龍馬

京都と坂本龍馬

土曜日に京都に行ったときに錦市場を散策しました。途中南北に交わる柳馬場通りがあります。ここのどこかに坂本龍馬の妻になるおりょうの実家があるんだけどなぁ。最近石碑も建ったはずと思いながら歩きました。以前、龍馬研究者と歩いたことがあるんですが、出発点が違うとわかりません。(苦笑)

家に帰って調べてみたらありました。ここです。雨に降られながらいろいろ竜馬を思いながら歩いていたみたいです。

昨日は久しぶりに大河ドラマ「龍馬伝」を見ました。が、がっかりしました。龍馬は武市に会いに土佐に帰っていましたね。人斬り以蔵も変でしたね。以蔵は拷問に耐えられずに白状したはずです。 一人でブツブツ言いながら見ていました。

このドラマの龍馬は一体どんな人になって行くのでしょう。後藤象二郎との関係はどうなっていくのでしょうか?あぁ 作りごとが多すぎる・・・

歴史研究者の中村氏は
ぜひ「このドラマはフィクションです。実在の人物とは無関係です」の表示をドラマのオープニングかエンディングかに掲示してください。お願いいたします。 と書いてみえます。

中村氏のブログ 歴史と地理な日々

歴史作家 桐野氏の 膏盲記 にもあります。

妄想大河ドラマ も紹介しておきましょうか。龍馬伝第27回の感想です。

フィクションだと割り切って見れるといいのですが・・・

写真はねこじゃらし と カワラヒワ 

Img_9541

Kawarahiwa

龍馬伝の龍馬役は

(ニュース)2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」、坂本龍馬役に福山雅治さん決定!

えーっ うっーそぉ! と思いました。どんな龍馬だろう。福山雅治か。いいですね。イケメンすぎると思いますが、実は、福山雅治と田村正和ファンで〜す。

龍馬を私たちは普通りょうまと言いますが、高知県出身の友達は なんと りゅうま と呼びます。福山雅治はどっちかな。

楽しみです!

大河ドラマに龍馬が・・・ 

 Asahi新聞の朝刊に 2010年の大河ドラマが決まったとあった。sign03

NHKのHPを開いて内容を確認した。原作はなくて、脚本家のオリジナルらしい。

 Img_3081_2大河ドラマ「龍馬伝」は、配役を決めたあと、来年8月から撮影を始め、再来年1月から1年間放送されます。NHKニュースよりhttp://www.nhk.or.jp/news/t10015065501000.html

 自分の中の龍馬像は、また変わっていきそうだ。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が発表された時には見つかっていなかった資料がたくさん発見されている。写真も見つかっているし・・。note

 

 昨日の大高緑地にはまだほかにもいろんな種類の花が咲いていました。白は私の好きな花の色です。Dsc05273_3 Dsc05303

坂本龍馬とオランダ商人

 昨日の朝、古代遊学会の代表から電話があった。古代史市民セミナーで発表するのに、龍馬はオランダ商人に会ったことがあるか という質問だった。そんな話題は講座では聞いたことないなと思う。友達も聞いたことないと言うし・・・。

 古代史と幕末の龍馬の関係が分からないが、龍馬のことは私にと・・・思われたらしい。光栄なことだと思うべきか・・・な。

 でもなぁ…私の龍馬像は有る時から崩れだして、精彩を欠き始めている。辛いことになっている。司馬遼の『竜馬がゆく』のヒーロー竜馬に戻りたいと思っている。叶わぬが。

 資料から見えてくる龍馬は思っていたとおりではなくて、薩長同盟?の時も居合わせただけらしい。司馬遼によって、ヒーローに作られているだけで本当は悲しい、あるいは哀しい人が見えてくる。

 人間誰しも、思い通りに生きているわけではないが、一度司馬遼太郎によって光を与えられ、華々しくヒーローになった龍馬。(司馬遼は龍馬と書かずに竜馬とかき分けているらしいが・・・)だけれど、真実の龍馬像に迫る歴史学者の目は厳しい。『竜馬がゆく』が書かれた当時は分からなかったことが次第にはっきりしてきている。

 思いは複雑だが、それは置いといて、龍馬がオランダ商人にあったかどうか。調べている。

 当時有名な、死の商人と呼ばれたグラバーはイギリス人。1865年慶応元年10月18日にグラバーから汽船ユニオン号を購入し、桜島丸とする。と見つけるがこのとき龍馬は山口にある。その後もグラバーからゲーベル小銃7300挺買っているがこのときも龍馬ではなく、のちに龍馬の養子になる高松太郎が交渉しているようだ。

オランダ人ね・・・1799年から1817年まで長崎の出島のオランダ屋敷にいたオランダ人でHendrick Doeff(ヘンドリック・ドエッフ)がいるらしいがこの人は商人ではなくて、貿易官吏だという。

 東京大学維新史料編纂所にないだろうか。

慶応3年9月14日高知藩海援隊隊長坂本龍馬、長崎に於て蘭商ハットマン商社よりライフル銃千三百挺「一万八千七十五両」を購入す。尋で、其中千挺を広島藩汽船震天丸を借り、廻送して帰藩す。「十八日、長崎を発し、二十四日、高知に著す。」とあった。

 これが古代遊学会代表が知りたいことだろう。とりあえずこれでおしまい。慣れないことをするのはたいへんだ。

 今回開いた本。『坂本龍馬と明治維新』 アリマス・B・ジャンセン 平尾道雄 浜田亀吉訳 時事通信社  『坂本龍馬進化論』 菊池明著 新人物往来社刊  『検証・龍馬伝説』 松浦玲著 論創社刊  『坂本龍馬と海援隊』 坂本藤良著 講談社文庫  『坂本龍馬』 池田敬正著 中公新書刊  『龍馬の手紙』 宮地佐一郎著 講談社学術文庫刊

激励のつもりが・・・

 龍馬暗殺の犯人は薩摩藩士か について

 昨日取り上げたブログの作家さんが気分を害されたようで悲しい。

 もしかしたら、ブログのルールをこちらが誤解したか、無視して失礼なことをしたのかも知れない。どちらにしてもこちらのミスで不愉快な思いをされたようだ。

 時折拝見しては、感動することが多くて感謝している。高城の合戦で使わせてもらった姶良町歴史民族資料館 『戦国武将島津義弘』 の情報もこちらからのものだった。 

 実は私も龍馬暗殺の犯人は西郷が黒幕だと、かなり長いこと思っていた。真実は小説より奇なりなんて言葉もあるように、西郷が黒幕なら面白いと。

 N氏の「龍馬講座」を受けてそれは間違いだと聞いた。初めて聞いた時はそうかな?くらいにしか思わなかった。回数を重ねた最後の方で、見廻り組の今井信郎の調書を示され信じるしかなかった。 今井は白状したのだ。これ以上の証拠はほかにはない。

 これから先、違った証拠が出てこない以上、龍馬暗殺の犯人は見廻り組の今井しかないのだ。いくら面白がっても真実は変えられない。

 あるテレビ局の「歴史は*いた」でも、龍馬暗殺が取り上げられたことがあった。それは犯人は誰かを視聴者に投票してもらうもので、最終結果は西郷の得票が多かった。

 こういう現実を踏まえての激励のつもりだったが、言葉が足りなかったのか伝わらなくて残念だ。申し訳なかったとも思う。

 この作家さんの講座を受けたくても東京は遠いし、時間的にも経済的にも無理なので名古屋で単発の講座でもいいから開いてもらえることを願っている。

龍馬暗殺の犯人は薩摩藩士か?

 11月15日は坂本龍馬の誕生日でもあり、140回目の祥月命日でもあった。もちろん今の暦ではなく、旧暦の話。暦の専門家に言わせると単純に旧暦の11月15日とも言えないらしいが。

 龍馬のパネルと龍馬像を並べて、幕末に思いを馳せる。地球温暖化が言われて久しい今年の11月15日はさほど寒くなかったが、当時の京都の街はどんなに寒かったんだろうか。海援隊を率いる龍馬と陸援隊の中岡慎太郎は近江屋に身を寄せている。そこに踏み込まれて命を落とした。(長くなるので詳しく書けないが・・・)

 龍馬を暗殺した犯人は誰か?歴史研究家などの間では見回り組と知られていることが、世間ではそうではないらしい。

 面白いことが、あるブログに書いてある。

鹿児島出身のこの歴史研究家は嘆いている。薩摩藩士が犯人であるというなら、

薩摩藩士は誰なのか、ぜひ具体名をあげてほしいものだ。

と続けて

中村半次郎だとでもいうのだろうか。

 私は思う。歴史研究家は、研究成果をもっと、もっと声を大きくして発表して欲しいと!声を大にするべきだと。

 中村半次郎といってもわからない人も多いだろうが、幕末の一時期は「人斬り半次郎」と呼ばれていた。後に改名して、桐野利秋となり、明治政府で活躍する。

 昨年帰郷した折に、高鍋歴史資料館で紹介された、家老屋敷黒水家に桐野利秋の写真を見つけて驚いたが、考えてみれば当たり前のことで、征韓論に敗れた、西郷隆盛にしても日向の細島に上がり、日向国を通って薩摩に帰えるのだから・・・。日向(宮崎)と薩摩藩は縁が深いのである。

 高鍋歴史資料館には、混乱した高鍋・秋月藩の当時のことも詳しいので、一度足を運んでほしいと、よだきぼママは遠い名古屋から思う。

高鍋町のHPにある、歴史と文化はこちらからどうぞ!

龍馬記念館メール会員と龍馬像

 高知県立坂本龍馬記念館にメール会員登録をしてある。もちろん無料。イベントや龍馬に関する情報が届く。

最初に届いた情報は3月31日まで開催されている、特別企画『坂本直行展』の案内。 

**龍馬の子孫「坂本直行」は、龍馬の甥「坂本直寛」の孫にあたります。北の大地・北海道で開拓農民として生き、厳しい自然に絵筆をふるい、果てしなき原野や山々を描くと共に、やさしく描いた花々は、北海道土産として有名な「六花亭」製菓の包装紙として広く親しまれています。
今回の企画展開催中のみ「六花亭」のチョコレートや直行グッズも特別販売しています。ぜひご覧になってみて下さい。
**メールより。

 今、松坂屋本店で大北海道店をやっている。六花亭も出店しているはず、包装紙が欲しいかな。一度のぞいてもいいが北海道展はいつもお客さんが多いからなあ。そうだ、ナナちゃん人形(←見たことも聞いたこともない人はクリックしてね)も栄に来ていることだし行こうかな。物産展っていつまでだっけ!!

 昨日届いたのは、** 開館から15年が過ぎ、入館者200万人目のお客様を、本日午前11時お迎えする事が出来ました。 **のお礼のメールでした。我が家は猫が寂しがるので中々遠出が出来ない。龍馬記念館行きたいといつも思っているのだが・・・。

 今日は、我が家の龍馬像を眺めることにしようと顔をよ~く見ると、接骨院の龍馬像と顔が違うことに気がついた。うちの坂本龍馬の方がいい男・・・?断然いい男・・・。顔だけが好きなわけではない、わたし好みというだけだが、妙ににうれしい・・・。5891

龍馬の肖像画(熱田神宮宝物館)

 2月26日熱田神宮宝物館の 野原コレクション~幕末・維新の遺芳~ (←クリックしてね。)を見に行く。この展覧会明日までになりました。

 5737 場外馬券売り場に行く亭主に、アッシー君をお願いして、熱田神宮へ。神宮に一歩足を踏み入れると、途端に都会の喧騒が消える感じがします。大きな樹木がアーチを作り、掃き清められた砂利道を歩いて行きます。両脇に大きな燈籠や常夜灯が並んでいます。日曜日なので、参拝者も多くあります。初宮詣の家族連れを始め、子供連れ、カップルなど。

 5738 宝物館で300円の拝観料を払って中へ。まず、明治天皇立像と天皇旗・明治天皇・昭憲皇太后両陛下御宸筆御製御歌・若いときのお二人の御肖像レリーフ・後年の明治天皇御肖像レリーフなど。明治天皇御料「スキヤキ」コンロは使い込まれている。。それまで肉を食べる習慣がなかったので、率先して肉を召し上がられたんだそうだ。すき焼き鍋には修理の後が見える。なんだか意外な気がしたが、贅沢三昧ではなかったのかな。

 大正天皇御料扇風機はしっかりしたつくりになっている。首振りの原理の説明書きがあり面白かった。書もたくさんあった。有栖川宮熾仁親王筆の「仁義」の文字は優しいし、徳川慶喜の「明鏡止水」は明治30年秋、71歳の筆だとあった。勝海舟の「自空一世」は太くて力強いし、三条実美筆二行書は、真似て書きたくなるほどに品格を感じた。父宛ての高杉晋作書状・同志清水親知に宛た久坂玄瑞書状・吉田松陰筆書簡・西郷隆盛自筆・木戸孝允二行書など幕末の志士たちのものはどうも、血が騒いで困る。

 一番見たかったのは坂本龍馬の肖像画。描いたのは公文菊僊で、日露戦争に際して、龍馬が葉山御用邸の昭憲皇太后の夢枕に立ったものを賦したものとされているそうです。丈夫そうなごつい手、いいなぁ。龍馬はザンバラ髪に羽織袴を着け、大小を佩刀し黒足袋をはいている。ブーツではなくて黒足袋なんですね。いい顔していますね。もちろん好きなものはよく見えて当たり前ですが・・・。
参考資料 『特別展 幕末維新の群像』熱田神宮 これは平成10年1月1日から1月27日の展覧会のもの 

熱田神宮の続きはまた、明日。

寺原がヒゲ剃って変身!

寺原隼人投手(横浜)がヒゲを剃って記者会見。の記事を見つける。

OKなのに・・・寺原ヒゲ剃っちゃった。続きはクリックしてね。

横浜での意思表明。決意の程がよ~わかるね。

名古屋ドームでの先発待っていますよ!!!

今日は坂本龍馬の140回忌にあたる。

 ある週刊新聞に連載されている「京都 江戸時代を あるく」の筆者歴史地理の研究家・中村氏の今日の記事によると、12月10日は坂本龍馬が暗殺された日だという事だ。坂本龍馬が暗殺されたのは、慶応3年11月15日だが。これを、現在の暦にあらためると、1867年12月10日になり、今日が、140回忌にあたると・・・。-中略- 暗殺者が誰であるか、けっこう話題となる。「いまだ謎」なんだそうだ。とつづく・・・。

 先日ある歴史番組で放送された、薩摩黒幕説。私も、薩摩藩が黒幕だったらどんなにか面白いのにと一年前までは思っていたが違うらしい。

 氏が活字で否定されるのをずっと待っていた。ありえない薩摩黒幕説 ・ 一笑に伏すべき仲間の犯行 ・ 事実認定無理な細川家資料 と根拠になる資料などを示され内容が濃い。

参考文献は桐野氏の「龍馬遭難事件の新視覚」『歴史読本』51巻10から12号、2006年と書いてあった。 

龍馬の誕生日と命日

 慶応三年(1867年)11月15日午後8時過ぎ、京都・四条河原町の醤油商・近江屋に潜伏していた坂本龍馬中岡慎太郎が、2名の刺客に襲われ、龍馬は即死、慎太郎は2日後に死亡しました。龍馬はこの日33歳の誕生日でした。龍馬は風邪気味だったといわれております。霊山歴史館でも二人を偲んで墓前祭が・・・。
 

 秋月種樹が欧米視察に行っている間に、悲しいことが起こります。坂本龍馬の殿様と種樹は一緒に仕事をしておりました。

 龍馬の殿様、山内容堂と種樹は深く意気相投ずるものがあり、夫人も烏丸家の姉妹である。種樹の欧米に遊ばんとする頃は、容堂はすでに病床にあり、好みの酒盃をてにすることも出来なかったとある。二人は別れを惜しんだと。容堂はを愛し、自らを『鯨海酔侯(げいかいすいこう)と称するほど酒が好き。。幕末の時流に上手く乗ろうとした態度は、当時の志士達から、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄されたとも言われています。

 高知のお土産で、坂本龍馬というお酒を戴いたことがあります。高知県は日本酒を飲まれる人が多いのかな?種樹もお酒が好きだったんでしょうね。宮崎は、米・麦・芋焼酎がおいしい?私は飲まないのでおいしいかどうか解りませんが・・・。

 別れを惜しんだ、容堂公ですが、種樹が滞欧中の6月20日、46歳で亡くなってしまいます。

 帰国した種樹は、そのお墓を訪ねて、

 拝容堂公墓 告其神霊

 幾重霜変世形 三叉寂寞舊池庭

 同遊好友皆亡去 唯有泰山興竹亭

と弔った。泰山は土方伯、竹亭は東久世伯であると。

Mayuhake 写真はまゆはけ万年青

参考書籍 日向文庫 秋月種茂と秋月種樹 武藤麒一 安田尚義 共著

2017年4月
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