一日遅れのブログになっています。
10月も終わりの昨日、滋賀県長浜城歴史博物館の 「復活 大河ドラマを3倍楽しむ講座 3 」に行ってきました。長浜駅に降りたら人がいっぱいでした。JRのさわやかウォーキングに参加された人のようです。一様にリュックを背負ってみえます。
秋晴れの長浜城はさくらが紅葉していてきれいでした。さわやかウォーキングに参加されたらしい優しそうな人に聞いてみたら、米原から琵琶湖沿いを歩いてきたということでした。
朝9時に歩き始めた時は、琵琶湖はガスっていたそうです。そのお方がおっしゃるには琵琶湖は表情を変えるから飽きずに楽しく歩けましたよって・・・。お会いした時は12時でしたから随分と長い距離だったのかもしれません。途中の道の駅でお昼を買って、野菜も買われたそうです。重そうでした。
驚いたことに名古屋から来たと…一緒ですね。有松からですよと。遠い長浜で名古屋人が出会ったのですから話が弾みました。
大仏さまは行かれましたかと尋ねると、後ろ姿だけと。そして面白い話。長浜大仏は立っていますが、座っている大仏と立っている大仏は位が違うのだそうです。座っている大仏が偉いとか。
1時半からの「三成・兼続と関ヶ原合戦」の講座ですが、学芸員の太田さんにお会いしたくて早めにお城に行きました。そして、会場の準備中の太田さんにお会いして念願だったサインをいただきました。ありがとうございました。
講座の内容を少しだけ・・・
三成・兼続と関ヶ原合戦 講師 長浜城歴史博物館 太田浩司
はじめにと題して 大河ドラマ「天地人」は11月22日が最終回。天地人の原作本?を示されて上・中・下と3冊も買ったのは初めてということで、講座のために買ってこられたそうです。
愛と義についての原作への疑問もあった。大義名分はドラマには重要だけど、脚本として不満。愛と義は最後まで処理出来なかった。関ヶ原合戦で終わっていればと言っておられた。
大河ドラマを見ての疑問を10に分けて解説がありました。
まずは 朗読をしてくださる久保寺さんの紹介です。現在は高月観音の里にお勤だそうです変わらぬ美しいお声です。
朗読の後に第1の疑問の解説です。
①信長はなぜ謙信に洛中洛外図を送ったかのか?
果たして挑戦状だったのかとい疑問に武田の動きが気になっていた信長は上杉に招待状として送ったのではないかと話された。
東京と新潟でやった展覧会の洛中洛外図の図録を示しながらの説明があった。レジュメに示されているのはカラーでなくて図だけどサントリー美術館としてある。あの有名な洛中洛外図です。
②越後春日山城に毘沙門堂はあったのか?
③直江兼続と石田三成が最初に会ったのはいつか?
④石田三成は豊臣秀次殺害の首謀者であったのか?
⑤上杉家の越後から会津への転封に三成は関与したのか?
⑥福島正則らに襲撃された三成が家康屋敷に逃れたのは事実か?
⑦兼続と三成の「史上最大の密約」はあったのか?
⑧「直江状」はどのような状況で出されたのか?
⑨関ヶ原合戦で大谷吉継はなぜ三成に味方したのか?
⑩関ヶ原合戦で兼続と三成は如何に戦ったか?
~「おわりに」をかねて~
と朗読と組み合わせての解説は休憩なしで2時間も語られた。
いろいろ興味深い話があったが、時代考証者と脚本家との意見の食い違い。これは随所に見られるそうだが、原本と違ってきたりして苦労の多いことらしい。たとえば家康のこぶ。毘沙門堂の洞窟など事実ではないことはいっぱいあるとか・・・
太田先生の言葉でよかったのは
三成の描き方は古今稀なる上出来だった。単なる豊臣の忠義を描くのではなく豊臣中心の国家をつくる。家康の連邦国家、大名の連邦国家をつくるのではない、豊臣の単なる忠義の家臣でない、素晴らしい三成像を描かれたなぁと感動されていた。
下の写真は関ヶ原合戦の決戦地。
古代史について、興味深いコメントが来ております。
まずは先日の愛知サマーセミナーご報告から
よだきぼママさん、こんばんは。
7月15日(日)に愛知サマーセミナーとして東邦大学で開催された古田武彦氏の特別講演会の状況をお知らせします。
3時限目が100名、4時限目が66名、出入りがあって実人数118名の方が参加されたとのことで、地下鉄から遠いにもかかわらず盛況でした。
古田武彦氏が、強調されていたのは、次のとおりです。
帯方郡から邪馬壱国までの距離12000余里について、北九州の松浦に到達するまでに10000余里を費やし、そして不彌国でピッタリ12000余里に達するので、その南に隣接する邪馬壱国が女王国であり、文献上からは、北九州、博多湾岸に邪馬壱国があったと考えている。
一方で考古学上から、三種の神器がそろって出土するのは、日本広しといえども、吉武高木、宇木汲田、三雲南小路、井原鑓溝、須玖岡本、平原の6カ所のみで、すべて博多湾岸にある。
また、銅器の鋳型のほとんども博多湾岸のみから見つかっている。
さらに『魏志倭人伝』に何度か記述されている下賦品の絹と綿も、福岡市を中心としたその周辺のみから出土している。このように出土物は博多湾岸を指し示している。
つまり、古田氏による文献の分析結果と、考古学上の出土状況は一致しており、博多湾岸に邪馬壱国があったことは、まず間違いないとされました。
名古屋で行われた古田武彦氏の講演は、4年ほど前に行われた「日本思想史学会」以来です。体調のこともあり、ほとんどの講演の依頼を断っておられるという中で、よく名古屋まで来てお話をされました。とにかく、今年8月で86歳になる古代史学者のバイタリティには、敬服します。
投稿: プジョー106さん
もうひとつはこれからの古代史懇話会のお知らせ
2012/7/25中生涯学習センターにてpm6:00~8:30古代史懇話会あり、議題:「知多市と春日井市の鰐部氏について」発表があります。「いにしえの風」8号に記載しておりますが、去年2回に渡り「古代の風」でも発表しており、『庄内川と古墳』の観点で研究中であります。今回は上記記載の内容より更に進んだ資料を展開して内容の濃い発表となります。どうぞ、万障繰り合わせの上ご参加して下さる様お願い申し上げます。熱帯夜が続いていておりますが懇話会終了後に有志皆さんで冷たい生ビールを飲みましょう!美味いぜー!古代史研究者大勢集まれー!女姓群観迎!