ネットショッピングで頼んでおいた、天理大学文学部編『山辺の歴史と文化』(奈良新聞社)という本が届きました。コンビにで代金と引き換えに受け取りました。送料はかかりません。ちなみに今日発売なんですよ。
コンビニの帰りに、公園で一部読みました。今日もとってもいい天気です。昼間はちょっと暑いです。11月だというの半袖が恋しい。
緑生涯学習センターで日本書紀を読む講座に参加していますが、日本書紀には奈良のことがたくさん書いてあります。編集後記に、奈良県の人に読んで欲しいとにありましたが知らないことがいっぱい書いてあり面白いです。
欧州視察の種樹
明治5年正月27日に旅にでますが、夫人に宛てた手紙。(秋月種英氏蔵)
正月27日横浜港より出船より誠に都合宜敷、一度少々食事も進み不申候得共、其後は少しも船酔も無之、二時の食事も牛肉その外おしきもの沢山食べ、大にからだも丈夫に相成り御安心下さるべく候。日々皆集り馬鹿ばなしにて日をくらし申し候。芸者やおいらんの話なき日は一日も無之、實に賑しき事なり。
兼々お願申上候大川屋一條は、留守中のおつとめに候間、精一杯お骨折頼み申候。三千両にて二年は十分と申ことゆへ、二年の間に利分の外に千両も出来候得ば十分のことなり。成る丈お骨折成され、大川へ談じ下さるべく候。-中略-
二月四日 秋月 皆々へ宜敷伝声御願申上候
於譲との
おあつらひの品々は、この度は船着き申さゞるゆへ、後より御送り申上候又々私帰り候節持参可致候。
旅費の出処は横浜の富商大川屋であった。秋月種苞夫人の語られるにはそのお金の重かったことと。夫人も同行される予定であったが、種殷夫人の病気のため止められたことなど当時の様子がよくわかるそうだ。
種樹の航海は實に楽しそうですね。明治2年に開通したスエズ運河を経由して、3月13日にフランスはマルセーユに上陸、そこから鉄路リヨンを経て巴里に入り、ここに滞在して西欧文明の視察を始めたようです。当時の巴里は、ナポレオン三世が没落後ではあったが、華麗な文化を誇っている時であった。横浜を出港して三ヶ月余り、遠いですね。
種樹の目にフランスはどう映ったのでしょうか。実際に見ると感激はどんなだったか想像するだけで楽しい。西欧視察に同行した左院議員31名って誰なんでしょうか。『秋月種茂と秋月種樹』には名前が書いてないが、岩倉具視も明治5年に西欧視察に出かけているようですから、もしかしたら一緒にフランスに行ったのでしょうか。岩倉具視の西欧視察は明治4年と書いてあるものも見つかる。いつ行ったのかもう少し調べてみたい。
参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著
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