはやりません。(笑)入ろうと思えば出来ます・・・が。

二手に分かれたのですが、帰りに佐紀瓢箪山古墳の横を通ります。

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のどかな里の風景が広がります。珍しいごぼうの花が咲いていました。Gobou

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龍馬の訪ねた幽棲旧居

タクシーは北へ走ります。多分ね。京都の地理がいまいち不案内です。<m(__)m>

今の季節にしては観光バスもタクシーも少ないです。京都バス実行院行きの終点が実行院。時間は2時10分くらいになDsc09501っていました。楽しく観光案内してくださった日本交通のNiinaさんともお別れです。

お世話になりました。前にも書きましたが、京都言葉でなかったのでリラクッスして楽しむことが出来たと思います。

名刺をいただきました。再開できる日があると嬉しいかも。

実行院の詳しい事はこちらへ。

この季節は 床みどり が美しいけど写真はダメ。どうして床に写るのかな、床に漆が塗ってあるのかな、黒光りしている床に紅葉の緑が美しい。秋は紅葉したもみじが写るのか・・・。きれいだろうなぁ。

堂の中は写真禁止だけど庭の写真は大丈夫。まずは池泉回遊式庭園。どこに行っても緑のもみじが美しい。この池の水は山からの水だろうか?Dsc09505

蛙の鳴き声がする。モリアオガエルが生息しているとのことなのできっとそれだろう。木に泡につつまれた卵を産むそうだ。よくよく見たけど季節ではないらしい。

池の中にはザリガニが何匹もいる。よ~くみるとサワガニまで。本当に水がきれいなんだ。Dsc09515

Dsc09508 入口の右側の庭は枯れ山水の雄大な石庭です。.ここにも葉の細かいもみじが植えられています。点在する石組がなんとも言えない。Dsc09510

そのあと、一番の目的地岩倉具視が幽棲していた跡に。歩きながら 幕末の坂本龍馬を思い出している。

1867年6月25日中岡慎太郎に伴われて龍馬は岩倉具視を訪ねている。そのあとも中岡慎太郎は何度か岩倉を訪ねている。この道を、たぶん夜に歩いたのだろう。龍馬と同じ場所を歩いている。(^^♪

岩倉具視幽棲跡に立つ。中に古い建物が見える。先の方に入口があったが 本日は休みますと。ショック!!ネット上に下のような説明があった。Dsc09517

明治維新で知られる岩倉具視が、幕末に隠棲した屋敷。
茅葺きと瓦葺きの質素な平屋2棟、邸内には井上穀の碑文が刻まれた遺髪塚がある。
また洋館の対岳文庫では、岩倉具視や志士の遺品を多数展示している。

何とか少しでも見たいと背延びしたり・・・茅葺の屋根しか見えない。残念。バス通りに戻ったら駐車場から見えそうだよと言うのでまたまた覗く!Dsc09528 Dsc09521 Dsc09538

龍馬と同じ地にいるのがうれしい!

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歴史街道スタンプラリー 京都

勝巌禅寺を後にして次に向かったのは、足利尊氏由来の等持院です。途中から降り出した雨に濡れていい感じになっています。拝観料500円。詳しい等持院はこちら

足利将軍歴代の木像と家康の像が安置されている霊光殿に入ります。入口には達磨大師のユニークな姿絵。家康像の前だけ、履物がおいてありました。何で・・・。

庭園の中の尊氏の墓が雨に濡れていました。Dsc09471

季節のさつきもきれいに咲いています。夢窓国師がつくったと伝えられるもので、芙蓉池の石組の多いこと。これだけの石を組むのは大変な仕事だったろう。高低差のある庭、見事。茶室、清漣亭は畳が上段下段に分かれている。これは上段一畳を貴人床とする二畳台目の席というらしい。Dsc09478Dsc09476 

等持院から歴史街道スタンプラリーに参加。運転手さんがスタンプ押してある台紙を持っていて続きを押すようにくださったから・・・。

ここから スタンプが6個になるまでが面白かった。次に京都御所に向かった。スタンプを押すために。(笑) 閑院宮邸跡を無料で公開していたので拝見する。

御所にいる鳥や昆虫などの写真がいっぱいあり御所の豊かさを知る。Dsc09485 Dsc09486 .

御所を後にして向かったのは、平安神宮、門を入った所にスタンプがあり、中に入らなくてもいいからスタンプだけ押してきてくださいという、運転手さんの言葉に従って走る。

平安神宮の朱の門を後にタクシーに乗る。ここで6個になったので、全員プレゼントの「歴史街道オリジナルファイル」をもらいに行く。郵便で出すと140円かかるから交換してきましょうと運転手さん。

市街を走るタクシーどこを走っているのやら、京都市役所を通って(木戸孝允像の話)、本能寺の話題になり、そこから南下したのか、高瀬川沿いを通り、薩摩屋敷があったと説明してくださり、観光偽装だと一時話題になった 「幾松」を過ぎて、どこへ向かったのか?

着いたのは京都市文化会館だった。名前を書いて係りの人に渡したが、在庫がないので郵送しますと。あ~ 面白かった。京都の街中を東に西に走ったのかな・・・

時間は1時になります。そう 観光タクシーは3時間の予約しかしてありません。どうするのだろうと思っても運転手さん、岩倉まで30分はかかりますと。

セレクトクーポンが1枚残っています。残りの1枚もタクシーに乗ることになりました。次に止まったところは、白河院並びに法勝寺跡でした。運転手さんが会社に追加の電話をしました。すこしゆっくり出来るかな。

許可を得れば庭が散策できるからと許可してもらいました。庭には池がある回遊式庭園です。池から流れ出る小川にしじみがいます。京都の池のある庭園にはシジミがいるのはなぜだろうとずっと思っていたと一人が聞くと答えが返ってきました。Dsc09495

それは、琵琶湖疎水から池の水を引いているからですと。京都のシジミは琵琶湖産なのか。それで納得。聞いてみるもんですね。

一服することになりました。喫茶店から庭を見ると額縁に入っているようだと。運転手さんはココアを私たちは抹茶と和菓子のセットを。美しい庭を見ながらのお抹茶美味しかったです。

今度こそ岩倉に向かって走ります。

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壬申の乱ウォーク

いい天気に恵まれた岐阜県は養老町。山ヒルがいるから、襟首にはタオルを巻いて、靴下も気をつけて、まむしもいるので・・・まむしは1mは飛びますからね・・と色んな注意を受けて歩きはじめましたが、養老山脈の麓です。必然的に上り坂。一人なら歩けないからなんとしても歩かねば・・・まだかまだかと思いながら登って行きます。

行程
養老鉄道養老駅 → 柏尾 → 柏尾廃寺・千本仏・柏尾古墳 → 天正天皇行幸跡 → 養老公園

直進すれば養老講演ですが東に向かっていきます。回りには土塁らしきものが見えますが、壬申の乱当時のものではないだろうなぁとか思いながら歩きました。

Dsc09350 やっとの思いで辿り着いたのが、柏尾廃寺です。休憩して座った石がその名残とか。でも石に座るのは気をつけないと山ヒルがいるかも。Dsc09355

山中章先生の話の後にイケメンの養老町教育委員会の中島さんの話。養老には中世の寺が谷ごとに隣り合ってたくさんあるそうです。中世にはここでしか見つかっていないというので、なぜ山の中に寺がいるのかと研究中だそうです。

柏尾廃寺は信長に焼き討ちにされたという逸話があるそうだが・・・ 中島さん信長がいた時代にはすでに寺はなかったと思われると。

近くにあるという千本仏を見に行きます。皆違う顔です。開墾する時に見つかったのだそうです。千本はあるだろうというので名前がついたそうですが実際は千以上の仏像だそうです。Dsc09360

そのあと、山の中を養老公園に向かって歩きます。その山も辛かった。登ったり少し下ったり、また上ったり。。。藤の花が落ちているが上を見上げる余裕もなく、ただ、ひたすら歩きましたね。中島さんのいう、まだなのというころにたどり着きますの言葉通り、はぁ…疲れた。でも蛭は嫌だから座れない。

元正天皇行幸跡に立ち山中先生の話を聞きます。分厚いレジュメの中に【元正天皇美濃国行幸】當耆郡多度山美泉御覧 とあり、

この頃二代続いた女性天皇は権威を示すために 一日は西日本の国司を呼んで歌舞をさせ、また違う日には東日本の国司をわざわざ養老に呼んで雑技をさせるということをした。そして、717年9月20日に美泉を訪ねたと。Dsc09361

先生この辺りの水で手を洗い、髪にも付けたので来週あたり別人にみえるのではと・・・真面目な話の途中にこんな話まで、愉快な先生のようだ。

なぜ先生は髪に水を付けられたか?

奈良時代、元正天皇は「万病を癒す薬の水」との報告を受けられ、美濃の国多度山の美泉に行幸されました。
 史書「続日本紀」に記述されている元正天皇のお言葉があります。
 「自分で手や顔を洗ったら、皮膚はつるつると綺麗になり、痛むところも治った。また、この水を飲み、浴した人は、白髪も黒くなり、はげた髪も新しく生え、見えにくくなった目も明るくなった。目出度いことです。この水は、真に老を養う若返りの水です。

とあるからです。

あまりにたくさんの話を聞いたのでこんがらがってきた。間違ってはいけないのでこの位にしよう。大海人皇子はこの道をたどったのだろうか?

この後、養老公園に行く。途中で大伴家持の歌碑を見る。Dsc09366

山ヒルの被害にあった人が二人もあった。恐ろしきヒルだなぁ。  

先生の言われるように登山のようだったが、実に爽快。先生たちは残ってもう少し険しい山を登られるとのことでおしまい。

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壬申の乱ウォークに参加

養老鉄道で行く第14回壬申の乱ウォーク・・・講師は三重大学の人文学部教授の山中章氏と養老町教育委員会主事 中島和哉氏だった。山中先生は肌もきれいで声は張りがあってとても還暦が近いとは思えなかった。もう一人の中島さんは凄いイケメンだった。(笑)

養老鉄道で行く・・・大垣からがいいだろうと早めの電車で出かける。大垣駅で養老鉄道に乗るのに手間取って一列車遅れてしまった。大垣駅前のパン屋さんでクリームパンを買って電車を待った。Dsc09325

8時43分発の桑名行き養老駅に9時7分位についた。電車から見る景色は緑がいっぱいで癒しの風景だった。麦畑・れんげ畑・田んぼ・柿の葉が太陽に光っていてきれいだったし、まっすぐに一本のビル鉄路・・・なんとも言えんいい風景。Dsc09333 Dsc09335 Dsc09338

養老駅に降り立つと、桑名からも電車が来て下りてくる人がいっぱい。養老駅に集まった人数は100人位だとか。Dsc09339 Dsc09341

名前を書いて、レジュメを渡されたが、そのレジュメの分厚いこと。さずが三重大学・・と感心する。参加費は無料。募金箱はあったが・・・。

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鷲津砦址の藤の花

先日、鬼頭先生の展覧会に行く時に、JR大高駅の新幹線の向こうの鷲津砦址のある公園に藤の花が見えた。見たくなって行って来たが、風が強い今にも雨になりそうな昨日のこと。_mg_6826

鷲津砦は、永禄2年に織田信長が今川義元の尾張侵攻に備えて、今川方の大高城に対峙し、丸根砦共々築いた。 織田信長は、守将に織田信平・飯尾定宗・信宗父子を配した。 永禄3年、桶狭間の合戦の時には、今川勢の先鋒朝比奈泰能らによって攻められ落城した。 鷲津・丸根の両砦が緒戦で落城したことで今川勢の油断に繋がり、桶狭間で今川義元が討たれた遠因となった。  

公園入口から丘陵山頂部にある砦主郭部へと積み重なった落ち葉の遊歩道がある。 途中、土塁跡・空堀跡、曲輪跡らしきものがある。当時のものだと面白いが、はたしてどうなのか。

鷲津公園には何度か来たし、丸根砦址、大高城祉など実際に歩いているが、鷲津砦跡に上ったのは初めてのこと。 主郭部には鷲津砦の石碑が鬱そうとした木々の中に建てられていた。_mg_6831

風に揺れて画像がぶれる。藤の花を堪能した後、雨を心配しながらチャリンコで走ってみた。_mg_6844

JR沿いに大高川の支流が流れている。鉄路の脇にイタドリ見つけ採取。明日のおかずに。向こう岸の小学校に藤がゆれている。行って見るかと・・・

学校に植えてあるのが伸びたようだ。横にスイカズラ・野いばら・クローバー・茅の花穂。花穂は子供のころに食べた記憶がある。童心に戻って、花穂を開くと真白な柔らかい穂が出てくる。柔らかくて甘い。_mg_6852 _mg_6853 _mg_6897

ポチポチと雨が落ちてきたので帰ることにして、大高川沿いに走ると、カルガモが2羽、横で甲羅干しのカメ2匹。_mg_6874 _mg_6876

帰り着いて雨が本降りになった。

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洋風建築の銭湯(刈谷市)

先日ギャルリ・ディマージュに行った時に教えてもらった、古いお風呂屋さん。現在営業はしていないがいいよ・・・すぐそこだし・・というので写真を撮りにぶらぶら。なるほど素敵な外見。中もみたいが営業していないので諦める。名鉄刈谷市駅からすぐのところ。

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刈谷市の上天温泉と電柱に架かる看板が残っていて、最近まで使われていたのがわかる。とても素敵な建物。調べる価値あり。ネット検索 「刈谷市 上天温泉」・・・出てきた・・そうか。わかった。

上天温泉を設計したのは、大中肇なのか。郷土資料館を始め、刈谷市内で多くの建物を設計している。とあった。

刈谷市の郷土資料館は、亀城小学校旧本館の建物が利用されていますが、この小学校を建てた人と同じ人が設計。ふ~ん。旧亀城小学校は過去に二回行ったが、中にある資料の天誅組の写真に感動したのを思い出す。その時の様子はこちらから。

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