書籍・雑誌

宅配便が・・・

朝一番に宅配便が運んできたのは、一冊丸ごとコピーした『「黒田の家臣」物語』三尾良次郎著 でした。こんなことをしてくださる先輩に感激。八方手を尽くして探したけれど見つからなかったからとコピーをしてくださる!! 感謝のあまり声も出ません・・・・・・。Img_5743

午前中はわくわくしながら読書!あー充実した時間になりました。新発見あり。このことを伝えたい人がある。でも、まだ時間がある。もう一度 じっくり読む時間があるのも嬉しい。

そのあと、伸びすぎた髪を切るために、またまた経済的な美容院に行く。ロッカーに荷物を入れて、同じ番号の席に座る。髪が少ないのでボリュームの出るようにカットしてくださいとお願いしたら、髪は少なくないですよって。ほんと・・・? 髪が細いのか・・・(;一_一)

名札にすずきとあった。話しやすいおばちゃんだった。1.575円。風が冷たくて寒くなりそうだったのでそのまま帰宅する。

4時ころにはみぞれが降って来た。明日朝は-2度と冷え込みそうだ。

テレビの天気予報で・・・名古屋城の桜の開花予想は3月22日頃だと言っている。例年より5日くらい早くなりそうだとも。

漆の実のみのる国を読んで

 藤沢周平作品『漆の実のみのる国』を読み終わった。天下の名君上杉鷹山を書いているが、決してヒーローには書いていない。

 養子に行った先の米沢藩の経済が困窮し、飢饉に苦しめられる。そんな米沢藩をなんとか立て直そうと、改革を進めようとする竹俣当綱をはじめとする家臣たちと藩主上杉治憲の苦難の道が書いてある。

 漆・桑・楮を植えて米以外の産業で収入を得ようと、長いスタンスで改革を進めますが、軌道に乗り始めると、悪天候に見舞われ思う様に改善されません。

 努力しても努力しても成果が上がらないことに疲れ果てた家臣たちが役を降りたり、治憲は江戸での生活もしなければならないし・・・。

 家臣たちは疲れて、「もうやめた」と言えますが、君主は逃げ出すわけにはいきません。家督を譲って、改革に精を出します。

 物語は、彼が藩主になる19歳より前、12歳の頃の執政達の苦闘から描き起こされ、隠居して後の41歳までが描かれています。が、最後まで明るい未来は見えてきません。鷹山が漆の木に実る小さな実を思いながら終わります。

 藤沢周平が生きていたら、鷹山が改革に成功してハッピーエンドになるところまで書きたかっただろうと思うし、藤沢の筆による続きが読みたいと思います。

 鷹山の人となりは随所に書かれ、実の父親の看病、養父の看病にみる誠実さもさることながら、農民に対する愛情は、「役人は母の赤子に対する心をもって民にのぞめ。この真心、誠のあるところ愛を生じ、愛は知を生ずる」というこの言葉に表れていると思う。

 有名な「なせばなるなさぬは人のなさぬことなり」などは一言しか触れてなく、ヒーロー鷹山の姿はない。藤沢は何が書きたかったのか。ノンフクションとしての藩の苦しみだけを書きたかったのだろうか。

 まとまらないが現代の政治家にも読んで欲しい一冊かな。

藤沢文学 漆の実のみのる国

 どこのテレビ局だったかはっきり思い出せないが、藤沢周平の本を取り上げる番組があった。 最晩年の作は 上杉鷹山を書いた『漆の実のみのる国』でつかの間の退院中に執筆した最終回が絶筆となったらしい。

 上杉鷹山はとても興味があるので図書館で探したら、運よく上・下ともあったので借りてきた。今日は何をしていても寒いので、午後からこたつにもぐって読み始めた。こたつには先客がいて、知らずに足がぶつかってしまった。 ヾ(^-^;) ゴメンゴメン 先客の猫、ぐれむりんを避けてもう一度足をいれる。

上杉家に養子に行った鷹山12歳から始まっている。鷹山(この名前は後の名前だが)わずか12歳の時に米沢藩の医師に 名君 だと言わせている。そんなに凄いひとだったの?なぜと・・・思いながら読んでいる。面白くってやめられないが、夕飯の用意でいったん本を置いた。

 上杉鷹山は、1751年7月20日、日向高鍋藩の江戸藩邸で、藩主秋月種美(あきづきたねよし)の次男として生まれました。残念なことに一度も日向高鍋の地に来ておりませんが・・・。

 3分の2位読んだが、鷹山はまだ12歳のまま。米沢藩を立て直そうとする家臣たちがよく描けている。映像を見ているような感じがする。今から読めば上巻はあっという間に読み終わるだろう。

 以前書いた上杉鷹山はこちら

森鴎外が書いた『堺事件』

 コメントをいただいたあきみずさんのブログ「飛行機だい好き」を訪問してきました。堺文化財特別公開に行ったことが書いてありました。

 

 その中に堺事件のことが書いてあり、切腹した土佐藩士の石碑があると書いてありました。堺事件は初めて聞く?ことだったので、森鴎外が書いた『堺事件』を図書館から借りてきました。

 明治初年に堺の町で起こった、フランス兵と警護に当たっていた土佐藩の守備隊との間に衝突が起こり、フランス兵13人が殺さるという事態になった。

 フランス側から抗議があったその抗議の内容は、

 ・土佐藩主が自らヴェニュス号に出向いて謝罪することが一つ。

 ・堺で土佐藩の隊を指揮した士官二人、フランス人を殺害(せつがい)した
隊の兵卒二十人を

、交渉文書が京都に着いた後三日以内に、右の殺害を加えた土地に於(お)いて死刑に処することが二つ。

 ・殺害せられたフランス人の家族の扶助(ふじょ)料として、土佐藩主が十五万弗(どる)を支払うことが三つである。
 (森鴎外作 『堺事件』より)

 当時の人の外国人に対する考え方、恐怖、侍の死に方の価値(処刑ではなく切腹に拘ったこと)などがよくわかる森鴎外の『堺事件』だった。

 明治の文豪、森鴎外が書いていることで、幕末から明治を近く感じることができる。サムライの時代はずっと遠い昔のことではなくて今、現代に続いているついこの前のことだと思う。

 森鴎外全集には『堺事件』の次に『安井夫人』が書いてある。前に書いたと思うが、安井夫人とは将軍直参の大儒学者の安井息軒の奥さんのこと。安井息軒は今の宮崎県清武出身。青空文庫にリンクしました。興味のある人はどうぞ!

牧水の酒の歌

   先日の お酒が好きだった牧水の命日 にぼんやりっこさんからコメントをいただきました。

 >酒、好きだったのかな?もしかしたら、飲まずにはいられなかっただけで、そんなに好きではなかったのかもしれませんよ。・・・と。

そうかもしれない。牧水は酒の歌をたくさん残している。飲まずにいられないほど辛い事もあっただろう。でも、キッチンドリンカーみたいなこんな歌もある。

足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる

旅は牧水にとってその生涯をかけるようなものだったとすれば、旅先で出会う酒は・・・欠かせないものだったんだろう。牧水は酒を愛したと思う。牧水のことを酒仙・酒聖と呼ぶ人もあるんだから。

 若山家には酒好きの血統があるらしい。牧水の祖父は一滴もたしなまなかったらしいが、祖母は祖父から「酒だると一緒にいるようなものだから外に出て行け」と締め出されるような酒豪だったとも。また、父も毎夜一升を必要とするほどの酒豪だった。母は士族の娘で乱れることはなかったがひそかに一生酒の異名をとっていたとも。牧水はこの血を受け継いだようだ。

 それでもここまで飲むのかというものもあって面白い。

おひおひに酒を止むべきからだともわれのなりしか飲みつ思ふ

ほほとのみ笑ひ向はむ酒なしの膳のうへにぞ涙こぼるる

癖にこそ酒は飲むなれこの癖とやめむやすし妻宣(の)らすなり

寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに

暁と鶏なく時しとりいでて飲む酒のうまし夜為事のあとに

妻が目を盗みて飲める酒なれば惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ

 まったくどうしようもない呑んべえなのである。病気になっても仕方ないだろう。恋に行き詰まり・・・生活を苦にしても・・・きっとうれしいときも・・・何につけても酒を手放すことが出来なかった。ここまでの呑んべいなら・・・どうもこうも・・・乾杯するしかないだろう。

このブログを読みながらにんまりしている呑んべえさん・・体も大事にしてくださいね。

参考書籍 『若山牧水』宮崎日日新聞社編 鉱脈社

万葉集第5巻 みんなで選ぶ歌!

 万葉集の公開講座は「万葉の一枝 5巻」として皆さんが選ばれた歌を解説されます。基礎知識がほとんどないので困ったなぁ・・・。

 父母を見れば尊し 妻子(めこ)を見れば めぐしうつくし 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば うけ履を 脱ぎつるごとく 踏みぬぎて 行くちふ人は 岩木より なりてし人か 汝が名のらさね 天へ行かば ながまにまに 地(つち)ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の むかぶすきはみ たにぐくの さ渡るきはみ 聞こしをす 国のまほらぞ かにかくに ほしきまにまに 然にはあらじか

を皆で音読をして、そのあと講師が解説される。第一声が、タイムスリップしたでしょう。こんなこと今はあまり言いませんね。かなり粗末に扱っていませんか?漢詩や儒教が入ってきたんですね。解っているけど、やらない・・・やれないですね。読み直して・・・人の汚れをお祓いしていくんですね。と。家庭仲良く、大事にされようとしているのは妻。子に取っても、夫にとっても、太陽、明るさ、光の恩恵などと話される。話したいことがいっぱいあるようで、早口であれも、これもと解説される。凄いもんですね、人前でキチンと話が出来るって、なかなか難しいと思うんですが・・・。

 最近皆で、ブログ(日記)を書く人が増えて、13人に一人が書いているというデータもあるそうですが、日本で最初に日記を書いた人は憶良と旅人だろうと。 続けて、802 893 818 などたくさんの歌の紹介がありました。

 中々、面白い・・・が、万葉集を始めるとこれ以上忙しくなるってこと。これ以上は、頭がついてこないかな・・・。

 先生を囲んで、16,7人がランチを食べる。先生の表情もやわらかくなっている。わいわいと、楽しい会でした。

今日の花自慢・・・   モミジバゼラニウム 何度も買って育てたが思うようにいかず・・・挿し木したからといただいて3年め。やっと大きくなりました。下は冬越しして元気なミリオンベルMomijiba_11482

リアル「センゴク」行ってきました。長浜

 Main 長浜市で行われた「リアル「センゴク」」のトークショーに行ってきました。人気があるという『センゴク』の作家宮下英樹氏と城郭研究家・中井均氏のトークショー。長浜城の学芸員で戦国歴史研究家の太田浩司氏の司会です。

 04365 正面に架けてある大きなパネル?にビックリ。主人公の仙石権兵衛秀久(15)です。会場の壁に架けられた『センゴク』の1巻から11巻まで刊行されたコミックの表紙の絵。迫力満点の若さを感じるものでした。

 会場は満席とのこと、お年を召したおとうさんが多いかな。おばちゃん?おばあちゃんも少なくない。若い、いかにも、ヤングマガジンの読者だろうと思われる人たち。多彩な年代の人たちでした。

 会場に入ってこられた、宮下氏、若い。富山大学卒だということ、漫画デビューは「ヤマトタケル」(確実なタイトルは漢字かも)相撲の話だったが、あまり売れんかったそうだ。2作目が「センゴク」。ヒットしていると・・・。

 参考にしているのは、織田信長のことを書いてある、太田牛一の残した『信長公記』等らしい。凄~いと思いました。リアルに書いてあるってこと。他に、司会をされている学芸員の太田氏に聞かれたりとか。調べ物をしてくれるのは、K談社の担当の方とか。残されている真実に近いものを書いておられるそうだ。リアルさをだすために、織田上総介信長武田法性院信玄とフルネームで書いてるそうだ。

☆録音も、写真撮影も禁止されたので、記憶を頼りに書いている。間違ってるかも。このところ、昔のことはいいけれど、今聞いたことも忘れる年になってしまった。自信のないところもあるが思い出しながら書いてみる。

 信長という社長のことを平社員の視線で書かれていると。1~11巻までの表紙絵、信長は誰でも共感できる顔。外はえ~っと納得していいのかと思える描き方の人もある。傑作だったのは、明智光秀と本願寺顕如光佐。顕如光佐はミック・ジャガーがモデルだとか・・・。武田法性院信玄はスタッフの一人がモデルとか・・・。武田信玄については城郭研究者の中井氏は思い入れが強いでしょうと、作家に聞いておられた。聞かれた宮下氏はそうだと・・・。面白いですね。

 中井均氏との絡みを面白くしておられたのは、司会の太田浩一氏です。話もおもろいが、奥が深いです。又、来たいなぁと思えるいい話がいっぱい。中井氏の後をついて、山城もあるいてみたいなぁ。

04369_1  サイン会も申し込みが必要だったが、友人はそれを知らずに、サイン会に 出れない。さほど、ファンでもないから、譲ってあげる。後でしまったと思ったのは、サインがイラスト付だったこと・・・。

 楽しい、楽しいトークショーでした。友人に感謝。

『山辺の歴史と文化』 届く!!!

 ネットショッピングで頼んでおいた、天理大学文学部編『山辺の歴史と文化』(奈良新聞社)という本が届きました。コンビにで代金と引き換えに受け取りました。送料はかかりません。ちなみに今日発売なんですよ。

 コンビニの帰りに、公園で一部読みました。今日もとってもいい天気です。昼間はちょっと暑いです。11月だというの半袖が恋しい。

 緑生涯学習センターで日本書紀を読む講座に参加していますが、日本書紀には奈良のことがたくさん書いてあります。編集後記に、奈良県の人に読んで欲しいとにありましたが知らないことがいっぱい書いてあり面白いです。

欧州視察の種樹

 明治5年正月27日に旅にでますが、夫人に宛てた手紙。(秋月種英氏蔵)

正月27日横浜港より出船より誠に都合宜敷、一度少々食事も進み不申候得共、其後は少しも船酔も無之、二時の食事も牛肉その外おしきもの沢山食べ、大にからだも丈夫に相成り御安心下さるべく候。日々皆集り馬鹿ばなしにて日をくらし申し候。芸者やおいらんの話なき日は一日も無之、實に賑しき事なり。

兼々お願申上候大川屋一條は、留守中のおつとめに候間、精一杯お骨折頼み申候。三千両にて二年は十分と申ことゆへ、二年の間に利分の外に千両も出来候得ば十分のことなり。成る丈お骨折成され、大川へ談じ下さるべく候。-中略- 

    二月四日         秋月 皆々へ宜敷伝声御願申上候

於譲との

 おあつらひの品々は、この度は船着き申さゞるゆへ、後より御送り申上候又々私帰り候節持参可致候。

旅費の出処は横浜の富商大川屋であった。秋月種苞夫人の語られるにはそのお金の重かったことと。夫人も同行される予定であったが、種殷夫人の病気のため止められたことなど当時の様子がよくわかるそうだ。

種樹の航海は實に楽しそうですね。明治2年に開通したスエズ運河を経由して、3月13日にフランスはマルセーユに上陸、そこから鉄路リヨンを経て巴里に入り、ここに滞在して西欧文明の視察を始めたようです。当時の巴里は、ナポレオン三世が没落後ではあったが、華麗な文化を誇っている時であった。横浜を出港して三ヶ月余り、遠いですね。

 種樹の目にフランスはどう映ったのでしょうか。実際に見ると感激はどんなだったか想像するだけで楽しい。西欧視察に同行した左院議員31名って誰なんでしょうか。『秋月種茂と秋月種樹』には名前が書いてないが、岩倉具視も明治5年に西欧視察に出かけているようですから、もしかしたら一緒にフランスに行ったのでしょうか。岩倉具視の西欧視察は明治4年と書いてあるものも見つかる。いつ行ったのかもう少し調べてみたい。 

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

『高鍋藩史話』を著した安田尚義!

 種樹のことを調べていると、いろんな人が関わってくる。種樹本人に影響を与える人もそうだが、『高鍋藩史話』の著者、安田尚義氏への興味もわいてくる。経歴は宮崎の101人に詳しい。

 安田氏は昭和27年、日向文庫『秋月種茂と秋月種樹』と『上杉鷹山』の2冊を書いた。当時の苦労話や当時の人々に対する心づかいも見えてくる。種茂の背景にある封建制度にも解明を加えて種茂の功績を深めるようにしたとあった。

 中でも、 「日向の各藩にも名君は乏しくないので、郷土自慢にならないように常に戒心は加えてきたつもりである。」とあり、自慢したいのを抑えるのに苦心した様子が見えてくる。

種樹については文を引用。 

秋月種樹の場合は纏った(まとった)資料が乏しく、且つその上に歿後五十年間に資料の散逸したものも少なくないため苦心を要したが、昭和27年5月、上杉鷹山の資料を求めて米沢に行った帰途、東京大学構内の維新史資料編纂所の世話になったのを手始めに、各地図書館で関係既刊文献に目を通す一方、秋月両家の所蔵物の拝見を請い談話を拝聴し、武藤君の手元にある郷土資料を見て、不完全ながら一通り伝記体に纏(まと)めることが出来た。-中略- 

 わたしたち二人としては熱意をもって事に当たったつもりである。それは等しく藩士の家に生れ、秋月家の恩顧を忘れ得ぬものがあるからである。武藤の實家、蓑江の手塚家は、種茂の名臣手塚五左衛門の次男重太郎(武八郎の弟)の後であり、重太郎は種茂によって弓術家に仕立てられたのであった。

 また筆者五代の祖季仲は細工奉行として明倫堂創立に一役を勤め、-中略- 祖父の季仲守世は種樹の若年寄りの時、江戸に京都に近侍した関係から、高鍋在住時代には年に一度は来邸を請い筆者も幼少ながら高風を仰ぐことが出来たのであった。随って父祖の報恩の気持ちを持って筆を進めたのが私たちの衷情である。 -中略- 安田尚義

 この中の資料が分散したものもとあるのは、故意に遺棄された資料もあるらしい。高鍋藩の城の絵図さえ見つからず、高鍋城(舞鶴城)の再建も出来ていない

 東京大学構内の維新史資料編纂所も、今はネット検索でデータベースにアクセスして史料を引用することが出来ますが以前は大変だったことが伺えます。実際に足で歩いて確かめたい気持ちは持っていますが思うようにはいきません。種樹に実際会っている著者が書いたことはとっても大事なことです。安田氏はどんな人柄だったんでしょうね。

 『安田尚義 高鍋藩史話』解説石川正雄のまえがきには高鍋高校歴史クラブのことが書いてあります。

 昭和38年の夏、クラブの人たちが、高鍋藩史を聞きに来て、その時にテープレコーダーに吹き込み続けたのでそれがまとまった。まとまると、一冊の本にしろという人がいて、それじゃと速記してもらった。史料を補充し、紀年を加え、稿を改めること数回の後にようやくこの一巻が完成した。と書いてあり、先輩の果たした役割が大きかったのを知った。

出版社から届く!

 宮崎の出版社に2冊の本を頼む。地元の本は地元に限るかなと、出版社のサイトからお願いしました。何にも言ってきません。注文の確認も・・・。

 メールの再送をするか、友達に頼むか迷っていました。友達は快く引き受けてくれるのはわかっていますが、時間がちょっとかかりそうです。

 案じるほどのことはなく、商品が届きました。びっくりです。お客さんを簡単に信用していいのって聞きたいほどです。今まで品物を頼むと必ず確認のメールがきました。メール交換を2回はしないと、商品は送られて来なかったんです。

 のんびりとした宮崎の県民性が偲ばれました。人を疑わずに生きていけるのはうれしいですね。こんなことばかりじゃないでしょうが。

 届いた本は

『志は高く』
高鍋の魂の系譜
著者:和田 雅実

『高鍋藩史話』
著者:安田 尚義

の2冊です。とっても楽しみです。

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