歴史

戦国時代 木城町

検索フレーズの1位 戦国時代木城町が気になっている。

以前、歴史作家の桐野作人氏に会った時に(1回だけだけど)九州の関ケ原、耳川の合戦、本当は高城川の合戦をNHKの大河ドラマとして放送したい言われたことがあった。

高城川の合戦は、木城町のHPによると

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この城跡には本丸の建物等は現存していませんが、空堀や土塁が当時のまま残されており、過去2回の大戦(高城川合戦、豊臣秀吉による九州征伐)でも落城しなかった「不落の山城」としての威容を保っています。

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島津と大友宗麟の戦い、鹿児島県出身の桐野作人氏の書かれた九州の関ケ原読んでみたいものです。大河ドラマもよだきぼママが見れるうちに放送してもらえたらと思います。

桐野作人氏は名古屋市栄にある中日文化センターに講座を持ってみえます。第4木曜日1時から2時半です。また、ブログ膏盲記はこちらから

高校同窓会と西都原古墳群の女狭穂塚

11月16日土曜日は高校名古屋支部の総会と同窓会でした。参加者は33名の予定が2人増えて35人でした。東京支部、大阪支部、福岡支部と、宮崎から校長先生、鳴海が丘会の会長、事務長と、今年のOB祭実行委員、来期の実行委員の人たちが来て下さいました。2名増えたのは、名古屋在住の来期の実行委員の人でした。

総会の後、同窓会。会場はアパホテル錦。食事はとても上品でお腹が膨れることは????

それに引き替え、アルコールはたくさんの差し入れなどありました。宮崎からの百年の孤独、霧島○造さんからは吉助と赤。 売上がついに日本で一番になったということでした。そのお祝いか美味しい焼酎がありました。(飲まないので本当の事はわかりませんが)

同窓会の最後は校歌斉唱と応援歌合唱!写真は先回の実行委員さんです。本来なら次の当番が舞台に上がるのですが、実行委員長は西都児湯鍋合戦の方へ行かれたそうで準備がなく、先輩にゆだねられました。あははは。大丈夫かな、応援団。

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3本締めで最後。

だけど、今回は特別に愛知県埋蔵文化財センターのakatukajirou先生の講義!!ボランティアで申し訳なかったですが・・・

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お酒を飲んだ後の講義、心配しましたが、皆真剣に聞いて下さいました。中盤からは会場がシーンとなっていました。高鍋の持田古墳、西都原古墳の話をしてくださったのです。

西都原古墳に残る男狭穂塚(おさほづか、175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳。女狭穂塚(めさほづか、180メートル)は九州最大の前方後円墳。その女狭穂塚の話が特に興味深いものでした。

宮内庁の敷地も最近は掘り起こさずにレーザーなどで研究がすすんでいるそうです。女狭穂塚に埋蔵されているのは誰かというもの。今は「このはなさくやひめ」陵の説があります。

女狭穂塚がわかったら男狭穂塚の話も聞きたいとの感想が聞こえて来ました。寝耳に水というような新しい情報有難うございました。

2次会、翌日のお伊勢さん参りと盛りだくさんでした。

伊吹山の花

日が空き過ぎて何を書いたらいいのやら・・・

猛暑が続く名古屋・・・涼しかった伊吹山が恋しい・・・というわけで伊吹山の続きです。頂上近くは花がたくさん咲いていました。

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キンバイソウ

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ウツボグサは蕾も多くて写真が撮れずに歩いていたらやっといい感じに咲いているのを見つけました。

先を行く83歳のyamadaさんに追い付いたのもこの近く。いつもはバスで通院されているのにとヘルパーをやっている友達が心配していましたがこのあとつえをつきながら自力で頂上まで登られました。下山はさすがに無理で診療所の職員に手をひかれてだったようですが、とても喜んでみえました。

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ミヤコグサ

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お弁当を食べた横に咲いていたニッコウキスゲ。琵琶湖を望みながらと思ったのですが、少し見えた琵琶湖はすぐに霧に隠れてしまいました。

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琵琶湖

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頂上に立つヤマトタケルの像。

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ヤマトタケルは、ミヤズヒメの家に草薙の剣を置いたまま、伊吹山(滋賀県と岐阜県の境にある山)の神を退治に出発されました。そこで、ヤマトタケルは、
「こんな山の神ぐらい、素手(すで)で殺してやろう。」
とおっしゃって、山に登ったときに、山の辺(へ)で牛のように大きな白いイノシシと出会いました。ヤマトタケルは、
「この白いイノシシに化けたやつは、この山の神の使いだろう。まあ、今殺さなくても、帰る時に殺してやろう。」
とおっしゃって、さらに山を登って行かれました。すると、突然、大雨が降って来て、ヤマトタケルの行く手をはばみました。実は、このイノシシは、神の使いではなくて、神そのものの正体であったのですが、ヤマトタケルがイノシシに向かって大きな声で威嚇(いかく)したために、邪魔をしようとしたのです。そこで、仕方なく山を降りられ、玉倉部(たまくらべ)の清水(滋賀県坂田郡米原町の醒が井)で休まれたところ、やや正気を取り戻されました。そこで、その清水のことを「居寤(いさめ)の清水」というのです。
 そして、ヤマトタケルは、そこを出発して、当芸野(たぎの=岐阜県養老郡)まで来られて、こうおっしゃいました。
「わたしの心は、いつも空を飛んで行くような思いであったのに、今は私の足も歩けなくなって、たぎたぎ(たどたど)しくなった。」
 それで、この血を当芸(たぎ)というのです。
 その地から少しいったところで、ヤマトタケルはとても疲れたとおっしゃって、杖をついてやっと歩けるような状態でありました。そこで、その坂のことを「杖衝坂(つえつきざか=三重県四日市市采女の西石薬師に至る坂)」というのです。

杖衝坂で思いだした。古代遊学会で見学に行ったことを。ブログの記事を探してみたが高鍋さんにお会いしたこと しか書いてなかった。この時のメインは松阪市にある宝塚古墳だった。

またしても長くなりそうだ。

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イブキジャコウソウ

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カノコソウ

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ショウマ

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美しい声で鳴く鳥は?

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シシウドは虫のレストラン 見事な白いレースを見る思いです。

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ウバユリ

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駐車場に戻って皆で食べた

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ヨモギソフトです。この辺りは伊吹百草(いぶきもぐさ)も有名です。

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帰りのドライブウェイも霧の中でした。花の名前がいまいちわかりません。伊吹の花の本を買ってくれば良かったと後悔しました。

続 古代史は面白い

古代史について、興味深いコメントが来ております。

まずは先日の愛知サマーセミナーご報告から

よだきぼママさん、こんばんは。

7月15日(日)に愛知サマーセミナーとして東邦大学で開催された古田武彦氏の特別講演会の状況をお知らせします。
3時限目が100名、4時限目が66名、出入りがあって実人数118名の方が参加されたとのことで、地下鉄から遠いにもかかわらず盛況でした。

古田武彦氏が、強調されていたのは、次のとおりです。

帯方郡から邪馬壱国までの距離12000余里について、北九州の松浦に到達するまでに10000余里を費やし、そして不彌国でピッタリ12000余里に達するので、その南に隣接する邪馬壱国が女王国であり、文献上からは、北九州、博多湾岸に邪馬壱国があったと考えている。

一方で考古学上から、三種の神器がそろって出土するのは、日本広しといえども、吉武高木、宇木汲田、三雲南小路、井原鑓溝、須玖岡本、平原の6カ所のみで、すべて博多湾岸にある。
また、銅器の鋳型のほとんども博多湾岸のみから見つかっている。
さらに『魏志倭人伝』に何度か記述されている下賦品の絹と綿も、福岡市を中心としたその周辺のみから出土している。このように出土物は博多湾岸を指し示している。

つまり、古田氏による文献の分析結果と、考古学上の出土状況は一致しており、博多湾岸に邪馬壱国があったことは、まず間違いないとされました。

名古屋で行われた古田武彦氏の講演は、4年ほど前に行われた「日本思想史学会」以来です。体調のこともあり、ほとんどの講演の依頼を断っておられるという中で、よく名古屋まで来てお話をされました。とにかく、今年8月で86歳になる古代史学者のバイタリティには、敬服します。
投稿: プジョー106さん

もうひとつはこれからの古代史懇話会のお知らせ

2012/7/25中生涯学習センターにてpm6:00~8:30古代史懇話会あり、議題:「知多市と春日井市の鰐部氏について」発表があります。「いにしえの風」8号に記載しておりますが、去年2回に渡り「古代の風」でも発表しており、『庄内川と古墳』の観点で研究中であります。今回は上記記載の内容より更に進んだ資料を展開して内容の濃い発表となります。どうぞ、万障繰り合わせの上ご参加して下さる様お願い申し上げます。熱帯夜が続いていておりますが懇話会終了後に有志皆さんで冷たい生ビールを飲みましょう!美味いぜー!古代史研究者大勢集まれー!女姓群観迎!

古代史が面白い!!

古代史ファンの皆さん

プジョーさんから最新情報が届きましたよ!

名古屋で開催される古田武彦氏の講演会のお知らせです。

主催者側の都合により、会場が隣の講義室に変更になりました。
間違えないでくださいね。

■ 愛知サマーセミナー2012 ■

1 日 時 : 2012年7月15日(日)
      13時10分~16時10分
2 場 所 : 愛知東邦高校 B棟 2階 B101
        名古屋市名東区平和が丘3丁目11番地
        地下鉄「一社駅」徒歩12分
3 演 題 : 「真実の学問とは何か
        ~ 「邪馬壱国」と「九州王朝」論 ~
4 参加費 : 無料

古田武彦氏って???

九州王朝説(きゅうしゅうおうちょうせつ)は、古田武彦によって提唱された、7世紀末まで九州に日本を代表する王朝があり、太宰府(だざいふ)がその首都であったとする説らしい。

王朝があったのが宮崎の西都原じゃないようだけど興味深い。宮崎県高鍋町にある持田古墳からは三角縁神獣鏡が出土したと伝えられているが、この三角縁神獣鏡については、通説だった魏鏡説を批判、国産説を唱えた人でもあるらしい・・・

Sankaku

よだきぼママは当日、生憎予定があって講演を聞けないが、情報をいただいたプジョーさん またコメントお願いします。
<m(__)m>

古代史のコメント 有難うございます!

古代の歴史・・・気になるんですけど 難しい。名前が覚えられません。

古事記には宮崎県の地名がたくさん出てくるそうです。宮崎の歴史は天皇家にも関係するんですよね。

宮崎交通のバスの旅 お得な情報があります。
神話巡り ワンコインツアー~神話ロマンを感じる旅~

え~ですよ!古事記編纂1300年記念企画 神話巡り ワンコインツアーですって!高千穂のツアーは人気がありすぎて募集が中止されているようですが市内観光だけでもとても500円では無理なのでお薦めです。詳しくはこちらです。

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古代史についてのセミナーの案内が届きました。

ついに名古屋で古田武彦氏の講演会が開催されます。
名古屋で開催される最後の講演会になると思われます。

■ 愛知サマーセミナー2012 ■

1 日 時 : 2012年7月15日(日)
      13時10分~16時10分
2 場 所 : 愛知東邦高校
       名古屋市名東区平和が丘3丁目11番地
       地下鉄「一社駅」徒歩12分
3 演 題 : 「真実の学問とは何か
       ~ 「邪馬壱国」と「九州王朝」論 ~
4 参加費 : 無料

古代遊学会 古代史の集い

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12月10日金曜日の夕方、大高駅から金山の市民会館に向かう。日が暮れてから出かけたのは久しぶりです。古代史の講座の案内をいただいたので行ってきました。

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講師は古代遊学会の代表 東山勝也氏と愛知県埋蔵文化センターの赤塚次郎氏です。

東山氏は「桜井茶臼山古墳の時代と各勢力の動態」と題して出土した鏡や土器から話をされた。三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡、斜縁盤龍鏡の年号/その分類の中に宮崎出土の斜縁盤龍鏡は、どこの古墳からどんな古墳から出たのか不明とあったが 景初四年五月丙午之日陳是作鏡史人詺之位(略)とあるとか。.気になるなぁ・・・

赤塚氏は「もう一つの埴輪の起源 桜井茶臼山古墳から見えてくるもの」

興味深かったのは、埴輪のの形。宮崎のはにわ公園にあるような家型、舟型、動物や人の形でない、円筒型埴輪と壺型埴輪の話だった。

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レジュメをそのまま写すと・・・

一番多く作られた埴輪は「円筒埴輪」です。土管のような筒状で透孔(すかしあな)が開けられています。もともとは吉備(岡山県)地域の弥生期に、お墓専用に作られた器台形土器(きだいがたどき)(容器などをのせる台)が祖型と考えられています。同じように東海地域で弥生後期にお墓に供えるために作られた壺が、青塚古墳の壺型埴輪のご先祖さまです。青塚古墳は愛知県犬山市にある前方後円墳です。

壺型埴輪は壺ではなくて、焼く前からそこには大きな穴が開いているんだそうです。

難しい古代史も赤塚氏の話を聞いているとわかったような気がしてくるから不思議!

赤塚氏はNPO法人でもご活躍の様子、1月16日に中区役所と次々に講演の予定があるそうだ!

その時鳴海・大高では 桶狭間の戦い

名古屋市の緑区ルネッサンスフォーラム 緑区まちづくり推進室の主催による、桶狭間の戦い450年記念 そのときの鳴海・大高では ~桶狭間の戦いの前哨戦とその後~ と題する案内状をいただいたので行ってきました。

講師は近藤 是氏 (緑区ルネッサンスフォーラム会員)

鳴海商工会の2回会議室に集まったのは100人を超えていただろうと思う。梅雨も明けて熱い名古屋。よくも集まったものだな。年配のお方が多いが女性も少なくない。緑区の歴史に対する取り組みのたまものかな。

桶狭間の合戦の話が主ではなくて、其の200年前からの小競り合いから話が始まった。桶狭間の100年前が応仁の乱・・・フムフムこういう切り込みも面白いかも。

今、緑区と豊明市が町おこしに桶狭間の合戦を言っているが本来は緑区だろうとよだきぼは思う。豊明説は昭和12年ころに陸軍が言い始めたという声も聞こえた。坂本龍馬を海軍が利用したのとあまり変わらないのかな。昭和になってからでは説得力は薄いだろう。

特に珍しい話はなかったがいただいた資料にある、信長家勢力図 と 尾張国要図は面白い。大高城 鳴海城 沓掛城(先日の名鉄のハイキングで行った)中島砦 鷲津砦 丸根砦など見学したところもあるが刈谷鴨原城、安祥城など未定な史跡も多いなぁ。

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せっかく信長が活躍した近くに住んでいるのだから、もう少し回ってみようと思う。

大河ドラマを3倍楽しむ講座

一日遅れのブログになっています。

10月も終わりの昨日、滋賀県長浜城歴史博物館の 「復活 大河ドラマを3倍楽しむ講座 3 」に行ってきました。長浜駅に降りたら人がいっぱいでした。JRのさわやかウォーキングに参加された人のようです。一様にリュックを背負ってみえます。

秋晴れの長浜城はさくらが紅葉していてきれいでした。さわやかウォーキングに参加されたらしい優しそうな人に聞いてみたら、米原から琵琶湖沿いを歩いてきたということでした。

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朝9時に歩き始めた時は、琵琶湖はガスっていたそうです。そのお方がおっしゃるには琵琶湖は表情を変えるから飽きずに楽しく歩けましたよって・・・。お会いした時は12時でしたから随分と長い距離だったのかもしれません。途中の道の駅でお昼を買って、野菜も買われたそうです。重そうでした。

驚いたことに名古屋から来たと…一緒ですね。有松からですよと。遠い長浜で名古屋人が出会ったのですから話が弾みました。

大仏さまは行かれましたかと尋ねると、後ろ姿だけと。そして面白い話。長浜大仏は立っていますが、座っている大仏と立っている大仏は位が違うのだそうです。座っている大仏が偉いとか。

1時半からの「三成・兼続と関ヶ原合戦」の講座ですが、学芸員の太田さんにお会いしたくて早めにお城に行きました。そして、会場の準備中の太田さんにお会いして念願だったサインをいただきました。ありがとうございました。

講座の内容を少しだけ・・・

三成・兼続と関ヶ原合戦  講師 長浜城歴史博物館 太田浩司

はじめにと題して   大河ドラマ「天地人」は11月22日が最終回。天地人の原作本?を示されて上・中・下と3冊も買ったのは初めてということで、講座のために買ってこられたそうです。

愛と義についての原作への疑問もあった。大義名分はドラマには重要だけど、脚本として不満。愛と義は最後まで処理出来なかった。関ヶ原合戦で終わっていればと言っておられた。

大河ドラマを見ての疑問を10に分けて解説がありました。

まずは 朗読をしてくださる久保寺さんの紹介です。現在は高月観音の里にお勤だそうです変わらぬ美しいお声です。

朗読の後に第1の疑問の解説です。
①信長はなぜ謙信に洛中洛外図を送ったかのか?
果たして挑戦状だったのかとい疑問に武田の動きが気になっていた信長は上杉に招待状として送ったのではないかと話された。

東京と新潟でやった展覧会の洛中洛外図の図録を示しながらの説明があった。レジュメに示されているのはカラーでなくて図だけどサントリー美術館としてある。あの有名な洛中洛外図です。

②越後春日山城に毘沙門堂はあったのか?

③直江兼続と石田三成が最初に会ったのはいつか?

④石田三成は豊臣秀次殺害の首謀者であったのか?

⑤上杉家の越後から会津への転封に三成は関与したのか?

⑥福島正則らに襲撃された三成が家康屋敷に逃れたのは事実か?

⑦兼続と三成の「史上最大の密約」はあったのか?

⑧「直江状」はどのような状況で出されたのか?

⑨関ヶ原合戦で大谷吉継はなぜ三成に味方したのか?

⑩関ヶ原合戦で兼続と三成は如何に戦ったか?
~「おわりに」をかねて~

と朗読と組み合わせての解説は休憩なしで2時間も語られた。

いろいろ興味深い話があったが、時代考証者と脚本家との意見の食い違い。これは随所に見られるそうだが、原本と違ってきたりして苦労の多いことらしい。たとえば家康のこぶ。毘沙門堂の洞窟など事実ではないことはいっぱいあるとか・・・

太田先生の言葉でよかったのは

三成の描き方は古今稀なる上出来だった。単なる豊臣の忠義を描くのではなく豊臣中心の国家をつくる。家康の連邦国家、大名の連邦国家をつくるのではない、豊臣の単なる忠義の家臣でない、素晴らしい三成像を描かれたなぁと感動されていた。

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下の写真は関ヶ原合戦の決戦地。

日本書紀を読む

昨日の日本書紀は下巻の天武天皇の下の十一年六月一日から・・・十二年春二月一日大津皇子がはじめて朝政をお執りになった。まで (宇治谷猛著 講談社文庫)

中に出てくる 三本足の雀が話題になった。三本足つながりで 三本足の八咫烏(やたがらす)に話はつながって行った。

神武東征のときにも高御産巣日神のお告げをきいている。それによると「天から八咫烏(やたがらす)を遣わし、道案内をする。そうだ!

これだけの部分を読んで色々と皆で話し合うのだが、1時間余り・・内容は濃くなって行くのです。話題の一つは大津皇子は今で言うイケメンらしいのだ。これはどこかに書いてあるらしく皆が知っていた。

「状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。性すこぶる放蕩にして、法度に拘わらず、節を降して士を礼す。これによりて人多く付託す」とある。とあるのですね。初めて知りました。

当時のイケメンはふう~ん ジャニーズ系ではなくてがっちりした体格かぁ。で性格の良さも人気の秘密だったりするのか。顔かたちは流行があるかもしれんが性格は好かれそうだ。

男性から出た言葉に、父親は二男が好きだ・・というもの。我が家にもぴったり当てはまる。何故何だろう!どこでもそうなんだろうか?

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今日の花は大高駅に近い肉屋さんの店先に咲いていた花。小さくて白花。その白花の中に黄色が魅力的。

葉っぱはスイレンのようだけど、お店人も花をくださった人も名前を存知ないのだそうだ。

どなたかご存知ないですか?

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